いまそがり

@apollo37

いまそがり

先日、ついにいまそがられてしまった。

幼少の頃より母からこんこんと「いまそがられてはいけませんよ」と説かれてきたのに、いまそがられてしまった。

しかし、いざいまそがられてしまうと、これはこれでなかなか心地のいいものでもあるのだなあ、という気持ちになった。

誰かに話していいものかどうかずいぶん迷ったが、まずは会社で隣の席にいるヤマネに「ねえ、こないだ、友達がいまそがられちゃったんだって」と言ってみると、

ヤマネはずいぶん慌てた様子で「そ、その話はまた今度湯豆腐でもつつきながら」などと言い、聞いてくれそうにもなかった。わたしもどうしてもいまそがられた話をしたいというわけでもなかったので、

湯豆腐には絹ごしがいいかもめんがいいか、お野菜は白菜かはたまた水菜か、椎茸は外せないわなどと脱線した思考へ堕ちてしまった。

家に帰り、2週間ぶりに実家の母へ電話をした。父が今度わたしの部屋へ来たいと言っている、などという。冗談ではない。どうせまたいい相手はいないのかとか役所に務めている青海苔のような男との見合いだのを勧めてくるにきまっているのだ。

憤然として、「ふん、私こないだいまそがられちゃったんだからね」というと、ガタン、カタン、カタカタ、という音がして、母の声が聞こえなくなった。

「もしもし」ととりあえず言ってみると「ごめんなさい、びっくりしちゃって」と母が言う。受話器を落としたようだ。

特に何も思いつかなかったので「うん」と返してみると、「そうかあ、あなたもいまそがられるような大人になったのね」と母が感嘆したように言葉を吐いた。

「ごめん」と言うと、「いいのよ。もうあなたも子供じゃないんだし、どう?いまそがられた気分は?」とやさしく問いかけてきた。

「悪くない」と返した。「思っていたより、心地がよかった?」と母が笑って言う。

「うん」と私は言う。それは本当に、心地のいいものであった。

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