堕ちる

岳川懿

第1話

更地に人だかりができている。構成しているのは所謂マスコミと呼ばれる人種のようで、カメラのフラッシュが幾つもたかれ、アナウンサーの興奮した声が聞こえてくる。

その渦中にいるのは中田浩二。お笑い芸人だ。今年で46になる。蓄えた髭、短く刈り込んだ頭が見る者に男らしい印象を与える。今日は、冬ということもあって、ベストを羽織って、あたたかそうな格好をしている。

その後ろには気球が、すでに膨らんだ状態で準備してある。これから浩二を乗せて飛び立つのだ。というのも、今度ある気球の大会に浩二は出る。今回で大会3連覇がかかっているのだ。

その練習風景を撮ろうと、いくつかのテレビ局が集まっている、といった訳らしい。

インタビューを終えたのか、その集団は気球の周辺に移動している。

そこに人影が入っていく。艶やかなストレートの黒髪で、目鼻立ちは整っている。服装は落ち着いた色合いのコート。つけているものは地味だが、高級品だ。その正体が分かった途端、他の人影は道を開けた。

それは中田瑛美だった。浩二の妻で、自身は女優をやっている。こちらは今年で43になる。

二人でなにか話している。きっと応援の言葉でも言っているのだろう。それが終わると、浩二は気球に乗り込む。周囲にもう人はいない。

「甲斐田さん」名前を呼ばれる。見れば、同僚が車の運転席で手招きをしている。私の仕事は、地上から気球を追うチェイサーだ。そろそろ乗れ、と言うことなのだろう。

「分かった。すぐ行くよ」

そして車に飛び乗って、気球に目をやると、ゴンドラに乗った浩二に瑛美が何かをしている所だった。よく見るとネックレスのような物を首にかけている。お守りかなにかのつもりだろうか。そして瑛美も離れたあと、いよいよ気球が飛び立った。快晴の空に、巨大な風船が吸い込まれていく。ともすれば後ろの雲と同化してしまいそうな程白い布の中に灼熱の空気を閉じ込めて。気球は離陸地点のそばにあった池を飛び越していく。気球には上下方向に動く能力はあるが、横方向に動く能力はあまりない。だから、乗り手が風を読み、目的地の方向に吹く風にうまく乗らないといけない。今日は早めに風を捕まえられたらしい。今回の目的地は南西だ。気球はどんどん先を行く。車でその後を追いかける。歩道橋の下を車で通り抜け、並木道を横目に走る。30分程たったあとに、電話が来た。ここから3キロ程西にある公園で、生首が見つかった。空から降ってきたそうだ。写真が来た。その顔は、中田浩二によく似ていた。





時任刑事が現場に入ると、そこには既に死体はない。ただ、血まみれのゴンドラがあるだけだ。

「何か分かったか?」後輩に聞く。

「いいえ、何もわかりませんよ。」と、後輩。「なにせ、上空1000メートルに浮いたゴンドラの中で首を切り落とされたんですからね。

ゴンドラを調べてみたけれど、二重底みたいなものは無さそうだし、気球の中にも隠れた形跡は無い。凶器もなし。犯人も、着陸自体は警察立ち会いでやりましたから、隙をついて脱出もできんでしょう。我々としては、お手上げです。」後輩は疲労の滲む目で、そういった。 指示を出しながら、時任は迷宮入りかもしれない、と思った。長年この職業をやっていると、解けないヤマは、概要を聞いたときになんとなくわかる。勘というやつだろう。しかし、それでも捜査はしなくてはいけない。重い気分で、時任は動き出した。

しかし、この勘は外れた。迷宮入りはしなかった。数ヶ月後にこの事件は解決を見ることになる。犯人の死という結末で。




『☓☓雑誌

女優の中田瑛美が亡くなった。上空のゴンドラの中で、首をはねて自殺したのだそうだ。

家からは遺書も見つかっている。

数ヶ月前に亡くなった夫、中田浩二の殺害は彼女の企みだったらしい。彼女は出発前に夫へネックレスを渡した。ネックレスにはビアノ線が通してあり、元々気球の表面に他のピアノ線を幾重も巻いて、その先に大きめの輪っか作り、貼り付けていた。直前になってそれをネックレスのピアノ線と繋いだ。その長さは気球から伸ばしても余裕で地上につくほどの長さであり、熱で貼り付けていたセロテープが剥がれ、ピアノ線が下に垂れた後、地上の木やビルにでも引っかかるのを待てばいい。そうなれば、ピアノ線は引っ張られ、そのネックレスをつけていた浩二の首は切れるというわけだ。動機は被害者の浮気と考えられるが、警察は引き続き捜査を続けている』

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