宙から落ちてきた少女

砂山鉄史

テーマ『羨望』

 世界はとっくにどん詰まりで、過去も未来も見当たらなかった。だから、『管理局』の黒服におかしな命令をされても、私は何とも思わなかった。


 その日、『廃棄施設』でリサイクル可能なゴミを探していた私の元にやってきた黒服の役人は、この『区域』の南にある海に漂着したグロブスターの回収を命じてきた。


 グロブスターは、何処か遠い場所から流れ着いた、正体不明の物体の総称だ。

 それが生物なのか無機物なのかもはっきりとしない。

『管理局』は「この世界を救うための重要な手がかり」だと言うけど、それ以上の情報を私みたいな一般市民に開示するつもりはないようだ。


 私は、『廃棄施設』で拾ったゴミをさっさと古道具屋に持っていきたかったけど、この場所で暮らす人間にとって『管理局』の命令は絶対。逆らうわけにはいかなかった。


 私は渋々、黒服――それにしても、作り物めいた外見だ。女性なのか男性なのかはっきりしない。まぁ、それが分かったからといって、何か意味があるとは思えないけれど――からの指示に従った。


 すると、頭の片隅から「チャリーン」と軽快な音が聞こえてきた。

 『管理局』の評価ポイントが『端末』に加算されたのだ。このポイントを使って『区域』の市場で買い物などができるけど、私はこれがあまり好きじゃない。『管理局』が押しつけてくるポイントよりも、古道具屋と取引をする方がいい。時々、ぼったくられることもあるけど。


 私は、『廃棄施設』から愛用のフロートボート――拾い集めたジャンクパーツを使って組み上げた――で目的地に向かう。『管理局』の超高性能AIが、『区域』に住む全ての人間の頭に埋め込まれた『端末』に、必要な情報を流し込んでくるので、道に迷うことはない。三十分ほどで目的地に着いた。


 目の前に、エメラルドグリーンの海が広がっている。

 私はフロートボードを脇に抱えて、白磁を砕いてバラ撒いたような砂浜を歩いていく。しばらく歩くと、黒服の言っていたが見えた。


 それは、巨大な魚だった。多分、十メートル以上はある。あまりにもデカい。もしかすると、鯨の方が近いかもしれない。もっとも、私は鯨の実物とか見たことがないのだけれど。まぁ、これは、私に限った話ではない。あの生き物は永遠にこの世界から喪われた。


 グロブスターの周りに黒服達がいた。全部で五人だ。ユニフォームのブラックスーツと同じ色をしたトランクから、怪しげな道具を取り出して、グロブスターの調査を行っている。計測器らしきモノが、ガーガーと凄い音をあげている。


 私がここに来ることは既に伝わっていたようだ。黒服達は小さく頷くと、道具を片づけて、さっさと引き上げていった。あとは、私に丸投げするつもりだ。


 私は、小さく溜め息をつくと、白い砂浜に打ち上げられたグロブスターにそっと手を当てる。その全身が、淡いブルーの光に彩られる。そのまましばらく待つと、グロブスターに大きな裂け目が現れた。そして、そこから、何かが転がり落ちた。

 それは、一人の女の子だった。

 

 ★ ★ ★ ★


 グロブスターから転がり落ちた女の子は裸だった。これは、同性でも目のやり場に困る。私は、羽織っていたジャケットを女の子にそっとかけてあげた。


 女の子は、女の私から見ても魅力的な容姿だった。

 腰まで伸びたゆるく波打つ銀髪に、アーモンド型の大きな瞳は海と同じエメラルドグリーン。それが、宝石みたいに綺麗だった。


 体は小さい。私もそんなに身長が高い方じゃないけど、それと比べても小さい。肌が透き通るように白かった。まだ、子供に見えた。


「ええと……具合は、どう?」


 私の言葉に女の子が小首をかしげる。可愛らしい仕草だった。まるで、人形みたいな。私のような薄汚れた存在には縁遠い仕草だった。


「具合……」


 女の子が私の言葉を繰り返す。


「あなたは何処から来たの?」

「海……。海から、来た」


 女の子が答える。コミュニケーションは可能のようだ。


「海って、目の前に広がっている?」

「違う。わたしは……わたし達は、星の海から来た」


 星の海。

 その言葉に、私の胸がざわめいた。まるで潮騒のように。


「星の海――あなたは、宇宙からやって来たのね?」


 女の子が、青がかった緑色の瞳で、真っ直ぐと私を見つめる。答えは明白だった。


「故郷が。わたし達の住んでいた星が、寿命を迎えたの。だから、みんなで、冷たく暗い星の海を渡りながら、次の故郷を探すことにした」


 女の子が訥々と語る。鈴の鳴るような涼し気な声だった。何て、耳に心地よいのだろう。


「わたしは、途中で仲間達とはぐれてしまった。ずっと探していたけれど、結局、見つけられなかった。そして、そのまま力が尽きて、この場所に落下した……」

「ここが、どんな場所なのか知ってる?」


 私の問いに異星からの漂流者は答えない。宝石のように煌めく瞳で、私を見つめるだけだ。


 この場所は過去と未来が永遠に失われた場所だ。

 数十年前に起きた『大喪失』と呼ばれる未曽有の厄災で、あまりにも多くのモノが失われた場所。無数の生命と、文化、技術、記録を喪失し、わずかに残った資源リソースをやりくりして、何とか生きながらえている、どん詰まりの世界だ。

