人食い岩

湖城マコト

霧残村

「最寄りのバス停から徒歩一時間。もはや秘境だな」


 新部にいべ敦也あつやは都心から遠路はるばる、地方の山間部に位置する霧残きりのこりと呼ばれる村を訪れていた。点在する家屋の大半が年期の入った木造建築であり、昭和中期の世界にでも迷い込んだ心地だ。


 交通の便が悪いことは分かっていたが、最寄りのバス停から山道を一時間も歩くことになるとは予想以上だった。バリバリの運動部だった学生時代が懐かしいと、三十半ばの膝は笑う。


 新部の生業はフリーライターで、主に心霊や超常現象といったオカルト系の記事を手掛けている。そんな新部が霧残村を訪れた理由はもちろん取材のためだ。


 ある筋からの情報によると、霧残村には「人食い岩」と呼ばれる洞窟が存在し、そこに迷い込んだ者は二度と生きては戻れないという。なんとも胡散臭い話ではあるが「人食い岩」という名称はインパクトがあるし、場所に雰囲気さえあれば後はそれっぽく、恐怖心をあおるような文章にしたててやればそれでいい。


 新部は基本的にオカルトを信じていない。たまたまオカルト系の記事で評価を受けてしまったから、その路線を進むことを決めただけ。新部にとってオカルトとはロマンではなく、ビジネスのための道具に過ぎないのだ。


「見ねえ顔じゃな」


 新部が村の入り口で息を整えていると、農作業帰りの老齢の男性が声をかけてきた。表情には警戒心が見て取れる。

 霧残村はいわゆる限界集落で人口も数えるほど。観光名所もなければ特産品の類もなく、交通の便の悪さから村外に暮らす親類さえも滅多に訪ねてこない。外部の人間の来訪はそれだけで目立つ。


「突然すみません。私はフリーライターの新部と申します」

「ライター? 何でこんな村なんかに」

「実は人食い岩を取材したいと思っていまして」

「人食い岩? ああ、あれのことか。あんなものが取材したいなんて変わり者じゃな」


 いぶかしむような態度は徐々に軟化し、老人は愉快そうに口角を釣り上げた。都会からやってきたフリーライターだと聞いて、警戒心より好奇心のほうが勝ったのかもしれない。


「詳しく知りたいのなら織吉おりきちさんに聞くのが一番じゃな。村の相談役で何でも知っておる。家まで案内してやろう」

「よろしいのですか?」

「今日の仕事はもう終わったし。何だか面白そうじゃからの」


 初めて会った相手が友好的で良かったと新部は息をで下ろした。事情に詳しい人物まで紹介してもらえて、ずいぶんと取材がやりやすくなる。


「あまり人気ひとけがありませんね」

「ぽかぽか陽気じゃから。みんな家で昼寝でもしてるんじゃろ。ほれ、織吉さんの家じゃ」


 人気のない村の中心を進んでいくと、相談役だという織吉の家が見えて来た。


「織吉さん、客人を連れて来たぞ」

「おやおや竹蔵たけぞうさん。客人というのは?」


 新部を案内してきた竹蔵老人が家の中へ呼びかけると、直ぐに織吉が姿を現した。歳の頃は七〇前後といったところだろうか。しわや白髪こそ目立つものの、背が高く姿勢も良いので存在感がある。十分に若々しい印象だ。


「フリーライターの新部と申します。実は雑誌の特集で人食い岩の記事を書きたいと考えておりまして、霧残村には取材のために訪れました。竹蔵さんから織吉さんが事情に詳しいと伺いまして」

「取材ですか。最近流行っているのですかね? 先月にもあの場所を見たいと若い方が尋ねてきましたが」

「私の同業ですか?」


 人食い岩の噂は何も新部だけが知っているというわけではない。自分以外に態々こんな僻地へきちにまで取材に来るもの好きはいまいと高をくくっていたが、同業者がすでに取材済みなら記事が二番にばんせんじとなりかねない。


「いえ、たぶん違うと思いますよ。今時なものにはうといものでよく分かりませんが、確か動画の配信者をしているとか言っていましたよ。二十歳そこそこくらいでしょうか。ずいぶんとお若く見えましたがね」

