第5話


 退屈な入学式が続く中、在校生からの祝辞に雅美が壇上へ呼ばれた。

「在校生代表、水俣雅美!」

「はい!」

 凛々しく返事した雅美が制服姿で壇上へ登ると、一人しかいない入学生である直樹と目が合った。

「「…」」

 昨日の様子とは、ずいぶんと違う凜とした雅美の雰囲気に直樹は彼女への印象を改めた。昨日は自殺しようと思い詰めていて、髪も乱れていたし顔も精彩を欠いた。けれど、今日は違う。別人かと思うほど、生気があるし潰された片目には宝石を飾った眼帯をしている。制服姿であることは同じなのに、今日は着ている制服にも誇りが感じられる。瑞々しい黒髪をポニーテールに結い上げ、気合いを入れた顔つきで演壇に立ったけれど、直樹と目が合ったことで少し頬を赤くした。

「…、在校生代表、水俣雅美です。祝辞を述べます」

 それでも役目を果たしていく。

「吉野直樹殿、ご入学おめでとうございます。本学園に男子が入学するのは、これが初めてであります。かねて…」

 学園初の男子であることなどは、すでに他の来賓からの祝辞でも何度も述べられているし、そもそも新富士市の市民としての男性も直樹が初だった。雅美の祝辞は前半が型にはまったものだったけれど、後半から個人的になる。

「あなたが産まれたのは富士の樹海でしたね、私は産まれたままのあなたに出会い、とても驚きました。テレビや写真などで見る男性が本当に私の目前にいるのだと、にわかに信じられないくらいでした。そして、ここで一つ告白をします」

 雅美が一呼吸おいたので、在校生も教職員も来賓もこの場を利用して雅美が直樹へ愛を告白するのだろうと予想した。せっかくの出会い、それを活かすために一刻の猶予もなく先走りたい気持ちは理解できる。けれど、雅美の告白は少し違った。

「あのとき私は自殺するために樹海にいました。私を妬んだ人に目を刺され、失明した絶望で死のうと思い詰め、樹海で首を吊っているところでした。滑稽なことに死にたくて首を吊ったくせに、怖くて助かろうと藻掻いていました。そこに、あなたが来てくれた。私の命を救ってくれた。あなたは私の命の恩人です。神がつかわしてくれた救い主です。この事実は奇跡、有り難くて有り難くて、本当に涙が出ます。ありがとう、直樹くん、私を助けてくれて、ありがとう、あのとき産まれてくれていて、そして、私のお願いをきいて、この学園に来てくれて、本当に、どこまでも、どこまでも有り難う」

 雅美が失明していない右目から涙を零し、瞬いてから祝辞をしめる。

「ご入学、心からお祝いいたします。いっしょに楽しい学園生活を送りましょう」

「うん、ありがとう」

 マイクが無いので聞こえないけれど直樹が答え、それは雅美に伝わった。そして式次第として直樹が答辞に呼ばれる。

「ここで吉野直樹殿より答辞をいただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

「あ、はい」

「では、お願いいたします」

 いきなりで何も考えていなかったけれど、直樹は雅美と交替で演壇に立った。

「………」

 壇上から見下ろす体育館には、やはり女性しかいない。その女性たちからの視線を感じる。直樹は無意識で少しネクタイをゆるめ、答辞を始める。

「みなさん、今日はありがとうございます。まだ、産まれたばかりで右も左もわかりませんが、どうかみんな仲良く楽しく過ごしたいと思っています。どうぞ、よろしくお願いします」

 短いけれど、はっきりとした答辞に対して近くにいた阿左美が言う。

「覇気はのうても、さすがに男でありんすな、堂々としたものじゃ」

「…どうも…」

「クク♪」

 阿左美は紅の和服から出した扇子で司会に合図する。

「これにて入学式を終わります。新入生から退場してください」

「あ、はい」

 直樹は壇をおりて月子と里奈を伴って退場する。体育館の出口で担任となる教師が待っていた。

「2年1組を担任している森泉栗鼠子(もりいずみりすこ)よ。吉野くんの担任になります」

 栗鼠子は名の通り小柄で顎が細くてリスのような顔立ちで、豊かな髪をしているのでますますリスのように見える女性だったし、栗色のスカートスーツを着ている。とても緊張しているのに、それを隠している様子で言ってくる。

