第13話

 ママは分厚いマスカラを付けていて、濃いアイラインを引いていた。

 しかし欧米の絵に描かれる日本人のように、吊り目ではなかった。

 どちらかというと、アライグマを連想させる感じだ。

 眉は弓形に自然に整えられ、鼻はちんまりとしていたが形が良かった。

 口元は魅惑的にグロスが引かれ、歯は小さく綺麗に揃っていた。

 肌はどちらかと言うと褐色に近く、テニスかゴルフ、そんな野外の運動を何かをしているのだろうと思われた。

 髪は自然にウエイヴのかかったショートカットだ。

 トータルで言って、魅力的な女性だった。

 と、俺がすこぶる肯定的なのも、ママは座ったボックスで自分のとなりをぽんぽんと叩き、俺にそこに座るように言ってくれたのだ。

「僕は仕事が」と言ったのだが、

「まあ、いいじゃないの」とママは言った。

 俺はますます、その夜の《通し勤務》が、俺以外の全員で仕組まれたことのように感じた。

 ママはジンジャーエールを注文し、俺になんでも好きなものを飲むようにと言った。

 俺はアイスコーヒーを頼もうとしたが、即座に、

「お酒がいいんでしょう?」と言われてしまった。

 カズがずいぶんと愛想よく、ジンジャーエールとドラフトビールを運んできた。

 俺はママとグラスを合わせた。

「で、どう? お店は楽しく働けてる?」

 ママの声はそう低くもないがしわがれている。

 下品な感じじゃなかった。

「とても楽しくやらせていただいてます。実はこの時間にいるのは初めてで」

「そうよね。初めて会ったんだもんね」

 なるほど、この時刻がママの登場タイムというわけなのかと思った。

 間が持たなかったので、俺は急いでビールを飲んだ。

「すごいピッチね。おかわりする?」

「いえ、これで結構です。ごちそうさまでした」と俺は席を立った。

 この判断は間違っていなかった。

 入れ替わるように店長がボックスにやってきて、ママと頭を付き合わせるようにしながら、何か相談を始めた。

 三時を回り、何組かの客がはけて行った。

 レジはもっぱらカズの仕事だ。

 俺はゴルゴといいチームワークで、客の散らかしたテーブルを片づけた。

 最後の一組を見ているのは苦にならなかった。

 俺はちっとも疲れていなかったし、むしろ興奮気味だったからだ。

 ゴルゴも俺も、お客をせかしたりはしないように、ホールの隅っこでじっとしていた。

 客の一人が手を挙げたので近づこうとすると、ゴルゴが制して自分で出ていった。

 何か話していたが、やがて戻ってきた。

「何か食わせろっていうから、ラストオーダーは済んだって言ってやったんだ」と、小声で言った。「この時間によくあるパターンさ」

 かなり酔った男女四人組が帰った時、三時四十分だった。

「さ、これで終わりってわけだ」とゴルゴが言った。

 店長とママは相変わらず相談を続け、カズはレジを整理していた。

 俺とゴルゴは片づけを終え、端から順に、椅子をテーブルに載せていった。

 よほどひどく汚されていない限り、床掃除は明日の朝──つまり翌日の早番にやることになる。

 驚いたのは、奧のボックスのひとつに、バンマスのヘンリーさんがいたことだ。

 コーラの瓶を握って、平然とテーブルに肘をついていた。

 俺がびっくりしたのを見てとって、

「俺は黒いから、わからんかっただろ?」と笑った。

 大きな白い歯がこぼれると、暗がりでずいぶんまぶしく感じた。

 カズがレジから手提げ金庫をぶら下げてホールに戻ってきて、

「おつかれさん」と俺たちに声をかけた。「ビールやって、ええで。ドラフトやなくて、缶の方な」

 ゴルゴと俺は、ホールの隅に、そこだけ残した一組のテーブルで一息ついた。

「いつもこんなんなのか?」

「こんなの、とは?」

「こんなににぎやかなのかい」

「今日はまさしく、平均的というか典型的な日だったよ」

「おどろいた」

「な、早番とは違うだろ? 疲れたかい?」

「まさか。なんにもしてないもん」

「ヒマだとこれが、疲れるんだよな。《ヒマ疲れ》ってな」

 音楽はもう流れておらず、不思議な静けさを感じた。

 いつの間にかママとの相談事を終えた店長が、ホールの真ん中に立っていて、

「おい、メシでも行くか?」と声を挙げた。

「俺、いけませんわ」とカズ。

 店長はくるりと俺たちを振り返り、

「そっか。若いのは、どうだ?」

「今日は遠慮しておきます」とゴルゴ。

「じゃあまた今度な」

 なるほど、この時間にはこういうムードになるのか、と思った。

「みんな人が悪いや」と、俺はひとりごちた。

「え? 何だって?」と店長はめっぽう耳がいい。

「ああ、いえ、初めて遅番の世界を見て、おどろいたって話です」

「だろう? 明日もガンガン行くからなっ」

 店長は鼻歌を歌いながら帰っていった。

「なあ、ゴルゴ。今日、俺を遅番に誘ったこと、みんな知ってたのか?」

「どういう意味だい?」

「店長もカズさんもあまりに自然でさ。みんな知ってた筋書きなのかなって」

「そんなことないよ」

「不思議だな」

「水商売って、不思議なもんだよ」

 ゴルゴはニヤリと笑った。

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万華鏡のころ 浦瀬 剛 @HARRY_G

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