最終話後編 歌姫とその家族の会話
「おかえり、チヨリ。インスの街のみんなは元気だった?」
その日王宮に戻ると、ちょうどストフも仕事を終えて帰ってきたところだった。
私たち夫婦は今、王宮の敷地内の小さな離宮に住んでいる。庭付きなのを良いことに、ガーデニングと称して家庭菜園もしていて、思いの外私にとって快適なスローライフができていた。
それもこれも、夫が尽力して私のために整えてくれたことだと知っているので、感謝の気持ちはいつも伝えるようにしている。
「うん。ガストンさんには会えなかったんだけど、他のみんなは元気だったよ。フィーネのハイハイが高速になってて、今にも段差から落ちそうでハラハラしちゃった」
「はは、そうか。フィーネもルチアみたいに活発なタイプなのかもなあ。次こそは私も一緒に行く」
「…あなた、前回もそう言ってなかった?」
「…言わないでくれ。姉上のせいなんだ…」
「ごめん。…お疲れさま。夕飯は食べたんだよね?ポーラさんの焼いたポンムパイをいただいてきたから、コーヒー淹れるね」
「それは嬉しいな」
コーヒーを飲みながら一日の出来事を報告し合うのが、私たちの日課だ。
実は私は、ふたつの顔を使い分けながら生きている。
ひとつは、黒髪黒目のチヨリ。言うまでもなく、本当の私。
この世界に来て最初に過ごしたインスの街や、お忍びで王都や他の街を歩くときには、この姿で過ごしている。状況によってたまに髪を違う色に染めることもあるけれど、基本は生まれ持った自分の姿で伸び伸び過ごすことができている。
ふたつめが、女王補佐官ストフの妻で、魔法研究所副所長。緑の歌姫モモとしての私。
…うわあ、自分で歌姫とか言うと恥ずかしいなあ。でも仕方ないか…。ピンク色の髪に、緑の目、深緑のローブを纏った謎の魔法使い。本当はモモの存在はあの死火山での戦闘が終わった時点で幻にする予定だった。
でも、ストフとの結婚話が進んだ時点で、当時女王陛下だったお義母様に提案された。「いっそモモとして結婚したらどう?その方がいろいろ便利だし」と。
驚いたけれど、考えてみれば確かにそうだった。
どこから現れたのか分からない、黒髪黒目のチヨリという女が、どうやってこの王国の王子トルストファーと出会ったのかは説明し辛いし、何の身分もない宿屋の居候が王子と結婚するというのはシンデレラストーリーにしても無理があった。
一方で、“モモ”の活躍は、あの戦いに参加した兵士たちから王国中に噂が広まり、“緑の歌姫”として知られただけでなく、あのとき魔物を眠らせた歌の替え歌が、王国内での子守歌の定番になるほど大流行してしまったのだ。
ちなみに、“モモ”の逸話と共に、魔法使いという存在が実在していることも国民に知られてしまったのだけど、ミゲルさんの言霊使いの力や、私の特殊な歌の力についても“魔法”の一言で誤魔化せているので問題なしという結論になった。
その流れで、いつの間にか国民から大人気になっているモモであれば、国の窮地を救う手助けをしたという実績と、その戦いを通じて王子トルストファーと出会っていたという事実もあるので、結婚に至っても不自然な点は少なく、国民からの理解も得られやすい。
問題と言えば、モモは私の変装した姿であり、真の私とはほど遠いということ。
王子と結婚しようという女がそんな風に国民を欺くようなことをして良いのだろうかと私はかなり悩んだんだけど、女王陛下をはじめストフもお義姉様方も王族の窮屈さを知っているためか、「別に良いんじゃない?モモだってチヨリ本人なんだし、モモの実績もチヨリがやったことだし」というノリであっさり賛成されたのだった。
そんなわけで、私はこの二年間、チヨリとモモの姿を使い分けて生活している。最初は戸惑いもあったけれど、どちらも私であって、仕事中だけ旧姓を使ってメイクをして出勤するような感覚で、今ではすっかり慣れてしまった。
この二年、私は魔法研究所所長のミゲルさんと一緒にずっと様々な魔核を使った道具の開発を行っていた。そしてつい半年前に完成したのが、以前の通信箱を応用した転移装置だった。…転送するときに装置内にいる本人の力の消費量がとんでもないので、まだ私しか使えないんだけど、要するに物体転送と同じ要領で自分の体をもう一方の転移装置に飛ばす仕組みだ。
距離が遠くなるほど大変になるんだけど、この装置をヴァーイの街のミゲルさんのお屋敷と、インスの街のジャンさんの宿屋の屋根裏部屋に設置させてもらっているので、以前よりずっと短時間でみんなに会いに行けるようになった。
転移を使う日には他のことには力はまったく使えないほど消耗してしまうので、そこだけ注意はしている。ちなみに今日も他のことで大きな力を使ったので、片道は乗合馬車を使って移動した。もっと自分の力の総量を増やす修行をしないとダメだなあ。
