第12話 「緊張、そして喜びと冒険」

「んん……」


 ウェイクブルクの南の端、冒険者専用住居の一室。

 鳥のさえずりと窓から差し込む朝日によって、俺はいつも通りに目を覚ます。重たい瞼を無理やりにこじ開け、枕もとの時計を確認すると、針は四時半ちょうどを指していた。


「少し早いな……」


 いつもなら五時ぴったりに起きられるのだが、流石に緊張しているのだろう。

 今日はあのイチカという女性冒険者とダンジョンに潜る。俺にとっては、誰かとダンジョンに潜ること自体が数か月振りのことで、平常心でいろと言う方が無理な話だった。

 俺はまだ寝ぼけている体を起こし、一つ伸びをして準備を始める。

 歯を磨いて顔を洗い、今日持っていく道具の確認。

 大量の残遺物トラッシュに薬、食料と水を点検しながらそれぞれをカバンに詰めていく。

 聖遺物レリックが扱えない俺にとって、残遺物トラッシュは生命線だ。普通の冒険者ならば、大抵の問題は聖遺物レリックで解決することが出来る。しかし俺は消耗品である残遺物トラッシュしか使えない。だから必然的に残遺物トラッシュの量が多くなるのだが、ここでも問題がある。


 それは、俺がソロ冒険者であるということ。

 本来、普通のパーティーならばそれぞれが荷物を分担し、効率よく食料などを運ぶことが出来る。しかし俺の場合はそのパーティーがいないため、全てを一人で運ばなければいけなかった。つまり、戦闘に必要な残遺物トラッシュ、傷を癒す薬、生きるための食糧を、バランスを考えて持っていかなければならない。

 無駄をなくし、効率を考え、どのような場面でも対応できるようシミュレーションする。

 命を懸けた戦いは、今この時からすでに始まっているのだ。

 入念な点検を終えて、荷造りを済ませた俺は、もう一度洗面台へと向かう。

 鏡に映るのは、一人のひ弱そうな少年。


――お前は、あの子を守り切れるのか?


 その問いを、俺は答えることが出来ない。

 あいつなら、俺たちのリーダーであるコウジなら、きっと違う。

 誰もが安心するような笑みを浮かべて、任せとけ、と言い切るのだろう。


「お前がいてくれたら……」


 そんな言葉を吐く目の前の少年は、やっぱり弱そうだった。

 顔は恐怖で引きつり、瞳は不安で揺れている。

 こんな奴がよくあんな大口を叩けたもんだなと思わなくもないが、今更そんなことを言っても仕方がない。

 俺は一つ息を吐くと、ズボンのポケットから二つの小瓶を取り出した。

 一つには赤紫色の液体が、もう一つには青紫色の液体が、それぞれ小瓶の中で怪しい光を放っている。


――また爺さんにどやされるな……。


 そんな見当違いのことを考えながら、俺はその小瓶に入っている二つの液体を一気に飲み干した。









 自分の家を出発した俺は、いつも通っている大通りを進み、中央区の大広場に出る。

 石畳で舗装されたその円形の広場には、早朝にも関わらず多くの冒険者が募っていた。

 それもそのはず、いま俺がいる大広場には、この街で唯一のダンジョンであるシュベルツガルムの入り口があり、ここは冒険者たちの集合場所として使われている。

 かく言う俺もその一人で、忙しそうに行き来する冒険者をわき目に、俺は目的の少女を探す。


――まだ来てないのか。

 目深にかぶったフードを少し上げ、集合場所である広場の噴水付近に目を配る。しかし昨日会った少女の姿はどこにもなかった。

 おかしいなと思いつつウエストポーチに入っている時計を確認すると、時刻は六時半を過ぎたところ。約束の時間は七時なので少し早い。


「緊張してるな……」


 苦笑しつつ、思わずそう呟いてしまう。

 ダンジョンに潜る際に緊張するのはいつぶりだろうか。

 少なくとも、ここ数か月はないはずだ。


「まるで初心者みたいだな……。いや、初心者か」


 冒険者としてはそれなりに経験を積んできた。

 コウジ達を失ってから、ほぼ毎日ダンジョンに潜り、技術を磨いてきた。

 そこら辺の冒険者には負けない自信もある。

 しかし、それらを含めても、俺は初心者の域を出ないだろう。

 その最大の理由が、ソロということ。

 通常、冒険者の実力を個人単体で評価するということはない。


 いついかなる時でもパーティーとして行動している彼らの評価は、パーティーでランク付けされる。

 それは連携の練度や判断の速度、そして統率力の有無が彼らの生存率を飛躍的に上げるからだ。

 シュベルツガルムという地獄では、どれだけ個人が強くても意味をなさない。

 仲間との連携。

 これなしに生き残ることなど不可能で、俺のようなソロではそう遠くない未来に必ず行き詰まり、死ぬことになる。

 ゆえに、俺のようなソロは初心者どころか、実際には冒険者ですらない。


「まぁ、もう冒険者になりたいとも思わないけどな……」

 俺はもう一度苦笑すると、無駄な思考に終止符を打ち、先に手続きを済ませてしまおうとダンジョンの入り口へと足を踏み出す。

 しかしその時だった。


「ちょっとどこに行くのよ」


「!?」


 背後からの突然の声。

 それに驚いて後ろを振り向くと、そこには俺と同じようにフードを目深にかぶった一人の女性がいた。


――だれ?


