第4話

 その夜、特にやることもなかったので、早めにお風呂を済ませ、ぼんやりとSNSを見ていた。


 充実している人が自分の近況をアップし、充実していない人が「いいね」を押す。いや、充実していない人は「いいね」すら押さないかもしれない。俺は嫉妬のようなものを小さく心の中に感じていた。


 明日、花火大会があるらしい。そこに友達と行くことを伝える他人のストーリーを見て、俺はSNSを閉じようとした。


 そんなことをしているときに、石田からのメッセージが来た。


「俺、すごくいいこと思いついた。明日、夜おれの家で待ち合わせな。内容は明日のお楽しみってことで」


 新しい宣伝方法についてのことだろう。石田はこういう時、面白いことを考えるのが得意だ。少し石田に期待した。


「楽しみにしとく」とメッセージを送信し、一度は閉じかけたSNSもう一度見ようとしたとき、携帯が着信で震えた。電話番号を見ると、初めての依頼をくれた山田さんのようだった。


「もしもし」

「もしもし。先日、光るカビの依頼をした山田です。こんな夜分遅くにすみません。気になることがあったので電話をしてしまいました」

「どうされましたか」

「この前、光るカビを塗っていただいたのですが、それが少しはがれ始めていて」

「塗りなおしの依頼ですか」

「いいえ、それも依頼したいけれど、今電話を掛けたのは違う話についてです。もともと階段の塗装が剥げている段があったじゃない? その段の光るカビが取れてしまって。その部分を見たら、剥がれていたはずの塗装が直っていたの。私、塗装の剥がれた段の場所を、勘違いしているのかと思って確認したのだけれど、やっぱり場所は間違っていないみたい。あなたたちがやってくれたわけじゃないわよね」

「はい、そのようなことはやっておりません」


 なにか、絡まっていたものがほどけていく感覚があった。


「不思議ね。なんででしょう。ごめんなさい。これだけなの。夜分遅くにすみません。それではありがとうございました」


 電話は切れた。そういうことだったのか。俺の頭の中では光るカビの謎が一つにまとまろうとしていた。


 そうだ、と思い立ち、石田から分けてもらっていた、光るカビを持ってきて手に取った。わからない怖さもあったが、意を決してそのカビをすねの傷に塗った。すると一秒もたたない間に、傷は治ってしまった。これで俺の直感は確信に変わった。


 ずっとこのカビのエネルギー源が謎だった。もう一つ謎もあった。靴底の穴がふさがれたことだ。それらと、石田の家の窓枠が、光るカビを取り除いた後にきれいになっていたこと。山田さんの階段の塗装が直ったこと。そしてカビを塗ると傷口が直ったこと。すべてがつながっている。


 この光るカビのエネルギー源は「時間の経過」だったのだ。このカビは、くっついている対象物の「時間の経過」を吸収し、それを光ったり、増えたりするのに使っていた。このカビに接触したものは、「時間の経過」を光るカビに奪われることで、昔の状態に戻る。


 つまり、単純に言うと、この光るカビに触れたものは、昔の状態に戻ってしまうということだ。これによって、靴は昔の穴が開いていない状態になった。石田の窓枠は、昔のきれいな状態になった。山田さんの階段は塗装がはがれる前の状態になった。そして俺のすねは怪我をする前に戻った。


 もう一つ発見もある。この光るカビの「時間の経過」を奪う速度は対象物によって変わる。今わかることは、すねが一番、時間を奪われる速度が速いということだ。


 これは石田に黙っていることはできない。これを使って、また何か新しいことができるかもしれない。期待もあったし、不安もあった。「時間」という人類の超えられない壁を乗り越えるものかもしれない。 


 もう寝よう、と思って電気を消しても胸の鼓動は高まったままだった。この発見を石田に伝えるのが楽しみだった。石田は「明日、家で待ち合わせな」と言っていた。その時に言おうと決めてまぶたを閉じた。





 インターホンを押すと、家の奥から「ちょっと待ってて」と声がした。あの話を聞いたら石田はどんな表情をするだろう、と考えていた。あの事実に気づいてから石田に話すのを楽しみにしていた。

 暗い空に青白く光る三日月が何やら言いたげな様子だった。


「鍵開けたよ」と中から声が聞こえ、俺は期待とともにドアを開けた。


 その瞬間、俺は何が起きたのかわからなかった。そして、少しの時間がたった後、底の見えない絶望感とともに何が起こっているのかを悟った。


 石田がバケツ一杯の光るカビを俺にかけていた。石田自身も大量の光るカビをかぶっていた。


「今日、花火大会があるみたいだから、こうやって光りながら、花火大会の屋台とかを歩き回ったら話題になるんじゃない?」


 石田は満面の笑みでそう言っていた。しかし、こちらの焦りと絶望感におぼれた表情を見て何かを察したらしく、きまりの悪そうな顔をした。


「なんかダメだったかな?」

「ダメも何も、この光るカビのことを知っているのか?このカビは『時間の経過』をエネルギーにしてる。いや、こんな説明してる場合じゃない。単刀直入に言おう。このカビは触れたものを昔の状態に戻す。俺たちは昔の状態に戻る。過去の状態になる。これで意味は分かったか?」

「ちょっとわけがわからないけど、それ俺たちやばいってこと?」

「ああやばいよ。このままだと俺たち……」


 もう遅かった。バケツ一杯に入った光るカビは、薄着の俺たちの全身にかかっていた。


 肌が燃えるように熱くなってきた。身体を洗おうと風呂場に駆け込もうとするが、体がよく動かない。二人とも助けを呼ぼうと叫んだが、もう遅い。


 そういえば、すねだけやけに「時間の経過」が奪われるのが早かったな。人体は奪われるのが速いのかな。なぜか冷静になっていた。残された時間で俺は叫んでいた。


「お前と、光るカビを、やっていけたの、楽しかった。なんか、純粋に、何かに、熱中、するのは、久しぶりで、うれしかった。それに……」

「俺もだよ。お前が、このカビを、何かに、役立たせられるって、気づかなかったら、こんなこと、できなかった。本当にありが……」


 もう言葉も話せなくなった口でまだ懸命に叫んだ。でも、もう終わってしまうことは分かっていた。




五分後、アパートには二人の赤ん坊の泣き声が響き渡っていた。

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光るカビ 矢凪祐人 @Monokuro_Rekishi

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