招かれざる客

 イングリッドの朝は早い。

 ついでにいうと勇者アロイスの朝も早かった。

 というか気がついたらイングリッドのベッドに連れ込まれて抱き枕にさせられていたため、眠るに眠れなかったと言うだけの話である。

 勇者許せねぇよな……勇者許せねぇよ……。


 そんなわけで。


「教皇猊下は、此度の異変は魔王陛下の仕業と思われているそうで」

「ば~~~~~~っかじゃねぇですわ?」

「姫様はしたないです」「はしたないです姫様」


 イングリッドは日課である、朝の運動にアロイスを同行させていた。

 それは世界がこんなあるさまになる前なら、鎧櫃担いで6リーグばかり走ったり、騎士相手に乱取り稽古したり、まぁ武門の娘さんなら多少はね、という内容。

 しかし今は西大門と北大門に群がるゾンビどもの首をざばざばと斬り飛ばしながら、城壁の外周を往復すること実に20リーグ、というどう考えても人間業ではありません本当にありがとうございました。いや魔族だけど。


 何ゆえそこまでするのかと問うたものがいるが、なんとこのお嬢、言うに事欠いて「腐れどもに押し込められて遠出もできぬのでは鬱憤も溜まります。多少なりとも運動しませんと体形維持もできませんわ」である。

 それを訊ねたものは家の子本家の配下の男爵であったから、はぁなるほどと表面上納得しつつ、イングリッド嬢のお家とご領と領民に対する責任感に痛く感動した次第。


 ところがどっこいイングリッド、これは本気で言っていた。

 危なくなれば土塁駆け上ってすぐに戻ればいいし、とやや楽観に考えていたためか、それとも鎧の手入れを疎んでか、タンクトップにショーパンブーツと異常な軽装で、この朝の日課に励んでいた。恐るべきはその体力とクーパー靭帯である。

 おかげで朝の城壁は毎朝満員御礼の人だかり。

 なぜかを言うのは野暮である。各自いいように想像すればよろしい。

 城代などはいずれ真似して無駄に死ぬバカが出ないかと内心冷や汗をかいていたが、イングリッドが不覚を取るなどとは微塵も思わないあたり、彼のイングリッドに対する信頼の篤さを物語る。

 とまれイングリッドの体は、より磨きがかかるのであった。

 

 さてそのイングリッド、この日ばかりは隣を走る者に舌を巻いていた。

 隣を走るは誰あろう勇者アロイス。

 腐っても、いやいや剥けておらずとも[出典が明確ではありません][独自研究?]勇者の名を継ぐだけのことはあった。

 勇者伝来のロングソード、セイクリッド・イビルバスター・マークツー・セカンド・ツヴァイを片手に悠々とイングリッドと並走しつつ、ゾンビたちの大軍をまるでボロキレを裂くがのごとく斬り進む。

 なによりかによりイングリッドが感心したのは、その動作がいちいち流麗であったこと。本人は地下の出であると謙遜するが、嘘つけお前絶対どっかいいとこの落胤だゾ……と言いたくなるほどに所作がなめらかで美しい。

 実を言えば、何度も見とれて溜息を零しそうになっている。

 そのつむじを、うなじを、首筋を、脇の下を、あしゆびの狭間を、心ゆくまでその匂いをかぎたいとすら思っている。


 これが前任の勇者など、技の威力はあれどいちいち大振りで、剣を振れば歯をキラリ、魔法を撃てば歯をキラリ。あるのはスキばかりで、優美さなどただのひとかけらもありはしなかった。

 これで相手が大柄な、ハチャメチャ☆きゃわゆい☆ハピハピ!歌姫♪、であれば、イングリッドも魔法ケミカライトを振り回して応援するところであったが、嘆かわしいことに前勇者は鬱陶しさで胸焼けするような自称イケメンであった。自称。

 なので、イングリッドはそいつの中身の詰まっていなさそうな頭を軽くぶっ叩き、記憶を混濁させて自分の連隊の訓練にぶち込み、連隊最先任下士官直々の、並みの悪魔もいったん泣いて目を濁らせて泣き止むような訓練を施し、口でクソ垂れる前と後にサーとつける呪いを付与した上で教皇領に送り返してやった。

 そうするとどうしたことか、そいつは当時の教皇を魔法で撃ち殺し、直後に自分もセイクリッド・イビルバスター・シャーリーンをくわえ込んで脳髄に突き刺し、自害してしまったのだ。