「あ、あのー、失礼ですがどちら様で……」


「なに寝ぼけたこと言ってんのよ。私よ」


 そう言った彼女はかぶっているフードを少しだけ上げる。

 そこには力強い光を宿したブラウンの瞳があった。


「もしかして、イチカか?」


「当たり前でしょ。ほかに誰がいるのよ」


「いや、まぁそうなんだけど……」


 目の前の光景に、思わず生返事をしてしまう。

 先ほど広場を探したとき、彼女は確かにいなかった。

 もちろん、他にも大勢の冒険者がいるため俺が見つけられなかったという可能性もある。だが、ソロで活動しているため、俺は人よりもそういった索敵能力に秀でている。

 そう思っていたのだが、緊張とは末恐ろしい。

 もっと精進しなければ、と決意を新たにする俺をしり目に、なぜか彼女は俺に呆れた眼差しを向けていた。


「な、何か?」


「……本当にその装備で行くの?」


 その言葉に、俺はやっと彼女の怪訝な視線の意味を理解する。

 冒険者の装備は意外と軽装だ。

 必需品が入ったリュックを除けば、武器と防具のみ。バックスと呼ばれる後衛兼荷物持ちのいるパーティーでは、リュックを持っていない冒険者もいるほどだ。彼女もそういうパーティーを経験しているのだろう。

 彼ら彼女らから見れば、俺の装備に驚くのも無理はなかった。


 なんせ俺の装備は、鉄製の胸当てに両腰に二本ずつの剣、その上から白い冒険者用ローブをまとっている。背中にはバックスが背負うような大きなリュックが一つ、後ろの腰にはウエストポーチが二つ、さらにリュックと背の間には三本の長杖、装飾品は指輪にピアス、ネックレスとホスト顔負けの数だ。

 普通の冒険者なら明らかに多すぎる。

 どう考えても異常だろう。

 しかしその常識が通用するのは、聖遺物レリックを扱える冒険者だけだ。

 消耗品である残遺物トラッシュしか使えない俺にとっては、これでも少ないほうだった。

 それを理解してか、彼女は小さく息を吐く。


「あなた本当に聖遺物レリックを扱えないのね」


 その言葉は蔑んだり哀れんだりしているようなものではなく、純粋な驚きのそれ。

 だが俺はどんな表情をしていいのか分からず、思わず彼女の綺麗な瞳から目をそらしてしまう。

 その時だった。


「あれ?」

 不意の呟き。

 それに視線を戻すと、彼女は俺の顔を見つめていた。

 厳密には俺の左頬。


「その刺青タトゥーどうしたの? 昨日はそんなものなかったわよね?」


 彼女の言葉に、俺はしまったと心の中で呟く。

 昨日、彼女に初めて会ったのは薄暗い脇道だったので俺の顔はよく見えず、目を覚ました時には刺青これはなくなっていた。

 つまり今の俺、冒険者用の俺の顔を彼女が見るのは、今日が初めてということになる。

 もちろん、説明できないわけではない。

 でも、できれば今の段階では隠しておきたい気持ちもある。


――どうする?


 心の中の葛藤。

 彼女に隠し事はしたくないという思いと、面倒ごとに巻き込みたくないという思い。

 その相反する考えに言い淀んでいると、それを知ってか知らずか、彼女は息を吐いて一言。


「別に言いたくないなら言わなくていいわよ」


「え?」


 その思わぬ言葉につき聞き返してしまう。


「何よ」


「いや、気にならないのかと思って……」


「そりゃ気になるわよ。でも、昨日今日知り合ったばかりの人に全て話せなんて無理な話でしょ? ――だから、あなたが話せると思った時でいいわよ」


 イチカはそれだけ言うと、呆けている俺を追い抜きスタスタと一人でダンジョンの入り口へと歩いて行ってしまう。

 その背中は、心なしか恥ずかしそうで、思わず笑ってしまう。

 こんな気分になるのはいつぶりだろうか。

 冒険の前に和み、仲間の隣りに立てることへの喜びを感じるのは。


――俺にも、またこんな時が来るとはな。


 そう思いつつ、俺はその冒険への一歩を踏み出した。

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悲しくも美しいこの世界で 静観 啓 @oganaineko

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