刺す仕事

関根パン

刺す仕事

 男は今日も職場に向かった。


 職場といっても、アパートの一室。中に生活の為の家具はなく、事務用のデスクと椅子、そして、なぜか「黒ひげ」が飛び出すおもちゃの樽が置かれている。


 男はデスクにつくと、ブックスタンドから一冊のノートを取り出して開き、最も新しいページの左肩に今日の日付を記入した。


「さて、今日も始めますか」


 誰に言うでもなくつぶやくと、デスクの引き出しを開く。中にはおもちゃの樽に突き刺す為の、プラスチックで出来た小さな剣が適当に詰め込まれている。


 こういったおもちゃの剣の色分けは、ふつう四色くらいだろう。しかし、引き出しの中の剣は十二色あった。


 男は「黒ひげ」を樽の中にセットすると、無言で剣をひとつひとつ突き刺し始めた。手に取る剣も突き刺す穴も特に順番は決まっておらず、適当に選んでいる。


 剣を刺すたびに「痛ぇ」「やめろ!」「ぎゃあ!」とチープな音声がいちいち流れるが、男は無表情で作業を続けた。


 十本ほど刺したところで、勢いよく「黒ひげ」が飛び上がる。「黒ひげ」はデスクの上に頭から落ちて、乾いた音を立てた。赤いバンダナの塗装は少し剥げていた。


「青……」


 男は最後に刺した剣の色を確認した。


 ノートには枠線が引かれ、表になっている。項目の欄には、「赤」「青」「黄色」「緑」「紫」など、色の名前がその通りのフォントカラーで縦に並び、それぞれの横に長い空欄がある。色は剣の色に対応して十二色だ。


 男はボールペンで「青」の横の空欄に、横一文字を記入した。前のページには昨日の日付で同じ表があり、どの欄にも「正」の字が並んでいる。


 デスクの上に倒れている「黒ひげ」を再び樽の中に戻した男は、剣を無言で突き刺す作業を最初からやり直した。再び何度も悲鳴が響き渡ったが、助ける者が現れる気配はなかった。





 夕方、時計の針は五時近くを指した。


 ずらりと並んだ「正」の字を見る。「緑」が「黒ひげ」を飛ばした回数が最も多い。男はそれを確かめると「緑」の枠の欄外に「1」と記入した。同じように、飛ばした回数が多い方から順に序列を記入していく。


 ぴったり同数になった色の組み合わせもある。そういう場合は、同数になった色の剣だけを使って「黒ひげ」を行い、先に飛んだ方を上位とした。そうして、十二色の序列をすべて確定させていく。


 最後に男は「ピンク」の横の空欄に「12」と記入した。「ピンク」が最下位になるのは久しぶりかもしれない、と男は思った。


 時計の針が五時を回る。これで業務は終わり。男はノートを閉じ剣も片づけて、ひとりきりの職場を後にした。


 これが、男の仕事だ。


 この部屋で「黒ひげ」にひたすら剣を突き刺し、飛び上がった時の剣の色をノートに記録していく。それを、朝九時から夕方五時まで繰り返す。


 何の意味があるのかは、男も知らない。前職を辞めたあと、次の就職先をネットで探していた男は、たまたま「メディア関係」のカテゴリに入っていたこの仕事の求人情報を見つけて、応募した。


 求人情報には「誰にでもできる簡単なお仕事」と書かれており、内容については言及されていなかった。


 書類選考と面接に受かり、初めて説明を受けた時には面を食らったものの、今ではすっかり慣れてしまった。給料は間違いなく振り込まれているのだ。仕事の内容に疑問を持ったところで、何の得もない。


 この仕事を始めて半年ほどになる。特別な技術は必要がなく「簡単」なのは確かだが、「誰にでもできる」仕事ではないだろう、と男は感じていた。単調な仕事を嫌がる人間もいる。行為の目的も理由もわからなければ、なおさらだ。


 だが、人間関係に心を病み前職を辞めた男にとっては、誰にも干渉されない今の職場は居心地が良かった。ここには気を遣わせるだけで役に立たない上司も、やる気だけで礼儀の欠片さえない後輩も、口を開けば悪口しか言わない同僚もいない。複雑で面倒なことは、何も考えなくていいのだ。黙々と、ただ剣を突き刺していればいい。


 ただ、やりがいがないのは否めなかった。果たして自分の仕事は、何か社会の役に立っているのだろうか。「黒ひげ」を飛ばした剣の色を記録することに、どんな意味があるというのか。このデータは何に使われているのか。


 床につく頃、男はぼんやりと考える。求人情報は「メディア関係」のカテゴリにあった。つまりはテレビか動画配信か、何かの企画ではないだろうか。どこかに隠しカメラが仕掛けられていて、行動を逐一撮影しているのだ。不正に適当な数を記録したりしないかどうか、監視しているというわけだ。


 しかし、それにしたって意味がわからない。ひたすらただの一般人を映してどうするというのだ。興味をひくような画面の変化はない。企画として面白いとは言えない。自分ならそんな番組は見るまい。


 考えても答えは出ず、結局、男は明日の仕事に備えて早々と眠りにつくのだった。



 次の日。また同じような一日を過ごした男は、職場から帰る途中の電車で学生時代の友人に会った。今は商社に勤めており、たまにこうして同じ電車になる。


 以前、男は彼に「黒ひげ」の話をしたことがあった。


「お前まだ、あの意味わかんない仕事やってんの?」


「ああ」


「すげーな。俺だったら一日で気が狂う自信あるわ。相変わらず変わってんなあ」


「いいだろ、別にさ」


 気心の知れた友人の言うことだから、頭には来ない。ここは、こっちも軽口の一つでも叩いて返してやるのが礼儀というものだ。


 男はつり革を掴んでいる友人の腕に、腕時計が巻かれているのを見た。


「似合わないもんつけてるな」


 それはファンシーショップで子供が買うようなものだった。いい大人が堂々と腕に巻くのは勇気がいる。


「これは娘のを借りたんだ」


「お前、営業だろ。支障でないのか」


「支障どころか。むしろ、これに気づかれて話がふくらんで助かったよ」


「なんでわざわざ、こんなおもちゃみたいな時計つけてんだ?」


「ゲン担ぎ。テレビの占いだよ」


「占い?」


「ああ。朝、テレビの星座占いを見て、自分のラッキーカラーのものを何か一つ身につけることにしてるんだ。今日は他にちょうどいいのがなくて」


「そんなゲン担ぎ、意味あるのか?」


「あると思った方が人生楽しいだろ。現に、今日の運勢は最下位だったのに、おかげで先方と話が盛り上がったんだ。ご利益あったってことだ」


「そんなの偶然だよ。どこの誰が占ったかもわからないのに、よく信じられるな」


「いいだろ、別にさ」


 ピンク色のベルトがついた腕時計は、たんたんと針を進めていた。

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刺す仕事 関根パン @sekinepan

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