5
「……どうでしたか、先輩。自分では、結構よく書けたと思うんですけど」
原稿用紙から顔を上げた先輩に、私はそう問いかけた。その顔はもちろん九官鳥のものなんかじゃない。そこにいるのは、ちょっと強面でとってもキュートな、私の大好きな人間の先輩だ。
「……お前さ」
「はい、なんですか? 私の熱い想い、伝わりましたか?」
「うん、まあ想いは伝わったけど……正直言って、かなり気持ち悪い」
「ひどい!」
先輩は原稿を机に置いて苦笑いをした。私は原稿──私が書いた小説だ──を持ち上げて、題名を撫でる。九官鳥になった『先輩』に対して、『私』がどうしたらいいのか悩む話。実体験をもとにしたフィクションだ。
「いやだってお前、これ、モデルはお前と俺だろ?」
「もちろんです!」
「じゃあやっぱ気持ち悪いわ」
「う……否定できません」
先輩の反応はもっともだった。だって自分を九官鳥にされた挙句、殺されかけた話を読ませられたのである。相手との距離感を考え直すべき事案だ。そう考えると、気持ち悪い程度の言葉で済ませてくれる先輩は優しい方なのかもしれない。
「まあそれはそれとして粗も目立つしな。人一人がいなくなって誰も気にしないって。んなわけあるか」
「それは物語の本筋とは関係ないからいいかなと思って……」
「細かいところまで詰めた方が説得力はあるだろ」
「む、それは先輩がそういう小説が好みなだけでしょう。自分で書きたいところがよく書けたので、これでいいんです。ほら、ここの、先輩がデレるところとか良くないですか?」
物語の中の先輩が私に感謝を伝える場面を指差し、先輩に見せる。先輩はちらっとだけそこを見て、それからそっぽを向いた。
「……俺はお前にデレたりしない」
「でも先輩も、九官鳥になったところを優しくされたら私のこと好きになっちゃうでしょう? そしたらデレデレくらいしますって」
「……まあそうかもしれないが。というかお前、そんなのを書くんなら俺に原稿を見せるのは駄目だろ」
「う、だってどうしても先輩に読んでもらいたくて……っていうか、先輩も見せろって言ってきたじゃないですか! 私だって本当は恥ずかしいから見せるか迷ったんですよ? そこを押して見せたのに……」
「あー、そうだったな。俺が間違ってたよ、うん……」
先輩は諦めの表情を浮かべた。その目はどこか遠くを見つめているようだった。
先輩に見せたこの小説は、私が初めて書いたものである。文学部に入ったにも関わらず遊ぶばかりで何の活動もしなかった私は、先輩に勧められてしぶしぶ小説を書くことにしたのだ。
とはいえ、最初は気乗りしなかったものの、考え始めてしまえば楽しくて仕方がなかった。小説の中ではなんだってできる。先輩は九官鳥になれるし、私に感謝をしてくれる。小説の中の先輩は、現実よりも私に優しい。
「お前、なんで別の動物じゃなくて九官鳥にしたの?」
「九官鳥って人間みたいに喋るってよく言うじゃないですか。だから人間が九官鳥になっても、会話できたら面白そうかなって。あとそう、喋れるっていうならオウムもそうなんですけど、先輩はカラフルな鳥より真っ黒な方が似合うので!」
「ああ、なるほど……そもそも、なんで俺を変身させようと思ったんだ?」
「あー、それは、その……」
「どうした? こんなものまで見せておいて、今更口籠ることでもあるのか?」
「……その。先輩を、飼いたかったんです」
先輩が固まった。何を言ったらいいかわからないという顔をしている。そりゃそうだろう。自分が好き勝手されるみたいな願望をぶつけられれば、誰だって不快に決まっている。だから見せたくなかったのに。
「すみません、気持ち悪くて。ついつい筆が乗ってしまって」
「……まあ、別にいいよ。なんだって叶えられるのがフィクションの良いところなわけだし」
「えっ、そんな軽くていいんですか。先輩もっと引くと思ってました」
「まああくまで小説だしな。感情なんて強くてなんぼだろ」
「うわ、先輩気持ち悪いですね! あっ間違えた、格好良いですね!」
「お前本当に俺のこと好きなの?」
「当たり前じゃないですか! 先輩のこと、世界で一番好きですよ。九官鳥になっても好きです」
私がそう言うと、先輩はなんだか複雑そうな顔をした。少なくとも嬉しくはなさそうだ。
「先輩、私じゃ駄目ですか?」
「いや、別に……駄目とかじゃなくて。戸惑ってる。こんな方法で告白されたこと、ないし」
