乱戦恋慕

紆余曲折の狂想曲

ドンッと地面が揺れるような音を伴って空から人が降ってきた。

 砂漠のど真ん中の街で、雨すら年に10日降る事は無い土地で、。しかも、これからデートというこのタイミングでだ……かと言って、見見捨てるワケにもいかない。

 100%死んでいるだろうが、恋人と人命救助で、人命を選んだと言えば……彼女も理解してくれるだろう。

 何が起きたのか分かっていない人々の間を縫って、その青年は“推定”死体に駆け寄る。 既に半径2mの血溜まりが出来ていて、残念ながら靴がダメになった。

 倒れているのは、筋骨隆々な男で、ガタガタと痙攣していてとても手がつけられる状態では無い…………と思われたが、本人が突然、手をついて起き上がりだす。

 それに呼応するように、血溜まりが彼の元に集まってゆき……遂には何事も無かったようにその人物は立ち上がった頃、人混みをかき分けて女性が飛び込んで来た。


 「そ、そ、その人は! 不死身なので! お構いなく! ほ、他に怪我した人はいませんかっ!!?」


 クリッとした大きな目は、エメラルドのようなグリーンで目鼻立ちのくっきりとした童顔が、ズイッと青年の目の前に迫った。


 「あ、の、は、破片とか当たってませんか??」


 その距離感に、不意に、恋人持ちながらドキリとしてしまうのは、どうか目を瞑って欲しい。


 「いえ、この人の安否を確認しようとしてまして……」


「ありがとうございます! 心配おかけしました! 彼は、不死の呪いに掛けられているので問題ありません!」


 その人はそう言い切るとまだふらついている男に腕を組むようにして引っ張ってゆき連れ去った。

 思わず「なんだ、これ」と言葉が溢れる。


「やー、見たか? あの男、でっけー鳥に落とされたぜ?」


「おー、見た見た、輸送鷹とは違うボデっとした奴だったなー。こえー、こえー」


「んー、ここは馬鹿の見本市マーシー・ユニオンだぜ? そんくらいで不思議がるなよ」


 そんな街の声の中を掻き分けながら、ユニオン人らしい能天気さを発揮したネイト=ウィルベルは、彼を待つ恋人の元へと急いだ。


「ごめん! 待った?」


「私、この街、キライ。 今ね、首が一回切り落とされたみたいな傷のある大男が小柄な女の人に引きずらるようにして走っていきました。王国ならあり得ない光景でしたね。ここは魔界なのでしょうか?」


「魔界なんかじゃないよ! ようこそ! マーシー・ユニオンへ! 俺たちの言葉では『奇人変人博覧会の街』という意味だよ!」


この渾身のジョークへのツッコミは、「私たちは同じ言葉で話してる」なのだが、それ以前に不発だった。



 慣れなさ強烈な日光と、騒がしく喧しい街の雰囲気だけで懲り懲りという頃合いを見計らったかのように現れた恋人に、気怠げな視線を送るものの、本心から思わず笑みが溢れる。

 赤熱の砂漠の街に、不相応な艶のある紫のロングコートを着込み、烏の羽のような色味の長い髪をポニーテールにした少女、魔術士兼薬理学者である、リリィ=リコエスタ=ノートン。

 彼女は、気怠げな印象を与えるタレ目に、悪戯心を満載して、意味深な笑みを浮かべる。


 「本当にごめんよ。リー。今回は本当に人を助けようとしてたんだよ」


 袖を巻くって、シャツの胸を大きく開いてその引き締まった体を惜しげもなく晒す出立をしていながら、土砂降りの中の仔犬のように縮こまり、こちらの機嫌を伺う相思相愛の想い人ネイトに対し、内心は許しを出していながらも無言で笑いかけ続け彼の良心を圧迫した。

 

リリィとネイトは、幼なじみで恋人同士、住む国が違うという物理的な距離を物ともせず、二人はなんだかんかだで上手く交流を深めていた。


今回は、ネイトが主催で、彼女を自分の住う国、マーシー・ユニオンに招待し、ディナーを振る舞う約束を果たす番だった。


 ネイトが満を辞して、彼女を連れ出したのは……パンに具材を挟んだだけの料理“サントーチ”を出す店だった。


 「ネイト。知ってる? サントーチ……私の国が発祥なんですよ」


「知ってるよ。サントーチ伯爵だが作ったんでしょ? ここのコマル半島出の主人が作るサントーチはもう別次元なのさ、共和制グラドとグラド王国くらい違うから、ご賞味あれ!」


