紅の夢に黒き幻を

青夜 明

罪人

 赤い角と赤い目を持つ鬼の少女がふと、立ち止まる。声が聞こえたような気がした。

 何だろうと空中を飛び回って探してみる。

 助けて、と物陰が唸った。


「誰かいるのか?」


 廃墟の裏に生えている枯れ木の裏を覗く。緑の角の鬼の少女が横たわり、赤い瞳を弱く瞬かせていた。骨のように細い身体と反して腹は妊婦のように膨れている。

 赤い角の鬼は相手の服装が死に装束だということに気付いた。この世界の鬼は近場の「獄景ごくけい」という国に努めている証として黒い和服を着る習慣がある。中は白い小袖、下は野袴と褌の組み合わせだ。もっとも赤い角の鬼は動き辛いからとそれを破り、普段は黒いドレスを着ている。首元は赤いしめ縄を蝶結びにし、長い髪は円筒にした紙でまとめている。


「お前、成り立ての鬼か」

「……お願い、食事、食事を……」


 赤い角の鬼はどうするべきかと悩んだ。外見から察するに相手は餓鬼であり、飲食を行おうとしても魂が燃やしてしまう性質を持っている。水も蒸発して終わりだ。


「……他の方法を探してくる」


 代わりにできることがないかと、赤い角の少女は探しに行った。




 獄景。それは鬼達が制する国である。

 昔、ある鬼が地獄から別次元へと逃げ出して、世界を一つ築き上げた。人間達が住む枝土えどと、地獄を模倣した巨大な獄景。合わせてその世界を枝獄えごくと呼ぶ。

 枝土は治安が悪く、罪を持っている者が圧倒的に多い。更に数のいる鬼が彼らを戒め、獄都の牢屋へと連れていく。以後は獄卒という鬼が辛辣な罰を与え続けるのみ。その残虐非道さは獄卒と収監者しか知らないだろう。

 さておき、赤い角の鬼は獄景の中で立ち往生していた。


「はあ!? 出られないってなんだよ!」


 番を担当する門の鬼が面倒そうに耳を穿る。


「何でも罪人が逃げたらしく、逃がさないようにと」


「逃げたあ!? 獄卒の連中は何をやってるんだよ! 存在意味も為せないのかっ!」


 赤い角の鬼が八重歯をむき出しにすると、背後からよく知る声が聞こえてきた。


「随分やかましいと思えば……お前に言われたくねえだろ、躯紅くく


乎羽こう!」


 黄の角と緑の鳥の目を持つ少年だ。古銭を括りつけた腕を上げ、はぁ、と頬杖をつく。


「いい加減行く先々に現れんなよ。……まあいいついでだ、躯紅、全獄景の鬼に収集がかけられてる。とっとと役所に戻れ。門の鬼、お前は役目上後から来る伝達を待ち、此処に留まれとのこと」


(それじゃ意味ないじゃん!)


 喉まで出かかった文句を珍しく堪え、渋々ぶっきらぼうに応える。


(それに、何処に行っても姿を現すのはお前の方だろっ。乎羽のばーか!)


 怒りで震えていると冷めたい目を向けられた。

 百目鬼の乎羽を巻き込む形で、縊鬼の躯紅は仲間から浮いている。彼女は異色要素が強く、仕事も失敗しやすい。すれ違うだけで罵倒されるのも日常茶飯事である。


「うわ、躯紅だ。何しに来たんだ? 失敗続きができることなんて何もないのに」


「何あの格好。生き恥晒しも程々にしろよ。山鬼様の汚点にしかならない」


 躯紅は心が冷めていくのを感じ取った。最早怒鳴るのも煩わしい。

 言われている内容は事実だ。分かっていても躯紅は自由でありたいと願い、正しくても獄景の掟が嫌いだと心の奥深くで思っている。苦しみ以外無いなんて嫌だ、と。

 乎羽すらも距離を開ける中、凛とした声音が空間に響いた。


「躯紅は将来有望の義娘であり、部下だ」


 途端に空間が鎮まり返る。躯紅だけが目を輝かしながら駆け出した。


斗越とこ!」


 跳び付いた相手の足は一本しか存在しない。赤の角を立派に主張させ、黄の瞳を躯紅だけに向ける。山鬼様だ、と誰かが呟いた。


「躯紅。悪いが今少し体調が良くなくてね、無茶を控えてくれるとありがたいな」


「あっ、そっか。ごめんな」


 躯紅は少し残念そうに距離を取った。斗越がすまなそうに手を伸ばし、躯紅の頭を数回撫でる。それが嬉しくて躯紅は照れ臭そうに目を瞬かせた。


「斗越様、あまり彼女を甘やかさないでください。躯紅の行動は罪に加担します」


 ふぅ、と乎羽が疲れたように溜息を吐く。斗越は軽い調子で声を上げた。


「ははっ、そうだな。では、咎めの続きは俺がしよう。躯紅、おいで。お前に新たな仕事の依頼が来ている。収集の件は歩きながら俺が説明しよう」


「へ?」


 躯紅は不思議そうに目を瞬かせた。




 獄景は比較的温かい方である。しかし、牢となる地下洞窟は空気が冷たい。二人は草履で土を踏みしめていき、目的の牢屋へと向かう。

 陰湿な場所だ。牢の向こうから囚人達の震えが伝わる。一心不乱に土へと爪を立てる者もいれば、全てを諦めたように静まりかえる者もいた。嫌だと泣き喚く声や体躯を引きずる音が度々聞こえ、空間を裂く。

