第12話
チャーリーはいつも早番の二十三時きっかりに店を出たが、俺は終電に間に合う時刻ぎりぎりまでいることが多かった。
必ずしも時給を多く稼ぎたいばかりではなく、その頃の店が、ある意味一番楽しかったのだ。
二十三時を超えてやってくる客は食事も済ませ、たいていは酔っぱらっていて、終電の時刻も気にせず遊ぼうという連中だった。
いろんな遊び場があるだろうに、その中から生サンバ・バンドのライブを選んでくれているということに、なんだか妙に感謝の気持ちが起こった。
客の中にはすでに顔見知りもいて、俺は二十三時に上がる際には挨拶をしたものだったが、もう帰るのかと残念がってくれる人もいた。
ある日のことだ、ゴルゴが俺に、
「ねえハリー。今度、通しでやってみない? 面白いぜ」と言った。
「それは考えないでもなかったんだけど、店がハネてからどうするんだよ」
「どうって?」
「家に帰れないじゃん」
「店がハネるのは早くても四時過ぎだろ。そこから後かたづけしてビール飲んでりゃすぐ四時半回るよ。五時になれば始発がある」
なるほどゴルゴの家は南千住だとかで、五時過ぎに出る始発の日比谷線に乗れば、乗り換えなしの三十分あまりで着いてしまうのだ。
「やってみようかな」
「恵比寿周りだって同じことだと思うぜ」
きっとそうだった。
その日俺は、通しで店にいてみることにした。
二十三時半までの店が表の顔とするなら、零時を回ってからの店は、まさに《万華鏡》だった。
零時に始まるステージはいつもより長く、それに合わせてやってくる客がいることも判った。
「な、にぎやかなもんだろ?」
ゴルゴはそう言うと、その日の俺はお客様だと言わんばかりに、くるくるとよく立ち働いた。
ポップコーンもいつの間にか補充し、《ミネ》の用意も怠りない。
ミネというのは水割りに使うミネラル・ウォーターの略で、店ではファンタの瓶に入ったものを使っていたが、そのじつ中身は単なる汲み置きの水道水だった。
それでも月に一ケースくらいは買うので、運のいい客は、正しくミネラル・ウォーターが飲める。
空き瓶には傷が多いものと綺麗なものがあるが、その中から綺麗なものだけを選りすぐって溜めておき、そこに水道水を収めてクーラーに入れておくのだ。
ゴルゴは早番で俺たち三人がやっている仕事を、もっと忙しい遅番に一人でこなしていたのだ。
「それにさ、ハリーはむしろ、遅番で出てくりゃ学校にも影響ないんじゃないの?」
「そうなんだ。前からカズさんに言ってたことなんだけどさ」
遅番の客は、派手だった。
六本木内や、果ては銀座から、クラブがハネた後、いわゆる《アフター》としてホステス連れで来る連中もいた。
早番の客に較べると言葉遣いは横柄だったが、みなご機嫌な様子だ。
素早い身のこなしで戻ってきたゴルゴが、俺にちらりと手許を見せる。
五千円札が握られている。
「チップも珍しいことじゃないぜ」と、片目をつぶってみせる。
遅番では、いつもは大人しい店長も大はりきりで客をあしらう。
カズも客の席についていることが多い。
カクテルを頼む客がいると、ゴルゴがカウンターでシェイカー──これは酒を作る方のやつ──を振るのにも驚いた。
店長もカズも俺が通しで残っているのに驚いた風もなく、むしろゴルゴと口裏でも合わせてあったみたいに、
「どうだ?」とか「おもろいやろ?」と口にした。
面白かった。
一時半にもステージがあり、それが終わるとバンドのメンバーは楽器をしまい始めた。
ゴルゴによれば、お客次第では三時前に演奏することもあるらしい。
客たちはムーディーなボサノバに合わせてホールで踊り、席に戻るとがぶがぶ飲んだ。
厨房も思いのほか忙しく、チーフも大車輪の働きだ。
大げさに言えば酒池肉林の大騒ぎだった。
二時半に、小柄な女性が一人で現れたので、俺はすっ飛んでいって席へ案内しようとした。
彼女はいぶかしげに俺を見て、そして微笑んだ。
「あなたがハリーちゃん?」
戸惑っている俺の後に、店長が立っていた。
「初対面かよ」と驚いたように俺を見る。「ママだよ。この店のママだ」
店長は、ママの手を取るようにして奧へいざない、カズがおしぼりを持ってすっ飛んできた。
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