明日は、どうか

持っていたスマホの画面が真っ暗になると同時に、私は突然現実に引き戻された気分になった。

はっ、と言いそうになる声を抑えて、顔を上げる。


辺りを見回せば、私はオフィスビルの1階にいた。


どうやら随分と思い出に浸っていたらしい。

今何時!?と慌てて時計を見れば、約束の時間の3分前。


ぎ、ギリギリだ!急いで行かないと!



私は思わずエレベーターのボタンを連打する。

いつの間にか女子高生たちはいなくなっていた。





ーーー




1時間後。

私はまたビルの1階にいた。


慌てた割には、ちゃんと商談を進められた。

相手の感触も良かったし、半期の営業成績は安泰かなー、なんて思う。



外を見てみれば、雨はやまないどころかどしゃぶりになっていた。

…恵みの雨といえど量が多すぎでは…。

しばらく止みそうにないな、と思いながら折り畳み傘を広げた。


どうせだから会社に寄って帰ろうかな。

そう思って私は雨の下に足を踏み出した。





あの神社の不思議な出会い。

青年と会ったのは確かにあの日が初めてだった。

なのになんでだろう、彼をよく知っているような、よく知らないような、不思議な気持ちがする。


そういえば前に母親が言ってたっけ。



『あんた、小さい頃はよく神社に行ってたわよねえ、おもちゃたくさん持って』

『そうなの?』

『そうよ、わざわざ神社で友達と遊ぶんだって、物好きよねえホント』



私が神社に行った記憶なんて、あの雨の日くらいしかないのにね。






駅まで歩くだけでも、足はどんどん濡れていった。

雨用の靴を履いてこなかったせいで、あっという間に不快感が靴下まで浸食していく。


雨粒は滝となり、建物の屋根という屋根の先から、糸を垂らすように落ちていく。

早く駅に行ってしまおう。

透明な線が覆う視界に線路が映りこんできたので、歩くスピードを早めたときだった。




ぞ わ り



背中を駆け巡るように、悪寒がした。



「…っ!」



足が凍ったように動かなくなった。

そんな足を流さんばかりに、雨水が隙間を流れていく。

私は下を向いたまま、ただただその恐怖に震えていた。



ズズ…ズズズズズ……



「!」



ガガガガ……ッギギ……




後ろに、何かいる。



これは、『イヤナモノ』?

おぼろげだけれど恐怖に感じて仕方のなかった黒い姿を想像する。


もう十数年も感じてない感覚に、私はがくがくと全身が勝手に震えていくのを感じた。


こわい、気持ちが悪い。




『大丈夫、大丈夫だよ』




ふと思い出すのはさっきの記憶。

彼はこんなとき、いつもそう言ってくれたっけ。

優しくて、暖かくて、心がどきどきしてやまない、甘酸っぱい記憶と共に残る声。




『大丈夫、ほら、もう一度見てごらん。もういないよ』




私は恐る恐る、振り向いた。






「…?」



そこには、何もなかった。

線路沿いの通りの一角。

人気のない住宅街の隙間。

雨だけが忙しなく走り回る空間に、私は変わらず1人でいた。



「…あれ」



悪寒がしない。

何だったんだろう。今の一瞬は。



「…風邪引いたのかも」



こんなに足を濡らしていたら、寒気くらいするか。

このまま一気に身体を冷やしたら、数年ご無沙汰だった風邪を招き入れてしまうかも。


急いで行こう。


私は駆け足で駅へ向かった。








『美里ちゃん』



…声?


立ち止まり、もう一度振り返る。

だけれど景色は何にも変わらずそこにいた。



「……」




やっぱり雨の日は苦手だな。

今日は会社に戻らず、どこかのカフェで仕事をしてから直接家に帰ってしまおう。

いつもより熱めのお風呂を入れて、少しだけ厚着して、さっさと寝てしまおう。


そうすればきっと、またいつものような毎日が過ぎていくはずだから。








『明日は、晴れますように』




その声は、誰に届くことなく雨に流れていった。




―――――雨喜びのミカクレ様は明日も彼女の晴天を願う Fin

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雨喜びのミカクレ様は明日も彼女の晴天を願う 綾乃雪乃 @sugercube

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