第二章 翡翠のエンヴレイム

1.新・英雄譚

 突如として現れた予想外の存在に一番驚いていたのはアケミだった。

「……なにしてんのよコイツ、バカなのかしら」

 振り絞ってひねり出した言葉は、呆れ交じりの罵倒。あきらはそれを聞いて少し、安堵の表情を見せる。

(さっきの戦闘か、それとも治癒の影響か。どちらかの作用で紋章が覚醒したのね……。ま、今日会った頃から私の紋章術の干渉を全く受けていなかったし、元々素質はあったのでしょう。でも……、だったら尚更、御剣清蓮こいつの力は強大であんたが聖魂紋章エンヴレイムを覚醒させた程度じゃ何一つ状況は変わらないって解る筈よ)

 舞台に立つことではじめて演じている者達の凄さが解るように、観客席では決して味わうことの出来ない感覚、気配、プレッシャーを聖魂紋章という力を手にしたことで翠も感じている筈。

 しかし彼女のその憂いは翠には届かない。


 彼の聖魂紋章が初々しい輝きを放つ。

(よくわかんねぇけどとりあえず、やれるだけやれ! 聖魂紋章エンヴレイムがあれば何だってできる……!)

 それは、奇妙な体験だった。するり、と親しい知人の名前を口に出すように。今まで知らなかった【聖魂紋章】という単語が自然と脳裏に現れる。

 彼にとって、この紋章についての認識はアケミにも同じものがあったな、程度だった。しかしそんな朧気なものが自分の手の甲にも現れて初めに目にした時、訪れたのは全能感と安堵感。

 自分が自分では無くなったかのような劇的な変化を遂げたというのに、そこに驚きはなく。寧ろ、聖魂紋章が初めから自分を構成する要素の一部だったかのような、妙な一体感があった。

 心臓が脈打ち、血液が血管を通う度に身体の奥底からとてつもない力が湧き出てくるのを感じ取る。


 どうして自分がこんな力を発現させたのか、どう使えばいいのか、何一つ解っていない。だが翠が行動を起こせば、紋章は主に従う従者のように力を貸してくれる。

 故に少年は何も考えずただ力を振るった。


(この力があれば。こんな奴、怖くもなんともねぇ……! 決して強がりなんかじゃあない。確固たる確信を得た!)

 此処にいるのは非力で無力な逃げるだけの弱者ではない、と。翠の中で異常なほどに強い自信が芽生える。


 肝心の力の扱い方、何をどうして、どのように聖魂紋章を行使すればいいのかという知識は、紋章自身が授けてくれた。

 内に流れる力について、紋章について、眼前の脅威を打ち砕く術について。それらが走馬灯のように、映像として流れ込んでくる。

 だから簡単だった。翠は、赤子が立ち上がるように、鳥が空を飛ぶように、息を吸って、吐くように、生命に備わった機能を行使するように紋章を起動させた。


紋章開放エンヴレイム・エヴェイユ


 開放を謳う言葉と共に、が枷から解き放たれたのか。紋章から流れる力がより一層強さを増し、その作用によるものか脳裏で誰かが囁いた。

【手を前へ】

 翠はただその声に従い、左手を前に突き出し本能のままにそれを発動させた。


 現れた、極光。


「――ッ!!」


 翠の前方の空間に出現した光は線のように一直線に伸び、清蓮に迫る。

 命の輝きコスモスというエネルギーそのものである極光は質量を持ち、清蓮の肉体を弾くと後方へ押し退けたと思えば即座に爆ぜ。眩い光が彼を呑み込んだ。

 光が止んだその場は抉られたかのように周囲の物質が消滅して、清蓮の姿は見えない。標的の消失に翠は勝利を確信した、が。


「実に、ああ。実に不愉快だ」

 上空。敵対者の声が少年の能天気にズシリ、と降り注ぐ。

「この程度の力が、僕の代わり? ハハ。ふざけるのも大概にしろ」

 怒りに満ち満ちた声。

 極光が爆ぜた瞬間、回避行動を取り電柱の上へ跳躍していた清蓮。見下すように翠を睨むその身体に攻撃による外傷はなく、それどころか汗一つかいていない。清蓮は翠を敵として捉えているものの、脅威であるとは微塵も思っておらず。それを表すように淡々と言葉を述べた。

「お前の存在は無意味だ」

 眼下にいる者がこの世界に選ばれた新たな英雄だとしても、御剣清蓮にはそれを屠る覚悟と自信があった。

「僕はもう用済みなんだろう? だったら好きにやらせてもらうさ……!」

 どんな役であれ。清蓮は自身の役回りがハッキリとしたことに清々しい気分を覚えていた。故に彼の表情は、いままで喜怒哀楽のうち【怒】か【哀】しか見せていなかったというのに、【喜】に満ち溢れていた。


 翡翠の聖魂紋章が唸る。


 呼応か拒絶か。御剣清蓮が下す命令に聖魂紋章が反応を示す。


『ギギギギギギギギギギギギ』


 翡翠の光を放つと共に、聖魂紋章が音を発する。同時に空気が澱む。


「ッ……。あの子はこんなのと闘ってたのか、すげぇな」


 同じステージに立った今だからこそ、アケミという少女の凄さ、胆力を知り率直な感想を述べる。空気が澱み、風が頬を掠め、雲が動く。環境を変化させるほどの力。けれどもそれを前にしても翠には何故か余裕があった。

(夢みたいな、現実じゃないみたいな。おかしいな、俺いまふわふわしてる。ちゃんとしなくちゃならないってのに。……こいつのせいか?)

 左手の甲で存在感を示す紋章に意識を向ける。これが呼び起こす力が気分を高揚させているのだろうか? 絶好調と言えるくらいに気分、体調共に優れ、頭は冴えて何処までもクリア。


「とりあえず先手必勝! 溜め攻撃なんてやらせっかよ!」


 先程と同様に極光を解き放つ。ソレは翡翠の風を渦巻かせる清蓮の元へ奔り、その身を砕かん勢いで激突。しかし光は寸でのところで翡翠の風に散らされ四方へと軌道を逸らされる。

 視界を遮る極光を薙ぎ払い、愚者あきらに狙いを定めようとする清蓮。


 しかし予測したポイントに標的は居らず。彼は眉をしかめた。


「ン? 何処に――」

「ここだよ、バカ!!」

 清蓮の真後ろから発せられる返答の声!

 なんと翠は自身が放った眩い光に隠れ、清蓮が立つ電柱の下へ駆けると一呼吸の内に高さ数メートルはある柱を上り詰めていたのだ。

「やってて良かった新体操!!」

 聖魂紋章によって強化された翠の身体能力は清蓮の意表を突き、千載一遇のチャンスを生み出した。先程放ったものと同じ極光――力の塊――を、今度は放たずに拳に留めたまま。渾身の力で清蓮を殴りつけた。


「あの子の代わりパンチ! 喰らっとけや!!」



 

 

 

 

 

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翡翠のエンヴレイム 麻婆生姜焼き @ReQu-Ru

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