第14話 紺色の空の話 後編
コン、イク、ヒトミの三人は、布団を三つ並べて眠っていた。
屋根から、融けた雪の水滴が落ちる音がする。
コンは目を覚ますと、できるだけ音をたてないように布団を抜け出した。
そして、机の引き出しを開けた。中に入っていたメモ用紙を取り出した。
それは、ウカがイクの場所を知らせるために、奇跡で生み出したメモ用紙だった。
コンは、ヒトミとイクの顔を交互に見た。
きっと、神の奇跡の力で生み出されたこのメモ用紙なら、ヒトミとイクを確実に体に返すことができるだろう。根拠はないけど、確信できる。
コンはメモ用紙を強く握り、願う。
――ママとイクちゃんが幸せでありますように。
手の中で、メモ用紙が光りはじめた。
「まって、コン」
そのとき、ヒトミの声がした。いつの間にか、ヒトミは目を覚ましていた。
「まって、コン。まだ、一緒にいさせて」
ヒトミは布団を抜け出すと、コンの正面に立つ。
コンは首を横に振った。
「ごめん。ずっと、私のわがままに付き合ってもらって。たぶん、ママとゆっくり話せんの、これが最初で最後やと思ったから。ママ、生きて」
ヒトミは、今にも泣き出しそうな表情になる。それでも、必死に涙をこらえているようだった。
「じゃあコン、最後に料理、教えて。さっき食べさせてもらった、蕎麦といなり寿司の作り方、教えて」
ヒトミは早口でいう。コンは少し考えて、首を横に振った。
「ママはね、別の料理を覚えんとあかんと思うねん。セリカちゃんの好きな食べ物、教えて。作り方、教えるから。ママは、セリカちゃんとイクちゃんのママやねんから」
二人並んで厨房に立ち、ヒトミはコンに話しかける。
「私はね、未来に不安を感じていたし、それをあなたにぶつけてしまった。でもね、あなたのことが嫌いなわけじゃなった。ウソだと思うかもしれないけど、コン、あなたのことが大好きだった」
コンは小さくうなずく。
「うん。わかってんで。新聞記事、大事に持っててくれたから。玉ねぎ、みじん切りにして」
コンは電子レンジから玉ねぎを取り出すと、ヒトミの前にあるまな板に置いた。
「玉ねぎはな、電子レンジであっためると、目が痛くなりにくいねんで」
ヒトミはそっと玉ねぎに触れ、温度を確かめる。
「コンが児童養護施設に保護されたあとのこと、どうすればよかったんだろう、もしもやりなおしができるなら……そんなことばっかりぼんやり考えてた。仕事もいかなくないようになって、やめた、というか、クビになった」
それから、ヒトミは話しながら、コンから包丁を受け取る。
「持ち物をほとんど全部売って、お金はあなたのいた施設に寄付した。アパートも引き払って、電車に乗った。ふらふらと何度も乗り換えて、気がついたらこの町に来てた」
ヒトミは玉ねぎをきざみはじめる。その手つきは、ややぎこちない。
「夜だった。駅前のベンチに座っていると、あのヒト――ナオヒロさんが声をかけてくれたの。あのヒトは私を家に泊めてくれた。奥さんも、セリカちゃんもいたのに、本当に優しいヒト」
ヒトミの言葉の節々で、コンは相づちをうつ。
「ナオヒロさんは、私に家を紹介してくれて、仕事も紹介してくれて……私、話したのコンのこと。私が、子供を育てられなかったってこと。でも、全部、受け入れてくれ」
「ママ、やっといい人に出会えたんやね」
コンは後ろから、ヒトミの手を握った。
「ママ、包丁はね、こう使うねん」
コンに手を取られながら、ヒトミは玉ねぎをきざむ。
「なあ、ママ。さっき、これは罰やってゆうたやろ? やり直しができると思ったことの罰やって」
「うん」
「確かに、ママは私のことでは失敗した。それは変えられへん事実や。でもな、やり直しのチャンスを掴んだのも、事実や」
「……コン」
ヒトミは驚きの混じった声でつぶやく。
「失敗して、やり直しのチャンスを得られへんまま死んで、『想い』を残すヒトもいっぱいる。でも、ママは違う」
コンはゆっくりと、諭すように語る。
「私を産んだとき、優しいお母さんになりたいって思ったんやろ? その『想い』生きているうちに果たして」