 ネイト自身、彼の家の教育方針上、幼い頃から多種多様な民族、種族と交流を持っていた為に差別意識は皆無だったが、グラド王国生まれのグラド王国育ちのこの愛おしい恋人は……その社会的身分や地位とは別に“下衆口”だという事を知っていた。

 ネイトが自信を持って勧めた物を二人で注文し、その待ち時間を雑談に費やした。


「そういえば、リーはまた、辺境に採取に行ったんだよね? なんか採れたの?」


 サービスで振舞わされた飲み物を、リリィは彼が質問する間に飲み干してしまったので、そっと自分の分を差し出すネイト。

 恥ずかしいそうに受けてる彼女を、うっとりと見つめる。


「えっと、世歩草せあゆみぐさと言う薬効植物を探して、トルカナル外境まで行ってきました。自然と魔獣に溢れていて、二度と御免被りますね」


 よほど大変だった様で……内容を語る彼女の目は死んでいた。


 「世歩草は、マンドレイクの亜種なのですが……通常種と異なり、規則性無く歩き続けるんですよ。薬草採取なのに足跡と痕跡を追って、山を三つも超えました。まぁ、最終的に手に入れる事が出来ましのでね。私の目の黒い内に品種改良して、花壇でお育てになってやります」


 「大変だったね」と労うネイトに、彼の恋人は、「それだけじゃない」と続けて愚痴を溢した。


「同行者が、“放浪者”アルベルト=ボートレンさんだったんですよ!」


 放浪者のアルベルト。世界中を冒険し尽くした男で、ネイト自身も何度か会って話した事があった。紳士で知的、長年の経験と研ぎ澄まされた観察眼が見つけ出した旅路の発見を、吟遊詩人の様に言葉巧みに語る様に何度も耳を釘付けにされ、尊敬している人物の一人だった。


 「あの人が付いていたのなら、安心だったんじゃないの?」


 未開地のフィールドワークならではのトラブルに対応できる技量を持った数少ない信頼できる人のはずだったが、彼女の問題はそこじゃ無いらしい。


「あの人、私にはとても紳士的で、多分15回は命を救ってもらいました。ですが、行く先々で、女性に手を出すのですよ。ふしだら過ぎて……生理的に無理です」


 へー……と言ったきり言葉を失った。確かに、アルベルトは、厚い胸板や立派な顎髭を貯えた、ダンディズム権化のような男らしい人だったので……幻滅と納得を半分半分でするのと同時に、ほんの少し憧れた。


 「何を感心してるんですか、ネイト。不潔です」


 「い、いや。やっぱ言葉選びが上手な人だったからなぁって、悪用も出来るだねって思ってさ」


 「細くて面倒臭い人でしたよ。『見ろ、このムジナの死骸を、頭部の周りに鯉の鱗みたいな血溜まりが半円に続いているな、足の方のジグザグな血溜まりは痙攣の跡だ。つまりこいつは、棒を使う知的生命体に、複数回殴打されて死亡したようだな』って! 普通に残忍な亜人種が居るから気をつけろ、で済む事を細かく解説してくるんです。あの光景! 一生頭から抜けないでしょうね!あー……」


 彼女が、一際大きく落胆してみせたところで、ちょうど注文して料理、チーズとレタス、塩漬け肉を挟んだサントーチが運ばれて来た。


 「えーっと………食べられる? 気分大丈夫?」


 間違えなく自業自得だが、下手に過去の嫌な記憶が蘇って来てる時に……食事は避けた方がいいだろうという思いから掛けられた言葉だったが……「え、平気ですよ?」とサントーチをパクつくリリィ。並の傭兵なんかよりは随分と剛胆な精神の持ち主のようだった。


