マリア
まゆし
マリア
1
マリアは、生まれたとき、長くは生きられないと誰かに聞いた。
だけど、私は誰がそれを言ったのか、全く覚えていない。
違和感はあった。私は自分で体がうまく動かせなかったから…
手も足もなくて…それに、声も出ないから。
誰とも関わることができない、あまりにも残酷な現実を突き付けられ、どうしたらいいのか全くわからない。
誰か助けてって言いたいのに言えなくて。誰も助けてくれないのなら、受け入れるしかない。
短い私の生涯を。
けれど、やっとの思いでその残酷な現実を受け入れた私に追い討ちをかける。
私を取り巻いて、ぐるりぐるりと締め付けるようにして、さらに私の心をえぐる。
お前は、存在しているだけで、周囲を傷つけてしまうのだ、と。
私は何一つとして抗うことができず、もう私自身をぐるりぐるりと締め付ける何かに、すべてを委ねるしかなかった。
私を運び行く何かに、すべてを委ねるしかなかった。
誰も幸せにできないのなら、私が生まれてきた意味がどこにもないというのなら。
一つだけでいいから、教えてください。
なぜ、私は生まれてきたの?
誰か、教えて…
唯一の願いも虚しく、知らぬ間に。五日間でマリアは名前を取り上げられ、三日後に消滅した。
2
マリアは、考える。何か、周囲を傷付けない方法はないのかしら、と。
そうして何分も何十分も何時間も考えてみていた。けれど、何一つとして方法は見つからなかった。
たったひとりで、どうしろというのか。いや、どうもしては、いけないのだ。
何かを、変えようとしてはいけない。私にそんな権利はない。
誰かが、私を変えてくれるまで。じっとその環境に耐えるしかない。時を待つしかない。
私を生んでくれた母親はいたのかしら。母は、こんな私に、どんな言葉をかけてくれるのだろう。
優しい人だといいな、あたたかい人だといいな、愛してくれる人だといいな。こんな私を。
まだ見たことのない母を、これからも見ることはないであろう母を、想う。
私が、変わる時。それは、私が名前を失くす時。そして、私が消える時。
その時を、私はただ待っている。
自分自身で動かすことのできない体を、何かに委ね流れるように周囲に傷を負わせて去って行く。
そうしてまた、何も知らないままに。四日間と半日でマリアは名前を取り上げられて、誰の記憶にも残らない。
3
マリアは、人間達が吹き飛ばされそうな強風を一身に受け、傘をしっかり握り、防ぎきれない雨が身体を濡らしていく様子を横目で見ていた。
閉じこもっていればいいのに…こんな日くらい。
声に出したいけど、声はでない。
話すことができて、誰かが側にいるっていいわね。
羨ましいの。そして、妬ましいのよ。
私には親がいなくて、ひとりぼっちだと気がついたのは、いつだったかしら。
私には誰かと話す為の、声がないと気がついたのは、いつだったかしら。
寂しい…誰か側にいてくれて、声はでないけれど話し掛けて寄り添ってくれる存在は、私にはきっと現れないのね。
道行く人々は、一人で歩く人が多いけれど、きっとお話する人がいるはず。
羨ましい。純粋に、羨ましいとだけ思えたらどんなに良いことか。浅ましくも卑しくも、私は羨ましさと共に妬ましさを覚えてしまうの。
私だって、こんな風に思いたくないの。
私だって、こんな自分は大嫌いなのよ。
強い風は、木々を揺らし、葉を散らして、花を傷つけてしまう。
強い雨は、人々の服を湿らせて、足取りを重くして、気持ちまでをも暗くしてしまう。
でも、安心して。もう少ししたら、風は弱まり、雨も止むから。
私が運ばれて行く先々に、強い風と強い雨。私が離れて行くにつれ、あなたたちの苦痛は減るはずだから。
五日間存在し、六日目にマリアは名前を取り上げられ、そうしてすぐに消滅した。
4
マリアは、嫉妬から生まれた怒りと憎しみに心身を侵され、何も見ず、何も考えず、ただ暴れまわった。
無作為に、自然を、生き物すべて、みっともない姿を晒し、逃げ惑えばいい。
この私から逃げられれば、の話だけれどね!逃げられまい!そんな隙など与えてやるものか!
風と雨を叩きつけて、深い深い傷を残そうとする。
どうせ消えてしまうなら、道連れにしてやろうと、無惨に砕け散ってしまえと言わんばかりに。
まさに、暴風雨。
海よ、荒れろ!川よ、溢れろ!
木よ、葉を散らせ!花よ、花弁を散らせ!
小さな虫の命を奪うことも、住まいを奪うことも全く気にならない。むしろ、愉快とも感じる程。今だかつてない高揚感に酔いしれた。
そして、この程度の風と雨も耐えられないのか?なんともちっぽけなやつらであるなぁと、見下し弄んだ。
破壊と殺戮を司る神の権限を行使するかのように、声にならない高笑いをして、彼女は暴れまわる。
九日間もマリアは今までの苦悩を爆発させたかのように荒れ狂い、翌日名前を取り上げられた。
そうして名前を取り上げられた彼女の行方は、誰も知らない。
5
ソンティンは、ゆっくりと話し始めた。 雨はまだ降っていないが、普段と違う雨を呼ぶ風が吹いている。
彼女は、また数年後姿を現すことになるのです。そして、私も。
生まれたら、また彼女は悲しみ、そしてそれを受け入れて、あなたたちに傷を残していくでしょう。同じく、私も。
あなたたちは、「早くどこかへ行ってくれ!」と思い、そして、実際に口にすることもあるでしょう。
けれど、少しの間、少しの間でいいから、私たちが存在することを赦して欲しいのです。
このような私たちでも、少しだけ、あなたたちの力になれることもあるのです。
空の空気や海をかき混ぜることができ、珊瑚たちを守ることができます。砂浜をきれいにすることも、川の底の不要物をさらうことも。
水不足になることを防ぎ、水際の石や岩を綺麗にすることもできるのです。
こんな小さなことくらいしかできないのですが、私たちの存在を赦して欲しいのです。
彼女はマリアという名前を失くした時、変化して消えるのです。名前を失くすまでの時間は、決して長くはないのです。
気がついていたでしょうか。今までもこれからも、何度も彼女が現れるということを。
初めて彼女が「マリア」と名付けられた、その時から。
2000年のマリア。
2006年のマリア。
2012年のマリア。
2018年のマリア。
また、お会いすることになるでしょう。
おそらく、一度、彼女と出会うことがあったなら。六年後くらいの頃合いに、またお会いすることになるでしょう。もちろん、私とも。
そう、彼女は…
マリアと名付けられた、13番目の台風。
私は、彼女の次に現れる…
ソンティンと名付けられた、14番目の台風なのです。
マリア まゆし @mayu75
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます