勇者アロイス

 んでんでんで。


 イングリッドに救助された難民たちは、先ほどの城壁内部、エストレイア公領の南の玄関口たるオークハムの公館に通された。


 大陸を東西に分かつ”セントレア山地”と、大陸西端の”西風の大盾”山脈から流れ出た大河がぶつかってできた”ヴェスト・セントリア”湖、その魔王領側大河の北岸にある僅かな丘陵地がオークハムだ。

 人類領域においてさえ観光名所とされた優美な城郭。

 きれいに整備された市街と、悪臭の全くしない運河網。

 大陸全土の産品が集うかと思われるほどの巨大な市場。

 ”ヴェスト・セントリア”湖、その水運と漁獲がオークハムに繁栄をもたらした。

 事実魔王領の統一以前は魔族同士で、魔王領統一以後は人類領域とのあいだで、オークハムを巡って数多の戦争が繰り広げられた。

 しかし当初は魔王直轄領であったが、湖と大河と都市の下敷きになったかすかな盛り上がり以外に地形的防御要素を持たないオークハムは、いかに魔王と言えど保持するのが難しかったらしい。

 第19代魔王の頃には魔族と人族の混血の、大陸全土に名を馳せた行商人、ルーク・ランドウォーカーにオークハムの統治を任せるようになる。

 エストレイアと名を改めたルークは何度も命と領地を狙われたが、彼はそのたびに商品を使って領地を守り抜いた。商品とは、魔族人類混合の傭兵隊である。

 以後エストレイア公爵領とオークハムは、”この世界”が”世紀末時空”との融合によってむちゃくちゃになるまで、魔王領における最大の自由交易都市となったのだ。


 さて、オークハムはエストレイア公爵領直轄であり、名目上イングリッドによる管理地である。イングリッドの立場は公爵代官ということになる。

 もちろん城代は別に居る。ほれ前回後半さっきの老練なオーガーの武辺者、彼ですよ彼。

 彼は全く実際的な人物で、華美な城よりも大規模殲滅魔法に耐えられる地下司令部を欲していた。高所は見晴らしが良いが、なにかと狙われやすい。

 さらに言えばイングリッドも、戦装束は派手な見た目で傾いた成りを好む割には、戦そのものには質実剛健を持って望む癖がある。

 そしてふたりとも籠城戦よりも、部隊を動かし続けることで敵の意図を阻害する、運動戦のほうが性に合っていた。

 そんなわけで往時は観光名所にすらなっていた美麗なオークハム城は、日々強化されゆくオークハム市街の城壁、その資材として解体されつつあった。

 二人の好みとは矛盾するようだが、仕方がない。

 ゾンビ共には作戦も兵站もへったくれもない。

 運動戦に付き合ってくれるのは生者だけだ。


 引き換えに貴族の城としてはあまりに小さく頼りない公館が、イングリッドの居城兼行政施設兼その他諸々、として日々拡張強化されている。

 とはいえそもそもが歴代魔王の信任篤いエストレイア家直轄地である。なみの男爵子爵の本拠の城なら一つ二つはすっぽり入る。防御力もちょっとしたものだ。

 なにしろ公領の玄関口である。

 内装や調度品も、こればかりは豪奢なものだった。

 いつ何時、どこかの王族がひょっこり亡命しに来るか知れたものではない。そんなときに貧乏がましいところを見せるわけには行かないのだ。

 以上説明的情景描写終了。

 御清聴謝謝茄子。


 そして難民たちはその巨大な玄関ホールで、イングリッド自らによる歓待を受けている。

 歓待と言っても大したものではないが、果たして彼女が行うべき仕儀であったのか。大いに疑問がある。


「おやめください。お助け頂いただけでなく、そのようなことまで」

「かまいません。これも私の務めです」


 つまるところ子供を含むヒトの難民たちは、イングリッドの手ずからズタボロの靴を脱がされ、あるいは傷の手当てを受け、足湯を頂戴していたのだ。

 靴を履いていても靴擦れや褥瘡、水虫があり、汗で蒸れ、脱がした瞬間にむわっと目に染みるような匂いが広がる。

 靴を履いていない足も、泥を落としたのちには膿まみれの切り傷擦り傷だらけ、惨憺たるものである。

 やはり公爵公女が行うようなことではない。

 公館勤めの下男下女が行うべきことである。

 しかしイングリッドは眉をしかめるどころか、頬を上気させ、いそいそと嬉しそうにそれをこなすのだ。時には難民たちの傷ついたつま先を目の前に持ち上げ、しげしげと見つめさえする。下男下女は湯や足拭きを用意する手伝いでしかない。