「やだ、これ美味しい!!」


 目論見通りの反応をしたり顔で見つめるネイト。

 ここの店は、トマトソースと濃い味のチーズをふんだんに使用する“タフな”味付けなので彼女は気にいるだろうと踏んでいたのだ。


 「黒ジャムより美味しい物があるなんて驚きです!!!」


 普通の食べ物を振る舞ってここまで喜ばれると……一瞬回って、物悲し小話を思い出す。“片付けの手間を省く為、浮浪児に残飯を渡していたら、泣いて喜んだ”とがそういう類のヤツ。


 「へー……黒ジャムって言うの食べてみようかな?」


 いつも通りの味を確かめつつ、一足遅れでサントーチを口に運びつつ、ネイトは大失敗を冒す。

 ペロリとサントーチを平らげた、リリィは、体に染み付いたテーブルマナーを尊守して、ナフキンで口を拭い終わると、彼女は、お礼とばかりに笑顔を浮かべた。


 「我が国の自慢ですからね! 今すぐ持ってきますよ!」


リリィは、店主に断りを入れると、その場で瞬間移動術を使用して、忽然と姿を消した。




「なぁ、ネイト………えらく元気な嬢ちゃんだな」


リリィが、閃光を経て姿が消えた直後に、その店主が言った言葉だった。


 「可愛いだろ?」


 痘痕も靨とはこの事とばかりに店主の苦笑いに自慢気に答える。


「おっさん相手に惚気んでくれ」と店主は用も無く綺麗な皿を洗い始めるとまた、店内に閃光が閃く。


「おじさま。すいません。パンを一枚お願いします」


 閃光の中から、ガラス樽のような小瓶を持ったリリィが現れ、そのまま新たなオーダーを出す。

 プレーンのパン一枚は、簡単に手配された。


「ほい、100万ドランね」


「えっ……小切手でよろしいでしょうか?」


「お、おう……冗談だからな?」


「びっくりしました」と素の笑顔を見せるリリィ。

 彼女以外の店内にいる全ての人が、さまざまなベクトルから驚愕していたが、当の本人は、気にも留めずに、パンに黒ジャムと称する何かを塗り始める。


 黒ジャムとだけあって、黒土の泥のような見た目で、お世辞にも食欲はそそられない。


 「あっ、皆さんもどうぞ」


 そう言って、ネイト、店主、たまたま覗いていたおっさんと自分用にと、パンを4等分して配ったリリィの……満を辞しての「召し上がれ」は、ある種の呪詛ような物だったと思われる。

 

