『4』

 次の日も、その次の日も、私は部室にやってきた。けれど先輩は九官鳥のままだ。その上、何も話さなくなってしまった。たまに口を開いたと思うと、「ガー」と鳴くだけだ。愛しく聞こえていたはずのそれを耳障りに感じるのに、そう時間はかからなかった。

 忙しなく部屋の中を飛び回る先輩。それをただ眺める私。どうしてそんなことをしているかもわからなくて、私はただ、先輩ともう話せないのだということだけを実感した。


 そのまた次の日も、私は部室にやってくる。でも今日はただ来たわけじゃない。私は、悩んで悩んでようやく出した結論を持っていた。

 部室の中は今日は荒れていなかった。先輩は机の上にいて、入ってきた私を見て「ガー」と鳴く。

 多分もう、先輩はほとんど何も考えられないのだろう。そこにいるのはただの九官鳥だ。先輩だったもので、先輩ではないものだ。

 だから私はそれを殺すことにした。

 それが私の結論だった。先輩は、自分が自分でなくなることに苦しんでいた。ならばもう、終わらせてあげるのがいいに違いない。少なくとも私には、それが正解に思えた。

 先輩が人間だったらそれは犯罪だけど、残念ながら九官鳥一匹死んでしまっても誰も気にしない。ましてやこれの存在を知っているのは私だけなのだ。適当なところに死体を埋めてしまえば、きっと誰にもバレないだろう。

 でも私は、できれば罪に問うて欲しかった。私は先輩を殺したのだ。それが裁かれれば、それはきっと証明になる。私の妄想なんかじゃなくて、その九官鳥は本当に先輩だったのだと、認めてもらえることになる。

 私は先輩にゆっくりと手を伸ばした。一応やり方は調べてきたけど、きっと上手くできなくて苦しませてしまうだろう。それを謝りながら、逃げない先輩の首に手をかける。先輩が弱々しく「ガー」と鳴く。

 人間だった頃の先輩の顔を幻視した。先輩はなんだか、ひどく穏やかな顔をしていた。

 ごめんなさい。好きでした。さようなら。

 そんな言葉を並び立てて、私は手に力を込める。


「カガ」


 名前を呼ばれた。目の前の、九官鳥の口から出た言葉だった。

 それだけで私は駄目になってしまった。九官鳥から手を離す。そのまま床に崩れ落ちた。

 駄目だ。殺せるわけがない。むしろ何故、そんなことを考えられたのだろう。私は先輩のことが好きなのに。先輩に生きていて欲しいのに。

 九官鳥になったって、それは先輩なのに。

 先輩は私のことを苗字で呼ぶ。一度戯れのフリをして下の名前で呼ぶように頼んだけど、そっけなく断られてしまった。それがちょっとだけ悔しかったけど、でも先輩はひどく優しい声で、まるで愛してるみたいに私の名字を呼ぶので不満はなかった。

 他の人と少し違う独特のイントネーション。その言い方で苗字を呼んでくれるのは、紛れもなくそれが先輩であることの証明だった。

 「ガーガー」と声がする。それはただの九官鳥の声だ。もしかしたら、さっき名前を呼ばれたのは私が聞き間違えただけなのかもしれない。本当は、九官鳥がちょっと短く鳴いただけなのかもしれない。

 だけど私には、もうその鳴き声があのハスキーな低音であるように聞こえてならなかった。私も、おかしくなってしまった。


 そうして私はその鳥を殺すのを諦めた。

 いつか先輩が私の名前も忘れてただの鳥になってしまったら、もう一度試してみようと思う。多分、無理だと思うけど。

 私に残虐な趣味はない。私はそれが先輩だから殺そうとしたのであり、先輩のために殺そうとしたのだ。

 先輩はもうどこにもいない。だからもう、私にこの鳥は殺せない。

 でも、それでいいと思った。先輩は私がそんなことをするのを望まない。望まないと、私が決めた。

 目を閉じると、先輩の顔が浮かぶ。先輩の口が、私の名前の形に開かれる。


 「ガー」と鳴く九官鳥の声が聞こえた。


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