 躯紅が生み出した火がなければ深い暗闇が広がっていただろう。明かりもなく目的地を進めるのは利く目を持っている獄卒ぐらいだ。


「逃げた罪人はお前と同じくらいの少女だ。強欲的で欲しいものを手に入れなければ気が済まないのが特徴のこと。長く此処に収監されていた分、身体は衰弱していると予想される。見つけ次第捕獲を優先しろとの決定だ」


 そう言ってから斗越は少し機嫌の良さそうな笑いを洩らした。どうやら調子が戻りつつあるらしい。軽快に足を止め、ある静かな牢屋の鉄格子を小さく叩いた。


「さて躯紅、こちらが今回の依頼主だ。お前は仕事を放り投げるか? それとも命令を? お前がどのように規則を犯そうとも『何も知らない』俺は咎めやしないよ」


「……、私に何の依頼だ?」


 躯紅は答えず、鉄格子の奥へと小さな火を一つ向かわせる。照らされた男の一人が可笑しそうに口元を歪めた。


「獄景の縊鬼は罪を解放するのが仕事って聞いてなぁ。お前さん、俺の隣の牢屋が空なことに気付いているかい? あちらさんは今回脱出した囚人の牢さ。俺ぁ重大な秘密を見てしまった。この情報がなきゃ獄都の連中は心底苦労するだろうってものさ。なぁ、縊鬼のお嬢さん、情報を渡してもいいから俺の罪を解放してくれないか?」


 罪の解放と言うだけなら聞こえは良い。しかし、実際は逆だ。縊鬼は他者に首を括れと囁く存在である。生者に依頼人の罪状を擦り付けてから囁き、代わりに死を持って償ってもらう、というのが仕事内容だ。これに嫌気が差しているのは躯紅だけではないだろう。皆分かっていて行い、成し遂げようとしない躯紅へと腹を立てているのだ。


「本来は情報なんてなくても引き受けるぞ。渡して損をするのはお前だけだ」


「分かっているとも。俺ぁ脱獄した少女を犠牲にしてほしいだけ」


 躯紅は顔を顰めた。恨みから依頼主が使命を口にするのは良くあることである。いつもなら欲張るなと撥ね退ける所だが今回は内容が内容だ。


(獄都の鬼から反感を買ってる私が依頼されることに、陰謀を感じる)


 隣の斗越が嗤ったような気がした。


「分かった、引き受けよう。情報内容は?」


「俺ぁ見ちまったんだ。少女が自殺して『餓鬼』になる所をよ。あらぁ今頃鬼に紛れてうまいことやっているさ。あぁ、狡いなぁ、させたくないなぁ。……、さて、ありがとよ」


 躯紅は見開いた目に下衆めいた囚人の笑みを映した。



 ●  ●  ●



 これは運命の計らいというやつなのだろうか。


「……お前、脱獄犯らしいな。罪人に得は与えられない。諦めろ」


 仕事だからと外出許可を貰った躯紅は餓鬼の少女の元へと降り立った。見下ろした彼女はやってしまったと言わんばかりに嫌そうな顔を浮かべる。


「牢屋も、罰も、飢えも、お前にとってもう沢山だろ。もう一度死んだらどうだ? 正しい手順を踏まないから中途半端な鬼になるんだ。今度は私が導いてやろう」


 餓鬼の少女は驚いたように身体を起こした。疑うような眼で躯紅の角先から足の爪先まで視線を幾度も走らせ、呆れたように目を細める。


「そんな格好の鬼に言われても、頼りないっていうか」


「うるさいっ」


「所詮は躯紅だ。無駄な抵抗はやめろ、鬼の道に踏み入れた罪者よ」


 いる筈のない声の持ち主が躯紅の元へと降り立つ。鷲から人型へと転じた乎羽は溜息を吐きながら躯紅へと視線を向けた。


「この餓鬼は通告して引き渡す。良いな、躯紅」


「……」


 躯紅は哀しそうに目を伏せた。


「……はあい」


 依頼人には代理を探すと告げたことで、また仕事を一つ山に積んでしまう。

 躯紅は黙っていたことがいくつもある。死んだらしい自分は鬼火となり、縊鬼へ転じたということ。そうして生まれる鬼達は仕事をして罪を償っているということ。

 人間は死ぬと鬼になるというのは、獄景で良く聞く噂話である。

 躯紅はその逆、鬼が死んだらどうなるのかを見てみたかったのだ。


「自由は、どうやったら手に入るんだろうな」


 躯紅はただの姿見に自身を晒す。もしこれが雲外鏡だったならば、きっと赤鬼ではなく以前生きていた人間が映っていたのだろう。



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