 年かさの難民たちは、自分たちよりもずっと大きく恐ろしげな魔族でありながら、地母神のごとき公爵令嬢の慈悲に涙を流した。

 幼い者たちはイングリッドに母の面影を重ね、そして体力の回復に余裕がある青少年たちは、目の前に迫る巨大な山脈とその渓谷といいにおいに性癖を盛大にこじらせた。

 残念だが当然でもある。

 仕方ないね。


 さて、一連の仕儀を双子の侍従は見ているだけだったのか? 手伝いもせず?

 然り。

 彼らにとって全く残念ながら、当然そのようせざるを得なかった。

 イングリッドがそのように求めていたから、というのは説明になっていない。

 その時イングリッドが地母神のような慈悲深い笑みを見せていたその裏で、本当はどのような事を考えていたかを明かすほうが手っ取り早かろう。

 即ち。


(はぁ~~~~~くっせぇ~~~~~~~❤❤❤❤たまんねぇですわぁ~~~~~~~~~~~~~~~~❤❤❤❤❤❤❤❤❤これだから他人の世話すんのやめらんねぇですわよ~~~~~~おほぉ~~~~~~~~~❤❤❤❤❤❤❤❤❤生命の匂い~~~~~~~~~~~~~~~~~~~❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤)


 つまりイングリッドはそういう趣味だった。

 ようはそのくっせぇ~~~❤のを独り占めしたいのだ。

 このことを知っているのはリロとリコと、命の川を渡った数人しかいない。

 でもってそのリロは目を細めて極力見ないようにしているし、逆にリコは死んだ魚のように目を見開いて意識を向こう側に飛ばしてすらいる。

 そらそうよ。

 前回あれだけかっこよかったのに、いきなりこの落差っすわ。


(おっほぉ~~~~~~~~~~~❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤❤)


 おっほぉ~❤やあらへんがな。

 どないすんねんこれホンマ。

 責任者出てこい。



 あ、一応言っておくと閑話休題、イングリッドが中心になって対応できるのは、今回みたいに十数人までです。

 流石に15人超えると下男下女や医療機関からヒト借りたほうが早いので。

 為念。



 そうこうするうち、イングリッドは最後の難民の前に立つ。

 重湯を与えられ体力が回復したその者は、近頃見かける人族の難民にしては肉付きが良かった。

 ただし、線は細い。華奢と言っても良い。

 当然背も低くはあったが、子供のよう、というほどでもない。

 イングリッドは鼻をひく、とうごめかせ、「あら」と何かに気がついた。


「お珍しいことですわ、『勇者』さま。お初にお目にかかります。私はエストレイア公爵が一女、イングリッドと申します。故あって公爵の代行も努めております」


 彼女は両膝を付き視線を下げた。それでも元の体格が違う。結局はその者を見下ろす形になってしまう。

 そしてその者は目深にかぶっていたボロを脱ぎ、プラチナブロンドの頭髪を露わにしてイングリッドを見上げた。


「お初にお目にかかります、公爵代行殿。アロイスと申します。当代の『勇者』の座を引き継いだ者です」


 花が咲いた、とはその瞬間を目にした者どもの感想である。

 ボロの下から現れたそのかんばせ。

 イングリッドは立ち居振る舞いから鉄薔薇と賞されたが、その者はなんと評すべきであろうか。

 輪郭と目鼻は女と見紛うほどに端麗に整い、プラチナブロンドの頭髪は濡れたように輝き、長いまつ毛は窓から差し込む光を受け止めてふるふると震えていた。

 実に、全く、美しい。

 彼はリコの意識を現世に呼び戻すに十分な光を纏っていたのである。

 それを正面から受け止めたイングリッドは?