「あっ、ラブレターだって伝わったんですね! よかった、小説書くの初めてだから不安だったんです」
小説を書き始めるとき、先輩からは「とりあえず身の回りのことを書いてみればいい」というアドバイスをもらった。私にとって身の回りのことといえば先輩のことだから、先輩のことを書こうとして、思い切って私の想いをぶちまけたラブレターにしてしまおうと思いついた。先輩は小説を書くのも読むのも好きだから、言葉を書いて伝えるのが良いかと思ったわけである。
まあ結果的にラブレターというよりは怪文書になってしまったのだけど。先輩は一応、私の想いは汲み取ってくれたらしい。それが私には嬉しかった。まああれだけ好き好き書いていれば、嫌でも伝わるということなのだろう。
「……お前にしては、粋な方法を取ったな。小説で告白なんて」
「はい。小説は、先輩の好きなものですから」
「まあ俺はドン引きしてるけど……」
「えっ、なんでですか? 九官鳥になっても好きって、すごい良い口説き文句だとおもうんですけど」
「本気で言ってる?」
首を傾げた先輩に、私は「はい!」と元気よく返事をした。
先輩が大きなため息をつく。
「口説き文句としては落第点だ」
「じゃあどんなのなら良いんですか?」
「……今度書いてきてやるよ。そんで、お前に渡す」
「わ、ありがとうございます!」
「…………いや、気付けよ」
「え?」
先輩が手で顔の下半分を覆う。よくよく見ると、耳が赤い。これは、まさか、もしかして。
「……先輩、照れてます?」
「照れてない」
「照れてるじゃないですか! え、なんでですか?」
「うるせえ、黙れ」
先輩がしっしっ、とこちらを追い払うような仕草をする。なるほど、先輩は照れるとこうなるのか。赤く染まった顔が実に可愛らしい。小説の中の先輩は私の思う通りに動いてくれるけど、こういう新鮮な反応は現実じゃないと味わえない。やっぱり私には、文字を書き連ねるよりただ先輩を眺めている方が性に合っている。
「先輩、どうして照れてるのか教えてくれませんか?」
「……だから、なんていうか、その。お前に口説き文句を渡すって言ってんだよ。お前は、小説で告白してきたから、俺も同じように。返事、的な」
「はい、そうですね。それで?」
「…………もういい」
先輩がまたため息をついた。照れたということは脈ありなのかとおもったが、どうやらそういうわけでもないらしい。
「……ねえ、先輩」
「……んだよ」
「本当に好きですよ。心の底から」
でもまあ、脈ありでもなしでも関係ない。先輩はこんな小説を見せても許してくれた。ということは、私は先輩とそれなりの関係を築けてるってことなのだろう。
なら、アタックし続けてもいいはずだ。
「……俺は」
「はい。なんですか?」
先輩が唸る。何か迷っているようだ。私は大人しく先輩の言葉を待つ。
少し間があって、先輩は小さな声で言った。
「……飼われるのは無理だけど。デートぐらいならしてやるよ」
思わずドンと机を叩いた。先輩は驚いたようで肩を跳ねさせる。
「本当ですか? 本当ですね? 言質とりましたよ」
「そんな必死にならなくても、そのぐらいはいい」
「うれしいぃ……」
机に伏して、私は喜びを噛みしめた。デートって、それはつまりそういうことだろう。このまま上手くいけば、私たちはただの先輩と後輩じゃなくなれる。もちろん、ペットと飼い主になるって意味じゃない。
先輩を飼いたいってのは、結局比喩表現なわけで。先輩が私だけのものになってくれるなら、それで文句はない。
現実は最高だ。小説を書いた甲斐があった。
「ふふ、じゃあ先輩、あそこに行きましょう!」
「…………どこだ?」
「それはもちろん……」
動物園。九官鳥が見れるところへ!
そう高らかに宣言すると、先輩は優しく笑った。目元を、くしゃっとさせて。
「いいよ、カガ」
その声は優しくて心地良いハスキーだ。甲高い鳥の声じゃない。
それが嬉しくて、でもちょっとだけ、ほんのちょっとだけ不満だった。だってきっと本当に、九官鳥になっても先輩は可愛い。私に飼われる先輩は、本当に本当に可愛い。
もう知られているはずの願望をそれでも隠して、私は笑った。
「はい、先輩!」
そして私は鳥を飼い始めた テイ @tei108
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