 「おっ、これはいけ……いけないな。ヤバイぞ、これ」


「………」


店主とおっさんが食べて、散々な感想を述べ、ショックと驚きで目を見開くリリィ。

 彼女はそのまま、ネイトに助けを求める視線を送った。


「じゃあ、いただきます」


 ゴクリと唾を飲み込み、覚悟を決めて、得体を知れない“ソレ”を口に投げ込んだ。

 まず、口一杯に広がったのは香ばしく鶏肉に合いそうな香り。続いて、舌に染み込むような渋みと辛み。

 この辺りで、口内に過剰な唾液が分泌される。

 トドメは、口内、舌から喉に至る苦みと酸味。総じて不味い。しかも、人間が知覚できる不味さが波状で襲いかかるような不味さだった。


「ごめん。これは無理」


「えっ」と絶句し、自らも味を確かめる“下衆口”の魔術士。

 もしかしたら、何かの手違いで劇薬を塗ってしまっただろうか? 薬学系ジョークの可能性もある。

 固唾を飲んで見守る中、魔術士は劇薬の疑いのある物質を嚥下し、判定を下した。


「……お口に合いませんでしたか………?」


店内が静まり返り、居た堪れなくなって撤退し、国営ギルドの酒場へと逃げ込んだ。

 旅行者向けの酒場で、この国で一番治安と値段が良い店だった。

 その場所で、リンゴの果実酒と強い香草系蒸留酒で、口内を洗い“清めた”。


「美味しくなかったですか?」


「というよりは、慣れない味なんだよ。異文化交流の難しいさだね」


 すっかり塞ぎ込んでいた彼女がやっとぎこちないながらも笑顔を取り戻す。嘘も方便だ。

 本心では、あれは人間の食べ物では無いと思っている。


「あ、あの、ネイトの方は、お仕事どうですか? 順調ですか?」


 やっと正常な会話に回帰した。


「ぼちぼちかな。先月で傭兵は辞めて、今は、非媒体依存型魔力固定化処理の研究をしてるよ。君と同じで工房勤めさ」


 マーシー・ユニオン内の“工房勤め”は魔力を行使する兵器や戦史研究などを行う技術部門の事を指した。


「ただし、作ってるのは君とは真逆の物だけどね」


「真逆だなんて、そんな事ないですよ。薬理学者は、“薬品”を作るだけです。それが治療薬か毒薬かは分かりません」


「確かに……ね。俺の作る物がこの国の永世中立を保つ為に使われるのなら……犠牲は最小限。ある意味では人を救ってるのかな」


 会話が途切れ……二人はじっと見つめ合った。

そして………


「「堅くて、なんか湿っぽい」」


 声を揃えて二人で笑い合う。


「リー。思いつきなんだだけど、ドラゴン狩り行く?」


「………ひどく酔ってます? 御伽噺の英雄の真似?」


 心配して、ネイトの額に手を当てるリリィ、彼はその手を掴んで甲にキスをした。


 「平気だよ、別の熱には冒されるけどね。 このくらいの時間なら、街のすぐ近くにクローラードラコニットがうろつくんだ。いわゆる、奴らは、スカベンジャーガラクタを拾い漁る連中スカベンジング喰い漁ってしてしまうから、狩ることが推奨されてるんだけど、どうかなって」


「良いですね。私、ハーフエルフなので弓の扱いには自信がありますよ?」




青白い月の下、空と砂だけで地平線まで埋まる不毛な土地、それがマーシー・ユニオンを囲む城壁の向う側。タヤラハ砂漠だった。

 太陽の加護を失い、吐く息が白く濁る寒さの中を砂塵を巻き上げながら一頭の馬が砂丘駆け行く。

 騎乗者は、ネイト=ウィルベルとリリィ=リコエスタ=ノートンの2名。

 騎手をネイトが務め、リリィは射手として弓を番て、本当に狩りに出向き、翼を持たない小型のドラゴン。クローラードラコニットを探し始めていた。


 「あの街で一番変な奴は、ネズミ取りのジリーってヤツにされてる。そいつは、竜殺しのウィルベル。つまり俺の祖先様なんだけどその石像に求婚して、フラれた腹いせに石像の首を切り落とした後、一緒に落ちて死んだでしまったんだ」


 「……その程度でしたら、私の母上は、命の恩人の薬草売りと結婚した後も、その店に突然大量の発注かけて徹夜してるのを喜んでるような変人ですけど?」


 確かに彼女の母親は変な人という印象がある。また、あの人は、娘を未開地に送る事は気が咎めなのに、街に出かける事に関しては異様に過保護な面があった事も思い出す。

 きっと、リリィは今頃、グラド王国では、家出扱いだろう。

 彼女の母も魔術士なので……国中を探し回っているかもしれない。

 そんな雑念を忘れされるのは、騎乗中による振動と風音で、密着していながらも声を張り上げて話す二人。


 「それなら、おばさんもこっちで馴染めるかもな、噂好きのバカと変人と荒くれが多いし、ぼったくりも多いけど、良いところもある」


「マーシー・ユニオンの良いところは、ハーフエルフが歩いていても差別されないところですね! 王国だとまず絡まれるから、いつもフード被ってる」


 「そんな奴ら………お、いたぞ! 右前方!」


 砂丘を駆け上がる、体長2mほどのドラコニットに対し、騎手は馬を近寄らせて並走させる、揺れる馬に合わせて、躊躇いなく射手が矢を放ち、その頭部に命中すると、クローラードラコニットは、頭から転びそのまま絶命する。