「ぃ、言っておきますが、男子だからって特別扱いはしませんよ。学校にいる以上、学校のルールに従ってもらいます。わかりましたか?」

「わかりました」

「わ…、わかれば、よろしい。……ぁ、あと、私はまだ26歳ですから、それもよろしく。さ、教科書を渡して、校内を案内します、こちらへ」

 赤くなりそうな頬を隠して背中を向けた栗鼠子に対して、月子と里奈が心中で言う。

「「……ふぅ」」

 教師に徹するか、女をするか、選ぼうよ、とタメ息に隠して吐いた。栗鼠子はまず職員室に直樹を案内し、教科書類を見せる。

「これが教科書です。フランス語、ロシア語、中国語、英語、ドイツ語、ポルトガル語、ダガログ語、ヒンディー語、アムハラ語、バントゥー語、算数、理科、歴史、被服、調理、住宅、保健体育、格闘体育、情報処理を学んでもらいます」

「はい。…………」

 直樹は受け取った教科書をパラパラと眺めてみる。そして疑問が湧いた。

「なんのために、こんなに複数の言語を習うのですか?」

「あ、やっぱり男性だと、そこは疑問ですよね。あなたたち男性は学ばなくても世界中の人と意思疎通できるから。でも、私たち女性は母から学ぶ母語だけしか自然には理解できず、他の言語はいちいち勉強しないと使えないんです。国際平和のため相互理解を深める必要があって学んでいます」

「そうなんだ……ふーん……」

「重いでしょうし、基本、置き勉でいいですよ。次に校内と部活を案内しますね」

「はい」

 栗鼠子の先導で直樹たちは校内を巡る。古い木造の旧校舎を部活棟にしていて、その中に直樹たちが入ると、部活中だった女子たちが色めき立つけれど、さきほど月子がリンコをねじ伏せたのを見ていたので一斉に寄ってくるようなことはないし、月子と里奈が今も警護しているので遠巻きに見てくるだけだった。栗鼠子は自分が顧問をしている部の部室に直樹を案内する。そこは教室だった部屋を畳の間とキッチンに改造していて、十人くらいの女子たちが畳に正座して両手で持つような大きさの茶器で抹茶を飲んでいた。直樹たちの入室を知ると、一瞬は静寂だった空気が乱れて正座から立ち上がって駆け寄ってこようとしたけれど、部長らしき三年生が手の仕草で注意すると、女子たちは静粛な正座に戻り、そっと両手を両膝の前につくと、深くお辞儀してくる。

「「「「「いらっしゃいませ、吉野直樹様」」」」」

「あ、うん……どうも、こんにちは」

 直樹は返答に困りつつも、なるべく平静に応じた。女子たちも静かさと和を乱さず、直樹へ抹茶と甘い和菓子を出してくれる。月子と里奈にも用意してくれたけれど、二人は辞退した。静かな雰囲気のおかげで、ゆっくりとお茶と菓子を味わった直樹へ部長はお代わりを勧めてくる。

「もう一杯、たてますね」

「いえ、もう十分で…」

 直樹が辞退しようとしていると、隣の部室から教師と部員が押しかけてきた。教師が栗鼠子へ文句を言う。

「ちょっと森泉先生! いつまで吉野くんを独占してるんですか?! 部活紹介は公平に!! 門戸開放、機会均等を要求します! この子たちにもチャンスをあげて!」

 教師に続いて部員たちも押し入ってくる。

「今ちょうど、ケーキが焼けたところなんです!」

「チョコレートホンデュも用意したの!」

 女子たちが甘い香りをさせて口々に直樹を誘ってくる。隣の部室に移動すると、そこではケーキや紅茶が出てきた。さらに、どんどんとカラフルなクッキーやプリンが出てきて、直樹は質問する。

「えっと、ここは何の部活をしてるんだい?」

「「「「「洋菓子部です♪」」」」」

「あー、そうなんだ。森泉先生、さっきの部は何部?」

「うちは和菓子部ですよ。別名、菓道部といい、かつて日本の戦国時代に争いをやめさせようと、甘い御菓子とお茶の組み合わせで戦国大名の心を癒やそうとして外交を計った千利々子(せんのりりこ)が発展させたのですが、彼女の死後は御菓子の材料となる甘味料の生産地や、食器と茶器の華美を競って、かえって戦いが起こり、国を奪い合うのと同じくらい茶器を奪い合ったそうです。ホント我ながら女ってバカですよね、もっとも値打ちがあるとされた茶器なんて、日本の土地を半分あげてもいいなんて言われたくらいで、頭おかしいですよ」