「……あの?」

「……は!」


 リコとは逆に、たっぷり10秒は意識をあちら側へと飛ばしていた。



 第121代勇者を名乗るアロイスは、正直に「教皇に言われて魔王領の物見に来た」と告げ、イングリッドはそれを受け入れ賓客としてアロイスを扱うこととした。

 その代わりアロイスには、人類領域の状況をつぶさに教えてもらうことにした。

 

「”この世界”がこのような有様なのに、ヒトも魔物もございませんでしょう?」


 とはイングリッドの弁である。

 とまれアロイスを迎えたことを祝うその夜の宴会は、救出した難民にも救出部隊にも被害がなかったこともあり、質素ではあるものの喜びに満ちたものとなった。

 エストレイアの貴族領民にとって、人類領域は敵であると同時に優良な交易相手、要するに好敵手ライバルである。

 ライバルの死を単純に喜ぶものが居たら、それは単なるバカである。

 あるいはエストレイアの魔族も、荒涼とした大地に生き残っているのが自分たちだけではないと知って、人心地ついたのかも知れなかった。

 彼らに対してアロイスが抱いた気持ちは、至極素直な好意が大半を占めていた。

 


 公館、大食堂のテラス。

 酒に当てられ多少肌を赤らめたイングリッドの眼下には、公館や住宅地、田畑の境界線に沿って並んだ魔力灯の灯火が並んでいる。

 視線をもう少し遠くに伸ばせば、遠く城壁にずらりと並べられた魔力灯の光の列が見えるはずだ。

 正直なことを言えばその光がゾンビ共を引き寄せるのだが、暗がりの中でゾンビに怯えるよりはよほど気楽だ。実際夜警は楽になるし、おびき寄せられたゾンビどもが蛮族モヒカン避けにもなる。

 

 イングリッドが眼下の光を様々な思いとともに酒のアテにしていたところ、背後より声をかけるものが居た。


「イングリッド様、よろしいでしょうか」


 凛と張り詰めた声を出したのはアロイスである。


「かまいませんよ、アロイス殿」


 しどけない仕草で手すり──並の身長の者にとっては頭の高さの柵である──に背を預けたイングリッドの姿は、全く女性的でありながら男性的でもあった。

 つまり、覚悟は決まっているのだな、とアロイスは思った。

 そうしてアロイスは、全くなんの前触れもなしに本題を口にした。


「僕は貴方を殺さねばならない」


 それに対するイングリッドの態度は全く見事であった。

 リコに剣を要求することも、リロに銃を要求することもなかった。

 テラスの暗がりからアロイスに抜きつけようとするリコとリロを視線で抑えると、やや顎を引いて唇の両端をわずかに持ち上げただけだったのだ。


「教皇猊下がこの街の賑わいを耳にして、人類領域のものとすべく、私の暗殺をお命じになった。大方そんなところでございましょう? ここは水も豊富で、耕地もそれほど汚染されておりませんから」


 アロイスはこっくりと頷いた。

 その姿には感情は全く無かった。

 ただ意志の形、イングリッドを殺す意志だけがあった。

 

「承りました。是非もありません。但し私も多くの民草の命を預かる身。ただ死ぬはエストレイアの恥。全身全霊を持って、お相手」


 イングリッドはゆっくりと身を起こしながらそのように述べ、アロイスは右手に魔法刃を展開し──そこまでしか出来なかった。


「仕るッ!!」


 その言葉とともにほんの半歩まで近寄ったイングリッドの中段順突きがアロイスの鳩尾に深々と突き刺さり、彼は呼吸を失ったのだ。


「良い匂いをしていらっしゃるから、少しは期待したのですけれど」


 崩れ落ちるアロイスの視界の端で、イングリッドがナイトドレス代わりの外套をはためかせる。


「所詮は強欲坊主の犬ですわ。ま~~ったくがっかりですわね。クソわよ。間違えた。おウンチですわ」

「姫様、下品です」「下品です、姫様」

「ところで彼のワキのニオイを嗅いでも?」

「「歪みねぇな」」


 それがアロイスが意識を完全に失う前に耳にしたイングリッドたちの会話で、アロイスはすべてが夢であってくれればと願った。もちろん色んな意味で。

 

 当然そんなわけにもいかないし、翌朝の展開もテンプレート通りなのは。

 まぁ、しょうがないんじゃないかな☆

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