「……コン」
「楽しかった。ママと、またこうして話しができて、ちょっとだけでも、一緒にいられて幸せやった。私はママを許す。全部許す」
ヒトミの目から、涙が落ちた。
「嘘つき。コンの嘘つき。目に染みないって、いったじゃない」
泣きながら玉ねぎをきざむヒトミ。コンは、ヒトミと同じ表情をしていた。
「こんな時間に料理ですか?」
いつの間にか、二階からイクが降りて来ていた。眠そうに目をこすっている。
「イクちゃん、今までありがとう。一緒にいられて、会えてよかった」
コンの言葉に、イクは何かを悟る。
「お母さんとの最後の料理になるんですか?」
コンはうなずく。
「セリカちゃんの大好物、ママに作り方、教えようと思って」
イクは、笑った。でも、どこか寂しそうだった。
「きっと、その料理、私も大好物です。手伝います」
イクは食材入れの棚を開ける。
ヒトミはチラリとイクを見ると、手元に視線を戻す。
「でも、自信がないの。また、感情的に怒鳴ってしまうんじゃないかって。手を出してしまうんじゃないかって」
「じゃあ、私は幽霊だから、お化けだから、ママのこと呪っちゃう」
コンは一度、深呼吸した。
「生まれてくる赤ちゃんにイクって名前をつけて。育てるって字、一文字でイク。それが私からママへの呪いやから」
早朝、サナの家に電話がかかってきた。
ヒトミが目を覚ましたと。
セリカはサナの母の運転するジムニーで病院にいった。
夜の闇と、朝日が交じりあう紺色の空。サナはパジャマの上からコートを羽織ると『和食処 若櫻』へ走っていた。
鍵を開け、扉を開く。
「あ、サナちゃん。いらっしゃい。こんな朝早くにどうしたん?」
テーブル席に、コンが座っていた。
テーブルの上には、スープ皿が三つあった。コンの前にある皿は空で、残りの二つにはシチューハンバーグが入っていた。一口だけ、食べた痕跡があった。
皿の横に、メモ用紙があった。鈍い光を放っていたそれは、光の粒子となって、消えていった。
「コン……ウカ様の力で二人を……」
サナの問いに答えず、コンはカーテンを開けたままの窓の外へ目をむける。
「私が生まれたの、早朝だったんやって。綺麗な紺色の空で、ママはね、それを見て私の名前をコンに決めてんて」
サナも、窓の外に目をむける。
紺色の冬空が広がっている。
冬も、もうすぐ終わりだな。
サナはぼんやりとそんなことを思った。
サナの家から二十分ほど。サナの母親の運転するジムニーにやって来た病院へやってきた。
病室へいくと、ベットに横たわるヒトミ、そして、その横に丸椅子を出して座るナオヒロの姿があった。
「セリカちゃん、ごめんね。心配かけちゃって」
セリカは首を横に振る。何度も何度も横に振る。
「私の方こそ、ごめんなさい。私ね、ヒトミさんのこと、嫌いじゃないんです。お母さんでもいいかなって、思ったりするんだけど、まだよくわかんなくて……だから、今すぐには無理でも、ゆっくり、近付いていくのは、駄目ですか?」
セリカが長い言葉を一気に言い切ると、ヒトミはうなずいた。
「うん。お互い、ゆっくりとでいいよね」
ヒトミはそういって笑った。
コンによく似た笑顔だった。
数日後。
『和食処 若櫻』
サナはいつものように、カウンター席で漫画を描いていた。
「なあ、コン。イクがいなくなってさみしくないか?」
手を動かしながら、サナは尋ねる。
「大丈夫やで、っていいたいけど、イクちゃんがいなくなるとちょっとさみしい」
「お母さんがいってたんだけど、もしもコンがその気なら、家で暮らさないか? 部屋も空いてるし、家も結界が張ってあるから、ここと同じようにモノに触れられるよ」
コンは鍋の中の湯に味噌をとくと、味見をした。
「うん、お世話になろうかな?」
コンと狐と明日の少女(コンと狐とSeason1) 千曲 春生 @chikuma_haruo
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