第4話
バンは赤信号を渡る犯人に遠くからクラクションを鳴らしたが、既に犯人が隣の車線へと踏み込んでいたためブレーキを踏んだ様子はなかった。
私は走る速度を落としてタイミングを合わせ、それからわずかに交差点に飛び込んだ。ぎりぎり車が避けられる余地は残っていたはずだ。私に向かって巨大な鉄の塊が恐ろしい速度で突っ込んでくる。
そしてバンは、交差点に飛び出してきた私を避けるために、急ブレーキを踏み右側に大きくハンドルを切った。
タイヤのゴムがパニックを起こしたような甲高い音を立てた。車体が大きく弧を描き、スリップしながら尻を滑らせていく。私のほんの数メートル先を行く犯人に向かって。
重い粘土をぶつけ合うような音がしたのち、響いていたスリップ音がやんだ。車体がわずかに跳ねた際のごとんという重い音も聞こえた。
後続車とは距離があり、玉つき事故には発展しなかった。あとから来た車が次々に停止する。バンの運転手は動揺した様子でゆっくりと車を下りてきた。
犯人が地面に転がっている。遠くからその形を見て、人だと判断するのは難しいだろう。比較的新しい舗装の上に、ブレーキ痕や赤黒く光るものが飛び散っていた。
犯人は車体の側部に激しく衝突し、つんのめるようにはね飛ばされ、そのまま車体の下敷きになった。車体の勢いはなおも止まらずスリップを続けた。頭蓋骨は横方向に押し砕かれ、車はそのまま頭皮や背面の皮と脂肪と肉を削いで、反りかえる体の各部の骨をおかしな方向に曲げてからようやく、犯人の上を通過し終えていた。
脳が露出してなお、犯人の体は一二分程、末端の筋肉に細かな反応があった。しかし終いにはそれも収まり、犯人は完全に沈黙した。パトカーも救急車もすぐに到着したが、間に合うはずもなかった。
私は関係者として話を聞かれた。
ゆうこの事などを話したが、交差点に飛び込んだのは気が動転していた体を装った。運転手には申し訳なかったが、今は罪悪観を感じている余裕もなかった。
犯人に心当たりがないか女性の服装や未だ確認できる範囲での身体的特徴などについての確認を求められた。
女性という言葉を聞いて初めて、相手の性別も分からない程に実際気が動転していたのだと気づいた。
死体を見るのは気持ちが悪かったが、犯人がどんな人物なのか、憎しみと共に確かめてみたくもあった。
恐る恐る近づいて、そしてすぐにわかった。それは知人であった。
知人という表現すら適切ではない。
それは母であった。
理解が追いつかない。
脳の中身が器いっぱいの蟻と入れ替わったようだ。じわじわと蠢くばかりでまるでどんな解答も生み出さない。朦朧とした意識の中ぼんやり視線を上げる。
交差点の向かい側。大勢いる野次馬たちの一人と目が合った。
警官の誘導のもと行き来する車のヘッドライトに照らされ、その男の顔が濡れて光っていた。まるで今まで走り続けていたかのようにびっしょりと汗をかき荒い息をしている。知らない男だった。知らない男だが、その男は目が合うと、慌てたように背を向けて走り始めた。
再び、走り始めたのだ。
追う人 平原 @otiron
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