「なるほど、動画配信者ですか」


 ならばとりあえずは問題ないと新部の不安は薄まる。取材に来る前にインターネット上でも「人食い岩」について調べたが、「人食い岩」を撮影した動画などは見つからなかった。まだ動画を編集中という可能性もあるが、取れ高がなく企画自体が立ち消えた可能性も十分に考えられる。念のため後で動画投稿サイトは確認しておくべきだろう。山奥で通信状態が不安定のため、どちらにしろ今はネットに繋げない。


「もしよければこれから行ってみますか? 私と竹蔵さんとでご案内しますよ」

「よろしいんですか? 初対面でそこまでしていただいて」

「村に来客とは珍しいですからな、私どもも楽しいのですよ。それにあの辺りは足場が悪くて危ないですからな。土地勘のない方を一人で行かせるわけにはいきません」

「お言葉に甘えさせていただきます。お礼はいずれ」

「そんなもの気にしないでください。とりあえず一度家にお上がりなさい。目的地はさらに山深いですからな。少し準備をしないと」

「何から何まですみません」


 笑顔の織吉に招き入れられ、新部は家の敷居をまたいだ。


 ※※※


「大丈夫ですか新部さん。息が上がっていますよ」

「お恥ずかしい。完全に運動不足ですね。それに比べて織吉さんと竹蔵さんは凄いです。険しい山道をすいすい進んで行かれる」

「幼少期から慣れ親しんだ山ですからな。このぐらいは朝飯前ですよ」


 目的地へと続く山道の険しさは村へやってきた時の比ではない。新部は強がる余裕もない程に疲弊ひへいしていた。着ているポロシャツには大量の汗が沁み込み、絞れば土を湿らせることが出来そうだ。


 そんな若造とは対照的に二人の老人は非常に元気で、竹蔵は軽快な足取りで先頭を行き、その後に続く織吉も積極的に新部に声をかける余裕ぶり。山を知り尽くした老人たちはとてもパワフルだ。


「安心しな。ようやく目当ての場所に到着じゃぞ」


 木々の生い茂る山道を抜けると、ゴツゴツとした岩場が点在する地帯へと出た。よく見ると岩肌には洞窟らしき穴が確認出来る。


「あの洞窟があなたの言う、人食い岩と呼ばれる場所ですよ。実際のところはただの洞窟なんですがね」

「あれが人食い岩……」


 二人の老人を前に流石に表情には出さないが、拍子抜けしたというのが新部の正直な感想だった。


 まじまじと観察すると洞窟の入り口には上下に牙のような形が見て取れ、洞窟の位置が口だとするならば、岩肌全体が巨大な鬼の顔のように見えなくもない。誰が言い出したか知らないが、巨大な鬼の口に飲み込まれる様に見立てて「人食い岩」などと名付けたのだろう。オカルト的な要素など何もない。これではどちらかというとただの映えるスポットである。


「近くで見てみますか?」

「そうですね。お願いします」


 遠路はるばるやってきて収穫無しでは割に合わない。せめて入口や内部の写真でも撮って、そこに創作でおどろおどろしいエピソードを付け加えてやろうと新部はプランを決めた。


「中は暗いからこいつを使いな」

「ありがとうございます」


 用意のいい竹蔵から懐中電灯を受け取り、新部は懐中電灯で照らしつつ洞窟内部を覗き込んだ。蝙蝠こうもりが出やしないだろうかと緊張した瞬間、新部は奇妙な感覚を得た。洞窟の奥の岩壁は照らせているのに、地面が照らし切れていない。それに加えて近づいた時から嗅覚を刺激している悪臭。その発生源はこの洞窟のようだ。野生動物の死体でも転がっているだろうかと新部は懐中電灯の明かりを動かす。


「すまないね」

「なっ!」


 声に反応した瞬間にはもう遅かった。織吉と竹蔵の二人に山歩き用のストックで背中を勢いよく突かれ、新部は洞窟内に前のめりに倒れ込んだ。その体は直ぐに地面へと転ばず、六、七メートル落下した。


「あっ――があああああああああ」


 ゴツゴツとした洞窟の地面への落下となれば無事では済まない。右足を襲った感覚に絶叫し、新部は暗闇の中でのた打ち回る。右足が確実に折れている。


「……何だ?」


 のたうち回っている間に右手がぶよぶよした物体へと触れた。見てはいけないと理性が警告するが、一瞬だけ足の痛みも忘れ、新部は左手に握りしめていた懐中電灯で右手付近を照らした。