 「おぉ! 一撃とは! 俺より上手いね、リー!」


 そう言いながら、折りたたみ式の旗を死骸の横に突き立てるネイト。

 こうする事で翌朝、この死骸は回収さらて、革細工などに利用するのがユニオン流と駆除だった。


 「なんとなくで弓を扱えるんですよ、私。エルフっぽくて良い事なんかそれくらいしかないけど」


 先に騎乗したネイトに引き上げてもらい馬に跨り、リリィはそっと愚痴を漏らした。


 「俺は、リーの耳と鼻、好きだよ」


 「……そう。ありがとう」


ネイトの本心から言葉に、困惑するリリィ。彼女自身は不完全に受け継いだエルフ特有の形状尖った横に長い耳と人間よりもはっきりと高い鼻が大嫌いだった。


「……ィー? ……リー!? おい! リー」


 ぼうっとしていて、ネイトの呼びかけに遅れて答えるリリィ。


 「また、右にクローラー! しかも二匹だ」


 彼の言う方向に目をやると、確かに二匹クローラーが砂丘の向こうへと消えていった。


 「ネイト、追える?」


「当然! だけど気をつけよう。彼らも何かを追っているようだった」


 馬に速度を上げさせて砂丘を駆け上がらせると、その向こうには破損した馬車と8匹ものクローラードラコニットが、荷馬車に大破させており、怪我した輓馬を生きたままに食い散らかしていた。

 その光景に気を取られながら、一気に砂丘を登った二人は、そのまま勢いでこの馬車の残骸に馬ごと飛び込んでしまった。

 二人乗りで密着していたために、投げ出される瞬間にリリィが魔術で、二人同時に地上へと瞬間移動し、ダメージは転んだ程度。 しかし、8匹ものクローラードラコニットに囲まれてしまった。


「ネイト! どうしよう!?」


「ここは……」逃げよう、と言いかけて、馬車の下に隠れる人影を見つけ、二人だけで逃げる案は却下するネイト。

 ネイトは、護身のナイフと鉈を持ち、リリィも弓を手放してはいなかった。


「リー、落ち着こう。1匹ずつ仕留めれば良い」


 フィールドワークで得た知識から、戦闘の音頭を取ったのはリリィだった。ゆっくりとクローラーたちを刺激しないように矢を引き、早速、一頭を仕留めた。

 仲間を失い、咄嗟にネイトに噛みつきにきた一匹を交わし、空を切った頭に鉈を打ち下ろす。


 「リー、残り6匹!」


リリィを噛みつきに来たクローラーが彼女の弓に食らいつき、長い首を利用して、振り回すが、彼女は手に持った矢で目を突いてみせた。

 目の負傷に堪らず、このクローラーが逃げたすと、残りもこれに続いて逃げだし、戦闘は終了した。


 「あぁ、無事でよかった。ってか、これからはリーを怒らせないように気をつけるね」


 「ちょっと余所余所しくしないで」と戦いのテンションを引きずったままのリリィが彼の脛を軽く蹴り、盛大に痛がる様を見ていたためだろう。馬車の下に隠れていた女行商が這い出てくるや否や、リリィに感謝の言葉と共に抱きつき、お礼と言って大きな宝石の付いた指輪を強引に彼女に渡し、再び抱きついた。


 「リー。馬が逃げた。三人は送れる?」


 行商を引き離しつつ「嘗めないでください」と彼女は勝気に答えた。


マーシー・ユニオンの正門前に、三人で瞬間移動し、無事に生還を果たした事を安堵をするよりも早く、リリィの目の前にとある人物が立ちはだかると、彼女の胸ぐらを両手で掴んだ。当然、抵抗するリリィと彼女に加勢しようとするネイト。

 掴んでいる人物を認識した、リリィの顔がが青ざめる。


「お、お、お母様!??」


加勢するつもりのネイトも、途中でそれに気がつき、リリィの解放から、彼女の母親への弁解へと頭を切り替えるが、思考が追いつかず、とっさに口をついた言葉は……


「お、俺、責任取ります!!」


 リリィは尚も手を振りほどこうと抵抗したため、先程、商人に渡された指輪が、懐から溢れ落ちる。

 ここに至るまでの状況を理解しているネイトとリリィにはそれ自体に重要性を見出せないが、ただ1人、突如現れただけのリリィの母親だけはこの状況を、この時点での断片的な情報から穿った答えに辿り着き………卒倒した。


「お母様!!?」

「ノートンさん!?」


一国の正門の前でのこの騒ぎは、瞬く間に尾鰭がついて囁かれ。

 6時間後の酒場では、とある英雄の子孫が、女性三人に指輪一つでプロポーズしたという話題で持ちきりとなった。

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とある世界線の断片 黒不素傾 @DakatuX

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