 それでも人類領域から報復攻撃があったが、これがまたまぁ~~~~実におざなりなもので、その裏で次の教皇からは二人を死なせた礼ともとれる密書をもらっていたりもする。

 どうやら前勇者と、それに殺された教皇、相当な厄介者であったらしい。

 その後しばらくは平和な日々が続いていたのだが[どのくらい?]、その人の良い教皇は世界がこのようになったときに暗殺されてしまったそうだ。

 そしてアロイスに密偵を頼んだ現教皇は、これがまた何とも捉えどころのない人物とのことだったが、これにはイングリッドあまり興味がないのか「あらそう」の一言で済ませてしまった。


 さてさてそのイングリッド。

 未だ賓客扱いであるアロイスに対し、


「旅に出ましょう」


 と、新鮮な野菜と牛乳、白パンやソーセージすらもが並ぶ朝食の場で、開口一番そう言った。

 文字通り『朝飯前』に行った、城壁に群がるゾンビの間引きの影響はみじんも見られない。どころか元気溌剌そのものの姿であった。

 さにあらん、リコとリロとアロイスを伴った間引きのそのあと、ゾンビの返り血を落とすために湯浴みをし、髪をしっかり乾かしたあとで、彼女は3人のつむじの匂いを肺いっぱいに吸い込んでいたからだ。

 それはいわゆる猫吸いみたいなものであり、実際リコとリロは匂いをかがれている間、やや不機嫌な猫そっくりの顔になっていた。

 ぶにゃん。


 とまれイングリッドは自分たちの朝の運動、総延長20リーグに及ぶ城壁外周のゾンビ駆除にやすやすとついてきたアロイスの実力を認め、対等に相手することにしたようだ。

 しかし。


「ええと、旅、とは」


 アロイスの疑問はもっともである。

 いきなりそんなことを言われても、という顔をするのも無理はない。

 いやま、イングリッド暗殺という、教皇から課せられた使命が失敗に終わった以上、虜囚たるアロイスに否応などあるはずもないのだが。

 それにしても説明の順番というものがあるのではなかろうか。どやろか。


「大したことではありませんわ。お家も此度の騒ぎで多くの家臣を失いましたので」

お館様とお方様公爵閣下ご夫妻が命の川を渡って以来、姫は月の半分をこのオークハムで、もう半分は領内各地を視察し、所領を安堵なさっておいでなのです」

「いまひとつは、西にあるウェーバー大公領との連絡が途絶え、調査班を向かわせるも連絡がないことです。この調査に赴かねばなりません」


 イングリッドは慎ましやかに短く答え、脇に控えたリコとリロがそれを補足した。


「アロイス様も教皇猊下の意志とは別に、人類領域を助けたいと思っていらっしゃるのでしょう? であれば、例えば、この食卓。この世の有様でなぜ、このような贅沢な食事がなぜ取れるのか。その秘訣なども余さずお見せいたしますので、ぜひお学びになってくださいまし」


 そう言われれば是も非もない、喜んでお供いたしますとアロイスが答えようとしたその時である。


「怖れながら公女殿下。火急の用にて」


 と、城代である老練なオーガーが食堂に入ってきた。


「どうぞ」

「蛮族どもが鉄の箱に乗って参りましたぞ。彼奴らめバーリーの村を略奪し燃やし尽くしました。また、僅かな生き残りの幼子を人質に立て、畏れ多くも殿下をお呼びしております。一人で参れ、と」


 それを聞いたイングリッドの反応こそが、アロイスの心に強く残った。

 彼女は2パイントほどもあろうかという手樽の牛乳を飲み干すと音を立てずにそれを置き、穏やかな声音でこう言ったのだ。


「蛮族どもにお伝えくださいまし。イングリッド・エストレイアは逃げも隠れもいたしませぬ、と」



 ヴェスト・セントリア湖畔の北回り街道、オークハムの北城門から2リーグほどのところに、丘と呼んでいいか迷うような盛り上がりがある。


 そこに轟音を立てながら姿を現したのは、蛮族モヒカンどもが操る数台の鉄の箱。角ばった下の箱に、長い筒がついた小ぶりな箱が乗っている。いくらか小さなやや丸っこい2台の前方には、太い鋼鉄製のチェーンがいくつもぶら下がる回転ドラムがついており、一番大きな一台の前方についた筒はほかのどれより大きかった。

 つまりそれらは2両のM4A4シャーマン・クラブ・フレイル地雷除去戦車であり、2両のM2A2ブラッドレー歩兵戦闘車であり、1両のM1A1主力戦車に地雷除去ローラーを装着したものであった。

