第22話 初めましての挨拶を [2165:9:13]


 翌朝早く、私は契約した旅行代理店『ワープドライブ観光社』を訪ねた。

 異なる時代への感染症伝染防止のために行われる全身洗浄の後、リストバンドを外して預ける。思い出して担当のスタッフに聞いた。


「ICカードは持って行ってもいいですか。電車に乗りたいので……」

「かまいません。ただ、使えないかもしれません」


 持っていけるなら問題ない。確かCはICカードで電車に乗っていた。

 ピアスの日時設定を確認する。その場で担当者から白い特殊スーツを渡された。鱗状の繊維が水をはじき、ぬれたような光沢のあるフードつきのスーツだ。

担当者はまじまじとスーツを見つめる私に言った。

「こちらは水陸両用の体温維持スーツで、破れても自己修復・形状維持します。水中では体に密着しますが、乾けば質感が変わってふわっとしますので、外出着としても使えますよ。すごく乾きやすいですし、お客様のご予定の日時のリープ先で着ていただいても、時代的に違和感のないデザインです」

その特殊スーツには何だか見覚えがあった。


(これ、Cが着てた)


「……これ以外のスーツって何かあります?」

尋ねると、担当者は頭をかいた。

「申し訳ございません。指定のスーツはこれだけなんですよ。今後デザインを充実させていくつもりではあるんですが……ちょっと今のところは。下手なスーツですと危険もありますし、こちらをご着用いただくのがやはり安心かと」

「そうですか」

私はそれだけ言って、もう何も言わないことにした。スタッフの人が自分のリストバンドから私のデータをチェックする。

「ワクチン接種はすべてお済みですね。身体審査もオールクリア、ご希望の日時は2157年9月4日。記録によればこの日は嵐ですが、変更なさいますか?」

「いえ、それで予定通りです。あの」

と私は声を上げた。

「念のため、出発前にもう一度到着地を確認したいんですが。座標マーカデータベースを閲覧できますか?」

「どうぞ、こちらの端末から検索していただけます」

薄く光るコンソールを叩いて座標マーカデータベースを検索する。装着しているコンタクトレンズに直にデータが映し出されるから、閲覧内容を覗き見される恐れはない。2157年9月4日の島浦近海にマーカーがあることは事前に旅行代理店とも確認済みだ。ただ、私が交通事故に遭いかけた日の2日後……2160年7月12日の灯台前に置かれていたあの座標マーカーを、どうやってCが設置したのかまだよくわからないままだった。

Cは電車で私と別れてから、事故の2日後の2160年7月12日に跳んだはずだ。そこまでは推測できる。だけど、その日時に跳ぶための座標マーカーが島浦研究所前の海にしかなければ、最悪、島浦研究所前から灯台前まで泳ぐか、上陸して山の中の道なき道を町まで歩かなくてはならない。その日にはすでに島浦研究所から遠野アキラは除籍されており、許可なくループには乗れないからだ。

これは不可能とまでは言えないけれど、けっこうしんどい距離だ。もっと近くに座標マーカーがあればそれに越したことはない。かといって旅行代理店に長期間にわたる違法リープ中の予定を相談するわけにはいかなかったし、座標マーカデータベースにアクセスできるのは旅行代理店の端末だけだ。

「あった」

私は声を上げた。交通事故の2日後を示す日時のマップには、座標マーカーを示す赤い点が2つ光っている。1つは島浦研究所前、もう1つは島浦灯台前の海だ。……これ、置いたのは誰なんだろう?

私は振り返って担当者に尋ねた。

「このデータベースって、マーカーの設定時刻とか位置をどうやって把握してるんですか?」

「2パターンありますね。設置者の申告と、設置者は不明ですが、跳べることがわかっているケースです」

「申告する人がいないのに、跳べるってどうしてわかるんですか」

「ゲートキーパーの報告によるものですね。たまにあるんですよ。違法リープを取り締まろうとして跳んだら近くにデータベースには登録されていないマーカーが設置されていて、予定からズレた場所や日時に跳んじゃった、ってことが。実は遠野さまのリープ予定にある2157年9月4日のマーカーも設置者不明のものです」

どきりとして、私は一瞬息をつめた。島浦研究所近海にある座標マーカーは、おそらくCが設置したものだ。侵入者が廃屋に現れたあの夜、嵐の海に飛び込んで……。

Cは申告しなかっただろう。海中に設置する直前まで、洞窟や小屋の中にマーカーを移動させて違法リープを繰り返している。一般人のタイムトラベル先での滞在は3日までと決められているのに、リープ予定の9月4日から海中に設置した日までで2週間以上は経っている。申告できるわけがない。私も申告については、するつもりがない。

私は驚いたふりをして言った。

「……へー、そうだったんですか。島浦研究所のマーカーかと思ってました」

「それなんですけど、近くに当時の島浦研究所が設置した公式の座標マーカーもあるにはあるんですよ。あるんですが、当時のマーカーは現代のタイムリープ用ピアスとは相性が悪いので利用できないんですね。なぜか、公式座標マーカーと近い場所に、未来のタイムリーパーのためと言わんばかりに野良マーカーが設置されているんですよ。誰の仕業なんでしょうね。時空旅行に出かけてマーカーを設置したものの、何らかの事情があって現代に戻ってこれなかった・申告ができなかった旅行者のどなたかなのかもしれません」

