第10話 彼女が水着に着替えたら

 太鼓とかねが聞こえた。

 その響きは硝子ガラスの風鈴を連想させる。丸っこいカラフルなものが、乾いた音をたてながら揺れていた。

 もう祇園祭ぎおんまつりか……


 祭りが夏を連れて来る。それがいつもの夏のルーティーンだった。

 期末試験が終われば、まもなく梅雨も明けるだろう。そうなれば、あとはもう、お楽しみの夏休みを待つばかりだ。



 ただ……

 今年のオレたち中学三年は、どうやら出来が悪いらしい。だから全国の統一模試が始まる前に、夏休みの補講があるんだって。面倒くせぇ……


 でもそんなの関係ねえ、って感じで、オレの頭の中は、夏色一色だった。


 絶対、彼女と一緒にお祭りに行くんだもん。そう決めたんだ。

 あっ、海でもいいかなぁ…… 


 あーもう、楽しみだぁ……



    * * *



 クラスの誰もが、オレと同じように夏休みを心待ちにしていることは、教室内に漂う空気で分かった。

 後ろの方の席で、悪友どもが何やら盛りあがっている。


「さっきさぁ、女子じょしがキャッキャしてたからよぉ、何?って聞いたらね……」

「え、何なに?」

鹿島環奈カジマカンナが新しい水着買いに行くんだって」

「マジか! 試着、見たいなぁ」


 カンナはクラス随一と言っていいほどの、大きな胸の持ち主だ。

 男の悲しいさがで、自然とオレも聞き耳を立てていた。


「しかも……ウフ……ビキニだってょ」

「ウホウホッ!」

「なんだよ、お前。ゴリラかよ」


 オレの頭の中で、言葉のひとつひとつが映像化されてゆく。


「カンナと仲良しの佐倉奈緒さくらなおはさぁ、どんなの着るのかなぁ」

「アイツ最近よぉ、ニキビだぜ」

「……シャレかよ、ったく。でも文学少女の水着って、想像つかねぇー」



 ん?なんだ? 奈緒の……水着だと?

 オメェら、オレの彼女に対して、変な妄想をするでないゾ。


 オレは心の中で、悪友たちを叱り飛ばす。だが……

 確かに奈緒がプライベートで着る水着って、すぐにイメージ出来ない。はたして、どんなの着るんだろう……




♪キン〜 コン〜 カン〜 コ〜〜ン……


 昼休みが終わり、五時限目が始まる。


「あ、じゃぁこれ、クイズな。放課後までに俺が聞いておくから。お前ら、奈緒が持っている水着、考えておけよ」



……オイオイ、本気かよ。セクハラだぞ、それ。 と、注意したかった。

 だが、オレが奈緒を好きなことは、まだ誰にも公言していなかった。

 中途半端な正義感を、オレはそっと、自分の胸に仕舞い込む。



 困ったもんだ。オレの頭の中から、奈緒の姿が離れなかった。この五時限目は、まったく授業に身が入らない。


 ゲスの極みだな、オレ……

 そう自覚しながらも、妄想が止まらなかった。




 以前から悩みの種だった奈緒のニキビは、この梅雨に入ってから、少し良くなってきたと聞いている。

 気がついたら妄想の中でオレは、奈緒の「お肌お悩み相談」に乗っていた。


「海の塩分は洗浄効果があるから、いいかもよ」

 そんなことを言いながら、一所懸命に彼女を海へと誘い出していた。


 潮騒が聞こえる。二人を照らす陽射しが、気持ちよかった。奈緒は早くも水着に着替えている。


 正面から見た彼女の水着は、ごく普通の花柄ワンピースだった。裾が僅かにスカート状になっているのがカワイイ。


 奈緒が後ろを振り向く。

 背中は大胆にも完全オープンだった。いかにもキメ細かな色白素肌が、オレをドキリとさせる。

 細い紐がクロスしながら、正面側の生地に結び付く様子が、たまらなくセクシーだった。


 もっと、奈緒を眺めていたい……




♪キン〜 コン〜 カン〜 コ〜〜ン……

 

 あっという間に、五時限目が終了する。授業中、あんなに静かだったのに、放課後の教室は急に騒がしくなる。

 六時限目が無いだけで、生徒たちは妙に生き生きしていた。



 例の悪友の中心人物が、ニヤニヤしながら戻って来た。


「奈緒の水着……何だと思う?」

「まぁ、地味なワンピースだろ」

「いゃ、意外と大胆な……」


 皆、口ぐちに応える。


「正解は、何と……」

「何?」「早くぅ」


「正解は…… 」

「うん……」


 皆が固唾かたずを呑んで、次の言葉を待っていた。


「水着、持ってない…… でした」

「うゎ、ヤラレタ」


 なぜだかほんの少しだけ、ホッとしているオレがいた。





 なんだか急に、奈緒がいとおしくなり、一緒に帰りたくなった。


 さほど広くもない教室内を探すが、こんなときに限って彼女が見当たらない。

 さいわいカンナがいたので、奈緒の行方を訊いてみる。


「あぁ、奈緒ならね。水泳部の友だちに、プール掃除手伝って欲しいって頼まれて、もう行っちゃったよ。なんかブツクサ言ってたけど」


「ありがと」

 

 カンナに礼を言い、オレはプールに向かった。



 この暑さでプール掃除なんて、大変だな。

 まさか奈緒、スクール水着で掃除……じゃないよな…… 

 もしそうならオレ、一緒に手伝ってもいいかな。



 先程の妄想を、まだオレは引きずっていた。



 金網が張られたフェンスに、デッキブラシが立て掛けられている。その向こう側に、体育のハーフパンツに着替えた奈緒の姿があった。


 ヘアゴムをくわえながら、両手で髪をポニーテールの形にまとめ直している。

 テツローの姿に気づき、曖昧な笑みがこぼれた。


「暑いのに、ご苦労さん」

「本当。ご苦労よ……ね」


 一筋の汗が逆光に輝き、奈緒の頬を伝う。あごの辺りにポチッとニキビが目立つものの、その素肌は唇を這わせたくなるほど美しかった。

 呆けたように、その顔を見つめる。

 

「最近……キレイになった?」

 テツローが、そうつぶやいた。

「え! …………そんな」

 戸惑いを隠せない奈緒……


 ほんの少し、時間が停まった。

 




「奈緒〜、何やってんのよ〜」

 水泳部の声が、奈緒を現実に引き戻す。テツローのひと言にポーとしていた。


「で、何の用だった?」

 照れ隠しが、突慳貪つっけんどんな物言いになってしまう。アタシ、忙しいのに、という顔だった。



「あ、うぅ海、行こうよ……」

「え?」

「あ、今じゃないけど。あ、でも水着、無いんだよね」

「はぁ?」


 暑さとKYな会話が、奈緒をイライラさせる。それが痛いほど、伝わってきた。

 テツローは速攻で、この場を撤収した。




「あぁ、タイミング間違えちゃったな……」


 テツローは独り、自宅のベッドに転がり凹みきっていた。

 煤け汚れた天井を見つめる。


「この夏、終わったな。もう、ダメ……」




 ブブー ブブー…… 

 携帯が鳴っている。

メールだった。奈緒からだ。

 画面をけた。



「水着…… どんなのが好き?」




 一転、オレの夏の扉が、いま開いた。

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二人はクサい仲 nekojy @nekojy

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