 その後ろには、トラックや鉄馬バイクに分乗した剥き身の蛮族どもがつき従う。

 当然のことながら、シャーマンの地雷除去装置もM1の地雷除去ローラーもゾンビの血肉がびっしりとまとわりつき、強い腐臭を放っていた。

 しかし各車両の搭乗口に身を曝す蛮族どもの士気は、強い腐臭、シャーマンの地雷除去装置から飛び散ってくる腐肉と腐汁を浴びたとて、いっかな下がるものではなかった。


「行くぞ野郎ども!!」

「「イエー!!!!!!」」

「今日こそはあの街オークハムを手に入れるぞ! 城門をコイツの120mm滑腔砲イチモツでブチ抜いて、中の女と喰いもん、それにきれいな水は全部俺たちのもんだ!!」

「「イエー!!!!!!」」

「男とジジイとガキどもは皆殺しだぁ!!」

「「ヒャッハー!!!!」」

「いくぞぉ!! エンジョイ! アンド~?」

「「エェキサイティン!!!」」


 M1の砲塔上に立ち上がったブサイクな大男の大音声に、周囲の蛮族共は下卑た歓声で応える。

 目は血走り、よだれを撒き散らしながら大声を上げるそのさまは、ヒトもやはり獣でしかないことを強く表している。

 蛮族どもは口元と言わず襟元と言わず、血まみれの泥まみれだ。

 バーリーの村で得た鶏肉や豚肉を、ろくに血抜きもせずに生のまま食ったのだ。

 中には食物にゾンビの腐汁がかかったのも気にせず喰らい、自らもゾンビとなったところを周りに撃ち殺されるものもいるほどである。

 蛮族どもは轟音に振り向いたゾンビ共を粉砕しながら、なおも突き進む。

 

「ん~~~? それにしてもあの大女ァ、逃げも隠れもしねぇなンつっといて、出てきやがらねぇな~~~ぁ? 今日こそはあのデカチチを好きなようにいたぶってやろうと思ってたのによぉ~~~」