「そうだ、王宮でたまたま叔父上に会って聞いたよ。例の実験、成功したんだって?」
「そうなの!」
そう。転移装置の研究と並行して、私がずっと行っていたのは、これまで必ず両側に設置が必要だった箱を使わずに、“見えないけれど知っている場所”に向かって物を転送する実験。
明確なイメージを持って、自分がその場にいるような感覚を脳内に作り上げることで、送り先に魔核を使わなくても物を転送する。それは考えていた以上に難しいことだったけれど、失敗を重ね、ミゲルさんにも協力してもらいながら、徐々に手応えを掴んでいった。
「今日できたのは、研究所の隣の部屋までだったんだけど、できるという感覚が分かっただけでも希望が見えてきた気がするんだ」
ソファーに並んで座る私の手を、ストフがそっと握った。私を見つめる目は、どこか不安そうだ。
「ストフ?どうかした?」
「…チヨリがずっとその研究に尽力していたことは知っているから、私も嬉しいよ。…でも、正直に言うと少し不安にも思っている。いつかチヨリは…その力で…」
彼が何を不安に思っているのか分かったので、私は違うという気持ちを込めて、彼の手を強く握り返した。
「違うよ。私は元の世界に帰りたいとは思ってない」
そう。転移装置を作った時点で、人間を転移させるのがどれほど大変なことかは分かっていたし、世界を越えて日本に戻ることなんてできるとも思えなかった。
移動時間の短縮という目的もそうだけど、単純に瞬間移動という能力そのものに憧れがあったから、あの装置には現段階である程度満足している。もちろんもっと便利にしたいから改良は続けるけれど。
「でも、ストフの考えは半分当たってるのかも。…私はね、帰りたいんじゃなくて、届けたいんだ。それが手紙になるか、声だけになるかはまだ分からないけれど。元の世界にいる、私の家族に」
「…会いたくはない?」
「そりゃあ、会いにいけたら素敵だけど、もしも戻って来れなくなったら困るでしょう?私が生きる場所はあなたの隣なのに。だからね、私はいつか、お母さんとお父さんとお姉ちゃんに、ただ伝えたいの。私はこの世界でとても幸せで、優しい夫や、可愛い甥っ子姪っ子もいて、たくさんの素敵な人たちに出会ったよって」
この世界に転移した日から、何度も考えていた。小説みたいに、私がいなくなった日に家族の記憶から私の存在が消えていたら良いって。心配しないでほしかったし、悲しんでほしくなかったから。
私が家族のことを忘れないように、みんなも私を覚えていたらと思うと、ずっと胸が苦しくて、なるべく考えないようにしていた。
だけど、歌の力で物体や声を送ることができるようになってから、考え方を変えた。分からないからこそ、いつか必ず届けようと。私が元気でいるという知らせを、大切な家族に。
「そうか、いつか…叶うと良いな」
「うん!」
私は夫の青い目を見つめて頷いた。
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴
「ちょっとお父さん、お母さん!大変大変っ!」
「なあにー?あなたも二児の母なんだからそろそろ落ち着きなさいよ」
「いや、これで落ち着ける人間がいたらその人は人間じゃないわ!見てこれ!子どもたちに読んであげようと思って、ちよちゃんの部屋で昔の絵本を見てたのよ!そしたらこれっ!」
「あら、懐かしいわね~。あなたと
「…なんだふたりそろって騒がしいな。って、この字は…!?」
真っ白な薔薇の透かしが入った美しい封筒には、短い手紙が入っていた。
「………相変わらずドジな子ねえ…名前を書くのも忘れて…」
「……うん、ちよちゃんらしいね」
「…元気そうだなあ……それならなんでも良いな」
三人は、その短い手紙を何度も何度も繰り返し読んだ。
「…ふふ、なんだか手紙と一緒に、ちよちゃんの変てこな鼻歌が聞こえてくる気がする」
「ああ、あの子はよく歌ってたわよね」
「きっと今も歌ってるさ」
「そうね。…あら、上の部屋で転んだ音がしたわね。あーあー、泣いちゃった。…私、ちょっと痛いの飛んでけソング歌ってくるわ」
「そういえば、転ぶたびにふたりでよく歌ってたわね、ふふふ」
少し古びたその家には、今日も優しい歌声が響いていた。
==============
<あとがき>
これにて全編完結です。
最後までお読みいただいた皆様、フォローやコメント、♡や☆をくださったすべての皆様に、心より御礼申し上げます。
爆誕!異世界の歌姫~チートもヒロイン補正もないので、仕方がないから歌います~ ロゼーナ @Rosena
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