 

 私達にできることは、『廃棄施設』でゴミを漁るか、この世界の保存を担う『管理局』の命令に従うことぐらい。私達は、『管理局』のプラントで生を受けたそのときに、頭の中に『端末』と呼ばれる小さな機械を埋め込まれ、『管理局』の超高性能AIの監視下に置かれる。『管理局』に、文字通り自身の生を「管理」される。


 フロートボードを使っても、この場所から飛び出すことはできない。

 死ぬまで縛り付けれたままだ。

 目の前に海が広がっていても、私には旅立つことができない。


「わたし、帰らないと……」

「どこに帰るの?」

「仲間達の元。きっと、みんな、わたしのことを心配している……」

「どうやって、帰るつもりなの?」


 私の問いに、女の子の表情が曇った。


「本来なら、この子を使って。だけど、この子は、もう……」


 少女が、グロブスターを慈しむように撫でながら言う。

 彼女の入っていた、大きな魚。あの魚に乗って、星の海を旅してきたのだろう。


 この子は、私達がとっくの昔に失った技術を持っているのだ。

 星の海――宇宙に進出するための技術を。

 この、少しずつ滅びに近づく世界を棄て、新天地を目指すための技術を。


「どうすれば、いいのかしら……」


 女の子が途方に暮れたようにつぶやく。憂いを含んだ表情も可憐だった。このまま、ずっと眺めていたい。そんな気持ちになった。


 だけど、それは許されない感情だ。


 頭の中に埋め込まれた『端末』が、私に与えられた役目を思い出させる。『管理局』は、いつだって私達のことを覗いている。


 私は女の子の傍に寄る。

 彼女は、キョトンとした表情で私を見つめてくる。満天で輝く星のようなで、私を黙って見つめてくる。このまま瞳の中に吸い込まれそうだと思った。


『端末』が私の脳を弄りまわし、この状況に最適化した思考を取らせる。



“余計なことは考えず『管理局』の命令に従う”



 私は、女の子の首に手をかける。

 白く細い首だった。女の子は抵抗しない。じっと私を見つめるだけだ。


 私は、そのまま、力を加える。ゴキ、と鈍い音がして、女の子の首の骨がへし折れた。


 女の子の身体が、白い砂の上に力なく崩れ落ちた。

 どこからともなく黒服達が現れて、女の子の亡骸を回収していった。


 ★ ★ ★ ★


 私は、あの少女の容姿が羨ましかった。綺麗な銀色の髪と、海の色をした宝石のような瞳が羨ましかった。鈴の鳴るような涼やかな声が羨ましかった。


 星の海を往けることが羨ましかった。

 過去も、未来も、何もかもが喪われたこの場所で、ゴミ漁りしかできない自分には手の届かないモノを持っているあの少女を羨んだ。


 望んでも手に入らないモノ。だったら、全部、壊してしまえ。そう思った。


『管理局』の命令がなくても、『端末』の支援がなくても、私はきっと彼女のことを殺していただろう。


 自分の欲しかったモノを、全て持っている異星の少女が憎かったから。

 私と同じ出自を持ち、私とは違う生き方を選べた彼女が憎かったから。


『大喪失』の時に喪われたモノ。そのなかに、宇宙開発に関する技術と記録があった。

 あるとき『管理局』はその記録の一部を発掘した。『廃棄施設』に堆積したゴミの底から偶然サルベージされたのだ。


 それは、遠い星からやってきた来訪者達とのコンタクトの記録だった。


 来訪者達は一時この場所に留まり、次の目的地に向かったようだが、一部はこの星に残り、そして人類との交配を試みた。断片的な情報から、そのことだけは分かった。そして、どうやら、私はその末裔らしい。だから、グロブスターに干渉し、あの少女とコンタクトすることができたのだ。


 けれど、私の魂はこの星の重力に囚われ続けている。きっと、ここから出ていくことはできない。


 少女の亡骸は『管理局』の研究所で徹底的に解剖されるだろう。そこから、何かしらの成果を得ることができるかもしれないけれど、結局、それも『管理局』が独占して終わるに決まっている。


 私は、どこにもいけない。

 あの、名前も知らない、美しい異星の少女のようにはなれない。

 私は、私が殺した、あの美しい異星の少女のようには、決して、なれない。


 私は死ぬまで、私のままだ。醜く淀んだ羨望を抱えたまま、地面で足掻き続けるだけの薄汚い存在……。


〈了〉

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