「うわあああああああああああ!」


 足を折った瞬間に匹敵する絶叫が木霊する。新部の右手が触れていたものは、腐敗が進み崩れかけた人間の死体であった。死体は若者に人気のブランドのティーシャツやスニーカーで全身を固め、右手にはビデオカメラを握りしめていた。


「先客とは出会えましたかな? 腐りかけの死体があるならそれが、さっきお話しした動画配信者の若者ですよ」


 織吉が頭上から穏やかな表情で新部をライトで照らした。人を突き落とし重症を負わせておきながら、恐ろしいまでに平常心を保っている。


「……織吉さん。これはいったいどういうことだ。何で俺をこんな!」

「この場所に興味を示すからいけないのですよ。この場所は霧残村の暗部。探られては困る」

「こ、ここはいったい何なんだ!」

「冥途の土産に教えてさしあげましょう。よく周りを御覧なさい。死体はその若者だけではないはずだ」

「……これは」


 懐中電灯で辺りを照らしてみると、腐乱死体と別に大量の人骨が散乱している。その数は十や二十ではきかず、中には長い年月をかけて風化したものまで存在する。


「口減らし、うばて、時には裏切者の始末まで、この洞窟は人間を放り込む廃棄場なのです。だいぶ目も慣れてきたでしょう。この洞窟は変わった構造をしていましてね。外観は横穴なのに、入ってすぐに深く落ちる縦穴なんですよ。おまけに入口の真下はねずみがえしになっていて一度落ちたら自力で上ることは不可能。ただ死を待つことしか出来ません」


「……何で俺をそんな場所に」


「過疎化が進み、近い将来この村は消滅することでしょう。最後の世代である私達は平穏に村を終わらせたい。人間を生きたまま洞窟に廃棄していたなどという凄惨な歴史を、いまさら表に出すわけにはいかないのです」


「だ、だからって俺まで洞窟に放り込むなんて正気の沙汰じゃない。俺はこの村の秘密なんてまったく知らなかったのに」


「確かにあなたは何も知らずにただ、人食い岩という名前に引かれてやってきただけなのでしょう。ですがね、きっかけはどうであれこの場所に興味を示した時点であなたは危険分子だ。取材の過程で真実を知る可能性を無視出来ない」


「だったら、態々こんな場所まで案内せずとも、適当に言いくるめて追い返せばよかっただろうが!」


「確かにそれが一番平和的ではありますが、恨むなら先月訪れた若者を恨みなさい。あなたの言うように当初は私達も彼を適当な理由をつけて追い返そうとしました。ですがね、彼は納得したふりをして隙を見て一人でここまでやってきた。そして内部の様子をカメラに収めてしまった。こうなればもう始末するしかないでしょう。幸いなことにそれに相応しい場所が目の前にありましたからね。


 そのことで私達は学んだのです。話題を求めてやってきた人間を平和的に帰すのは難しいと。だったら始めから友好的なふりをして始末してしまった方がよっぽど簡単だ」


「……そんなことって」

「あなたはこの村に来るべきではなかったのですよ」


 ライトの明かりを上げ、織吉と竹蔵はその場から立ち去るような素振りを見せる。このままでは不味いと、息も絶え絶えの新部は必死に声を張り上げた。


「ま、待ってくれ。あんたらちょっと誤解してる。ライターといっても俺は三流もいいところ。影響力なんて存在しない。俺を解放したところでこの村に不利益なんて起こらないよ。だから頼む、ここから出してくれ」


「それを聞いて安心しました。三流だというのなら行方不明になったとしても大事おおごとにはなりますまい」

「ふ、ふざけるな! 俺をここから出せ!」


「誤解したまま朽ち果てるのも不本意でしょう。最後に一つ良い事を教えてあげましょう。村の者はこの場所を人食い岩などとは呼びませんよ。恐らく村の外で誰かがうっかり口を滑らせたのが、聞き間違えのまま伝わっていったのでしょう」


「……聞き間違え?」

「この場所の本当の名は、秘匿岩ひとくいわ。いないことにしたい人間を隠す場所ですからね」

「追い待て! 行くなじじいども、おいおいおいおいおいおふざけるな――」


 二人の老人の姿は見えなくなり、新部の声は何処にも、誰にも届かない。

 新部敦也の存在は秘匿された。

 



 了

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人食い岩 湖城マコト @makoto3

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