「戦国時代か……さっき、パラパラっと見た教科書にあったけど……、どう終わったの?」

「フフ、それは、あとのお楽しみ。終わらせた人に、あとで会えますよ」

「へぇ……男の人?」

「もちろん」

「それは楽しみだな。やっと、同じ男に会える。じゃあ、もう食べきれないし、和菓子部と洋菓子部はだいたいわかったし、他の部も見せてもらおうかな」

「次は、中華料理部です」

「……。他には?」

「洋食部と和食部もあります」

「……食べる系ばっかりだね。この学園って料理の学校?」

「いえ、普通科がメインです。まあ、女は禁断の実でさえ食べるし、中国の女性なんて生物で食べられないものはないと言いますし、私たち日本人女性もフグでもタコでも食べますから」

「食べる以外の部活はないの?」

「あと、被服デザイン部、モデル部、住宅装飾部、園芸菜園部、果樹部もあります」

「服と家かぁ……そして、食べる系っぽい園芸と果樹……スポーツとか身体を動かすのは?」

「柔道部と機動格闘部、機動ドレス制作部がありますよ」

「ふーん……ちょっと見てみたいかな」

「わかりました。では、体育館の隣にある道場へ」

 直樹たちが道場に入ると、色とりどりのレオタード姿の女子たちが1対1で格闘する練習をしていたけれど、男の視線を感じると身体のラインが丸見えになっているレオタードを着ていることを恥ずかしがって全員が顔を赤くして戦うのをやめた。立ちつくしてモジモジと両手で胸と股間を押さえているので栗鼠子が配慮して言う。

「はーい、恥ずかしがると余計に恥ずかしいから、できるだけ普段通りに練習している姿を見せてくださーい」

「「「「「……………」」」」」

 柔道部員の女子たちが恥ずかしそうにしながらも練習を再開する。彼女たちはお互いの身体を傷つけない範囲で組み付いたり、腕や脚を把持して相手を投げたり、関節技をかけたりして戦っていた。着ているレオタードは手首と足首まで長さがあり肌の露出は手と足だけでも、レオタードの生地が着圧の高いストッキングのようにピッタリとしたものなので、お尻の割れ目や胸の形が露わになっている。それは相手に衣服を掴まれないためのものなので下着もつけておらず、技術的には裸と裸で戦うのに近くて投げたり関節技をかけるには正確に相手の身体を捉える必要があった。そして顔はとくに負傷するのを避けるため、フルフェイスのヘルメットを被っていて、その表面は相手を傷つけないよう柔らかい素材で覆われていた。おかげで顔は隠れていて、それを再認識した彼女たちは恥ずかしさが軽くなっている。むしろ匿名性が高いのと、レオタードの色合いは美しさを競うようにヘルメットともデザインや色柄を合わせていて、自分の美を誇るように戦い始めた。その姿は一輪の花と花が競っているようで、特殊な美しさがあった。

「やあ!」

 鋭い動きで相手を投げた女子が、見ていてくれた? とばかりに直樹の方に視線を送ってくる。直樹は投げられて畳へ叩きつけられた女子の方を心配そうに見ていて、栗鼠子に問う。

「こういうことして怪我しない?」

「大丈夫ですよ、柔道は明治22年に嘉納治五郎氏が命名した格闘技で、なるべく相手を傷つけずに勝敗が決まるので今では世界中に広まっています」

「ってことは以前には傷つけるスポーツもあったんだ?」

「はい、殴る蹴るといった戦い方もあったのですが、今では全面的に禁止されています」

「そっか。争いはやめてほしいからね。嘉納くんは、えらいなぁ……会ってみたい」

「探せば会えるかもしれませんが、世界各地で柔道を教えていらっしゃるから、目撃情報を頼りに行っても、なかなか難しいそうです」

「それは残念。でも、相手を傷つけない精神は本当にいいと思うなぁ」

「………男性なら、そう考えますよね。私たち女も理屈ではわかっているのですが、つい自分たちの欲望に負けてしまって、それが争いを産むし、争いに備えて機動格闘部のようなものも必要なのです。きっと、見ると嫌な気持ちになるかも」

「どんな部活なんですか?」

「……一応、どこの学校でも部活の花形でもあります。ここでは飛行や射撃といった練習を重ね、模擬戦でも相手選手を傷つけないようにしますが、成績がよく志望する人は軍に進みます」

「軍………」

「まあ、とりあえず見てください。もとは戦いでも今はスポーツのようなものです」

「ふーん………」

 訝しむ直樹を連れて栗鼠子は大きな施設に移動した。

 

 

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イブだけが、あの実を食べた世界 鷹月のり子 @hinatutakao

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