 M1の砲塔上面に座り込んだ大男は、額から顎先まで右顔面を走る巨大な古傷を引きつらせながら下品な笑いを浮かべた。


「この戦車を手に入れるために、いけすかねぇ奴ら・・に這いつくばったんだァ~~~それなりの役得はねぇとやってらんねぇよなぁ~~~?」


 その野卑な大男に、頭上から罵声を浴びせかけたものがいる。

 大男の傍らに立てられた鉄柱──元はM2重機関銃のマウントだ──にくくりつけられた幼い兄弟だった。


「バカヤロー! 代行様がお前らなんかに負けるもんか!」

「そうだそうだ!!」


 それを聞いた大男はニヤリとした。


 やはりガキの人質とはこうでなくてはならぬ。

 めそめそ泣かれても鬱陶しいし、ふてぶてしく黙り込むのも腹が立つ。

 あの大女を犯し、殺し、街を支配した後、こいつらを手下にするか野に放つか。

 どちらも実に捨てがたい。

 どちらにしろこの首は狙われるが、それこそが望みなのだ。

 今の手下どもはイエスマンばかりで実につまらない。

 ゾンビどもなど問題外だ。

 やはり男は、知恵と腕力と胆力がある敵手につけ狙われてこそである。

 それに存外こいつらならば、あのいけ好かない奴らへひと泡吹かせられるかも。


 大男がそんなことを考えていると、足元の砲手が喚いた。


「おおお頭ァ! 俺ァまままだガキ喰ったことねぇ! その生意気なほうを俺にくれぇ!」


 大男が表情をぐしゃりと歪め、下水道の底のような笑みを浮かべようとした時だ。


「お頭!」


 ハッチに上半身を乗り出し、機関銃を構えていた装填手が前方を指さした。

 見ればオークハムの北城門のほど近くに、どす黒い血柱と土煙がどうっと沸き上がったのが見えた。

 ほどなくして、戦車に乗っていてさえ半身が揺さぶられるほどの地響きがどぉんと伝わってくる。


「野郎ども! 公女殿下のおでましだ! 丁重にお出迎えしろ!」

「「ヒャッハー!!」」


 大男は直ちに吠え、蛮族どもは歓声でそれに応えた。


「姿が見えたら直ぐに撃て! 手足の2、3本は頂いて構わん! だが殺すなよ!」

『わかってま』


 シャーマンの一台が無線で同意を伝えようとしたが、その言葉はバギン、という甲高い金属音に遮られる。

 同時に右隣を進んでいたシャーマンが、車体前方で回転させていた地雷除去装置ごと砲塔に被弾し、火を吹いて炎上し始めた。


「何事だ!」

「「代行様だ!!」」


 大男と少年たちが叫ぶのは同時だった。

 少年の声に大男が振り向いたその時、なにか黒々とした長いものが、左隣のシャーマンに空恐ろしい勢いで突き刺さるのが一瞬見えた。

 そのシャーマンは車体弾薬庫を爆発させ、オレンジ色の爆炎とともに砲塔が高々と打ちあげられた。

 激しい衝撃波がM1を襲い、シャーマンの破片が大男の頬を掠める。


「全隊戦闘! 戦闘だ! 撃ちまくれぇ!」


 大男の命令に従い、2両のM2ブラッドレーをはじめとしたすべての車両から前方に向かって火線が伸びる。

 ダンダンダンという音はM2の備える25mmブッシュマスター機関砲。

 ドゴゴゴゴという音は各車両に搭載されたM2重機関銃。

 バラタタタという音は7.62mm機関銃の音だ。

 これにタタタ、パパパ、という雑多な小火器の発砲音が混じる。

 火線にさらされたゾンビの大集団は、融け崩れるようにミンチになっていく。

 いくら頭部を破壊されない限り行動をやめないとはいえ、恐るべき密度と質量の鉛玉の津波が叩きつけられたのだ。むしろ当然である。

 その土煙と血煙、連続してうち続く小規模な爆炎の中に、ゆらりとうごめく巨大な影。M1A1の誇る高感度熱線画像装置、その緑色で表示されるブラウン管の中に、彼女のシルエットが映る。

 黒竜号に乗った鉄薔薇公女、イングリッド・エストレイアの姿が。


「見えたぁ! いただきますッ!!」


 M1の砲手が吠え、戦車砲操縦桿についたトリガーを握り込む。

 激発。

 M256戦車砲に装填されたM829A3装弾筒付翼安定徹甲弾APDSFSの発射薬が電気信号により発火し、長槍のような弾頭が秒速1555mという猛烈な速度で砲口を飛び出した。

 射距離1130m、着弾まで1秒とかからない距離だ。

 並の相手なら外しようがない。


 しかしイングリッドはあっさりとそれを躱し、それどころか砲手の視界から消え去った。


「えッ!? どこどこ!?」

「左だ!」


 砲塔内に潜り込み、車長席に戻った大男が車長用照準器を操作し、高速で砲塔を旋回させる。

 距離878m、長持インベントリを担いだイングリッドのシルエット。その右手には長槍が握られている。

 黒竜号は不規則に蛇行しながら、時速100kmにも迫ろうかという速度で走り続ける。その馬上でイングリッドの影は長槍を逆手に持って担ぎ上げる。

 M1の主砲がイングリッドを捉えかけたその時、馬首を巡らせた彼女の上体が勢いよくゆらぎ、手に持っていた長槍が消え去った。

 ゴヮギン、という聞いたことのないような金属音が響き渡り、ブラッドレーの砲塔が車台から消え去り、背後の雑多な車両を何台か巻き込んで遠く後方へ吹っ飛んでいく。砲塔を失った車台は、よろめきながら明後日の方向へ進み始めた。


「左側面ん! 薙ぎ払えぇ!!」


 大男が叫び、M1の主砲脇に搭載された連装機関銃が火を吐いた。

 叫びに応じて生き残っているブラッドレーが機関砲と連装機銃を、残った6台ばかりのトラックや4輪駆動車に乗った蛮族どもが、それぞれの獲物を隊列の左に向けて連射する。

 しかし、当たらない、当たらない、当たらない。

 今や彼我の距離は300mを切っている。

 黒竜号とイングリッドは速度を一切緩めず、旋回しながら接近し続けた。

 やがて彼女たちが蛮族の後方に回りこんだとき、ついにイングリッドの左手の獲物が火を噴いた。

 イングリッドが左腕に抱えていたものは、撃退した蛮族の車両から剥ぎとった鉄骨で無理やりに銃床を作りつけられた、M197バルカン砲であった。


 ムヴォーーーーーーーーーーーーーッ!!


 ひとつながりになった砲声があたりに響き渡り、バルカン砲の3つの銃身から火とM56A4焼夷榴弾があふれだす。

 その強烈な反動は砲身を明後日の方向へ持ち上げようとするが、イングリッドと黒竜号の強靭な肉体はそれを阻止し続けた。

 焼夷榴弾は着弾したその場で炸裂し、破片と衝撃波を撒き散らした。

 発砲炎の橙色の光を浴びるイングリッドに、表情はない。


 たっぷり3秒ほども続けられた掃射が唐突に止まった時、蛮族の雑兵どもはすべて、肉片と金属片の混淆した何かに変わり果てていた。


「てめぇら、やっちゃあなんねーことをしくさりやがりましたわね……ワタクシひさっびさに、ブチのギーレェで御座いますわ……」


 弾薬を撃ち尽くしたバルカン砲を長持インベントリに放り込みながら、イングリッドは異様に低い声でつぶやいた。




「テメェらにくれてやるのは……デスわよ」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

終末世界のお嬢ネキ 高城 拓 @takk_tkg

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