後編


 ◇

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「おーい、例の培養ケース、ちゃんと薬液交換しとけよー?」


 白衣姿の男が、それより年若い一人の女性へと呟く。


「もちろんですよ!のお世話は、私の生き甲斐ですし!」

「ま、忘れても大丈夫だろうけど……一日二日くらい。死んじゃって別に影響ねぇしなー」

「な!死んでもいいなんて冗談でもいっちゃダメですよ!」


 そこは、大きな研究施設の一角にある、小さな研究室だった。

 社会の役に立つ研究から、役に立つか甚だ疑問な酔狂極まる研究まで、古今東西あらゆるテーマで探求を続ける碩学の総本山である。その一室に居を構えるわけなのだから、彼等二人が取り扱っているものも研究価値のある、貴重なものに違いない。


 ……いや、そうでもない。

 二人は同時にそう考えて、ちらりと巨大な試験管めいた培養ポッドへと視線を向ける。


 床から天井まで届かんというほどに大きなそれは、全面にガラスの窓がついていて中を覗くことができる。

 そしてそこには水色の薬液がなみなみと注がれており……そして内部にはあるものが浮かんでいた。


「いやでも……実際、このキモいのが死んだって別に悲しみゃしねぇだろ、誰も」

「私はかなしいですって!」


 わーわーと賑やかに話す二人。その視線の先にいるものこそ、

 ―――ウヨウヨと動きながら水中に浮かんでいる、気持ちの悪い見た目の赤いゲル。その表皮に浮き出た5つの目は、それぞれが常に明後日の方向を向いていて、一部の人間に生理的な嫌悪感を、また一部の人間には妙な愛着めいたものを抱かせた。



 それは女が「ソサちゃん」と呼ぶ物体、もしくは生物だ。赤い球状の臓器みたいな器官が繋がった奇妙なイカれた怪物で、しかし危害を加えるようなことがないものだから気軽にこんなところに保管されている。

 世間での愛称は、「いのちの輝きLite of life」。一切解明が進んでいないものだから、学術名も決められずに今日まで至っていた奇妙な怪物である。

 発見当初は「未知の生命体」という触れ込みで、「宇宙由来の生命体かもしれない」「その起源を探れば生命についての既存の常識が覆されるかもしれない」などと大々的に喧伝されていた。その反響たるや、開催の決まっていた万博のロゴマークに、急遽この生き物の似姿が使用されるほどだ。


 しかし……世間に生きる一般人達の興味は、そう長くは保たなかった。時間と金をいくら費やせども芳しくない調査結果。日に日にその存在は話題にすら上がらなくなり、既にその関心を失って久しい。今でもこれを話題にして盛り上がっているのは、それをネタにした大喜利が得意なインターネットの特定界隈くらいのものだろう。


 だがそんなことを知ってか知らずか、今日も今日とて奇怪な生物はただブヨブヨと、フヨフヨと蠢き回るばかり。そんな実りのない研究なものだから、志願する研究者も次々と減ろうというものである。


「悲しまないって、俺ら以外こいつのこと覚えてるやつなんて、たいした数もいないんだから」

「そんなこと……わたしはかなしいと想うし……きっと、前にこの子を研究してた人たちだって、そうですよ」

「前にいた研究者、ねぇ……」


 前任の研究者はその内部にある細胞の動きに社会性のようなものを見いだし、「世間society」などという名前を仮でつけていた。なんでも内部で蠢く無数の超微細な細胞の動きが、通勤ラッシュ時の人の動きに見えたのだという。研究者というのは得てして変わり者が多い、などと揶揄されることも多いが、彼の場合はそれが常軌を逸していた。


 なおその後研究者は突然自宅で発狂した。

 なんでも「知ってしまった」「耐えられない」などと喚き散らしながら暴れまわったとかで、精神病院に担ぎ込まれたのだ。一時はこの「いのちの輝きLite of life」のなんらかの作用によるものなのではないかとも騒がれたが、被験者を用いた実験ですらなにも起きはせず。結局本人が元来持っていたなんらかの疾患からのものであると結論付けられて、今に至る。


 そうして補充要員として配属された後任が今、ここにいる二人というわけだ。

 なお「ソサちゃん」というあだ名は、その前任研究者による愛称に準えて女がつけたものである。


「なぁ……こいつなんだけどさ」

「?」


「目、5つあるだろ?」

「でもこれさ、ここの4つは視神経みたいなものが繋がっているんだけど、この最後の1個だけは


 既にうんざりするほど聞いたその蘊蓄に、耳をすませつつ、女は試験管を覗く。


 常に胎動する赤いゲル状の表皮に浮かび上がる、青白い目のような物体。

 たしかに、5つのうち4つはまるで動物の目のように2対になって並んでいて、1つだけが明後日の方向に配置されている。

 何を思って、この生命体はこのような進化をしたのか。そもそもこの生物はなんなのか、どこから来たのか。それはこの数年間、ついぞ解明には至らなかった。


「この目、一体なんの意味があってできた器官なんだか……ってまぁ、そもそも何も分かっちゃいねぇのがこのキモい肉だけどさ」


 知能、社会性、生態、食生。その何れもが謎であるこの肉塊は、明らかに生物としての最低要件を何一つ満たしていないのにも関わらず今日もこうしてうようよと動いている。

 男はそれを、いつも辟易とした顔で眺めていたが、女は違った。

 この正体不明の怪物に「ソサちゃん」などと名付けたのはこの女であったし、誰よりも献身的に、嬉々としてこの怪物の世話をしているのも彼女だけだ。彼女は四六時中、この肉塊のことを考えていたのだ。


「……うん、やっぱり」

「なにやってんだ?」


 恍惚とした表情で、うごめく肉塊を眺める女に、男はちょっとばかり引きながら問いかける。

 それに女はなにやら、にへら笑いをしながら嬉しげに答えた。




「やっぱこの子のここの目、私のことを追ってくれるんですよ!懐いてくれてるのかなぁ、ちゃんと世話してるからかなぁ!」



「うぇぇ……コレに懐かれて喜んでんの、お前くらいだよまったく」


 ドン引く男には、構いもしない。

 そして女は……その翠色の瞳を輝かせながら、今日も不審な肉塊「いのちの輝きLite of life」を、観察し続けるのだ。これまでも、これからも。彼女の人生は、最後までこれに注がれることだろう。





 ◆◆◆





 嗚呼、今日も僕は星を眺める。

 有象無象の星のなかで輝いている、一等星。美しいその翡翠のような光に、僕は魅せられ続ける。


 この有象無象のなかで輝く僕と、その有象無象のなかで輝く君とが出会えたことは奇跡だ。だから僕がこうして君に引かれているように、君も僕に惹かれていてくれたら、とても嬉しい。



 だから僕は……この下らない世間セカイとは違う、別の世間セカイに住まう君を見続けると誓う。

 それがやがて終わるものだとしても、その最後の一瞬までは……きっと、ずっと。


 この人生の最後まで、君に捧げ続けると。





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