係の人はにこにこと付け足した。

「悪天候に遭って遭難してしまう方もいらっしゃいますから。到着日時を変更なさいますか?」

「いえ、このままで結構です。……設置者がわかっている場合は、名前って閲覧できるんですか?」

「個人情報保護法がございまして。残念ながら、閲覧可能なのは日時と位置情報のみです」

「そうですか……」

私は首筋をかいた。

スタッフは微笑んで、重ねて問う。

「お持ちのピアスの目標日時の座標マーカーは2157年の9月4日、こちらでよろしいですね?」

「大丈夫です」

私はCが残したメモに書かれた最初の日付にピアスの日時を設定していた。

「ではコードナンバーをお伝えします。C/2157R2、こちらゲートキーパーに正式なリープであることを証明する番号です。お戻りの際にもリストバンドのお受け取りに必要ですのでお忘れなく」

その番号には聞き覚えがある。

ああ、そうか、『C』って。自分に自分の名前を名乗るわけにもいかないからコードナンバーを名乗ってた……?

私が固まっている間にもスタッフは説明を続ける。

「マーカー並びワームホールは海中にのみ設置・開通する決まりがございますので、水中からのワープドライブとなります。ピアスの設定とチェックはお済みですね?」

「もちろん」

気を取り直してほほえむと、海中トンネルへ誘導される。いくつもの重い扉を開いては閉じ、狭い通路を通って、アクリルの透明な壁に囲まれた海中の個室にたどりついた。ここで私はタイムリープを試すことになる。

「幸運を」

スタッフに手を振って狭い部屋に閉じこもり、私は思う。幸運ね。

ピアスで設定した日時の海は台風で荒れている。生き残れるかは私次第だ。

そして私は生き残ってやる。 

訓練通り目を閉じて待つ。狭い個室にはだんだん温い海水が満たされていく。水は膝まで上がり、それから腰から顎まで浸かって、髪を泳がせ、頭上まで上がる。私はピアスを押さえ、眼の裏を走る光と同時に眼を開ける。時間だ。

目の前にあったアクリルの壁はすでに消えていて、見えるのは濁った海水と鬱蒼と生い茂る海藻だ。

海底でほのかに光る光の筋を追い、私は海藻の間をかいくぐっていく。一瞬、目の前でCが笑った気がした。

海底を指差している。


(こっち)


私は砂の上で光っていた座標マーカーを拾い、握りしめた。Cの幻影は消え、私は砂を蹴る。

海岸にたどり着けたのは僥倖といっていい。

風の吹き荒れる砂浜の上で私は咳き込み、空を見上げた。明けかかる曇天の空にドローンは飛んでいない。

正しい日時に跳べたようだ。

重たい脚と体を引きずって海から上がり、小さな階段を上がる。不穏な唸り声を上げて風が波の上を吹き渡っていた。階段を上がって森に入る。道を知っていても嵐の森は不気味だ。いつかCが案内してくれた廃トンネルにたどりつき、マーカーを落とす。

特殊保温スーツのおかげで体はすでに乾いていたが、髪はぐっしょり濡れていたし、疲れまでとれるわけではない。小屋にたどりつき、コツを習い覚えた開け方で中に入った後、ソファに沈み込んだ。

背中の荷物を降ろしていなかった。背負っていた小型リュックから水とマグカップを出してサイドテーブルに置く。後輩に言われた言葉が脳裏によみがえった。


『未来の自分に会ったとかたぶん勘違いですから。遠目に確認だけしてすぐ帰ってきてくださいね』


「一理ある」

かわいたソファの上に濡れた頭を落としながら私はひとりごちた。今は夜明けだ。過去の自分とユーリカ、スズカたちは夕方肝試しにやって来る。その前に小屋から出て、遠目に確認すればいい。この小屋にまったくの別人、つまり『C』がやってきて、過去の自分と出会う場面が見られるかもしれない。そのほうが嬉しい。

何にしてもまだ時間はあるし、いま泥のように体が重い。しばらく休もう。

屋根を絶え間なく叩き続ける雨音も薄っぺらな壁をどっと揺らす風の振動もものともせず、私は眠った。

起きたのは小屋の戸口を揺さぶるつたない音が聴こえたからだ。誰かが小屋に入ってこようとしている。

窓を見るともう真っ暗だ。


(まずい、寝過ごした)


動揺して体を起こす。玄関口で小屋の戸は大きな音を立てて軋み、ざりざりと音をたてている。入ってこようとしているのは誰だろう。Cか、それとも。

咄嗟にどこかに身を隠そうと立ち上がり、サイドテーブルに思いっきり足をぶつけた。マグカップが床に落ちる。

ぱりん、と軽い音とともにあっけなくカップは割れた。


(うそ)


少しだけ立ちすくんでカップの破片を見つめ、私は心を決めた。

本当はわかっている。Cが玄関の戸にあれほど苦戦するわけがない。この時間にここを訪ねてくる人物が誰なのか、私はあらかじめ知っていたはずだ。

落ち着いて廊下を歩き出す。戸の向こうに立ちすくむ人の気配がある。

少しだけ開いた戸に手をかける。刹那、一瞬だけCの顔が脳裏をよぎる。


戸を開く。

来訪者は声をあげて転ぶ。戸の前で尻もちをつき、真っ白な顔でこちらを見上げる私に、私は微笑んだ。


「こんばんは。初めまして?」



(了)

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森の人魚たち 左右田レモン @theciderhouse543

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