第4話
翌朝、市役所に手配してもらった市内のホテル客室で目を醒ました直樹へ、月子と里奈が訪ねてくる。ドアをノックされたので直樹は衣服をちゃんと着られているか見直してから二人と対面する。警察官の制服を着た二人が敬礼してきた。
「「おはようございます。吉野様」」
「あ、はい、おはようございます。あの…吉野様とか呼ばなくて、吉野くんとか、そんな感じでいいです」
「「わかりました。吉野くん」」
二人が少し微笑してくれたので、直樹は二人を可愛いな、と感じた。里奈は持っていたカバンを開け、新富士学園の事務員から預かった男子制服を直樹に見せる。
「学校に行く前に、こちらに着替えてください」
「着替えるって、この服じゃダメなの?」
直樹は着ているシャツとズボンを指した。月子が答える。
「はい、学校に行くときは、それ専用の服を着るようになっています」
「そうなんだ。わかったよ、じゃあ、着替えてみる」
直樹は着替え始め、月子と里奈は背中を向けて客室ドア付近に立つ。男子制服は長ズボンが雅美の制服スカートと同じ淡い紺色で、半袖シャツは白、ネクタイは赤だった。里奈は背後で男性が着替えているという緊張感をほぐすため、月子へ話しかける。
「それにしても、昨日の今日でよく男性向け制服なんて学校側も用意できましたね」
「どこの学校も男子の入学を待望して用意はしているそうよ。警察の制服だって一応はあるはず」
「へぇ…男性警察官かぁ……見てみたいなぁ」
「そうね」
雑談している二人へズボンとシャツを着た後、ネクタイで苦戦している直樹が頼む。
「すいません。この紐みたいなもの、うまく着られないというか、変な形になってしまいます。どうすれば、いいですか」
「「あ、それは…」」
月子と里奈が振り返り、直樹がネクタイを結ぶのを手伝ってみる。けれど、二人も経験がないことなので、添付のパンフレットやスマートフォンで結び方を検索しながら頑張ってみる。
「う~ん…佐川警部、こんな感じかなぁ」
「……。どう? 吉野くん、苦しくない?」
「はい、大丈夫です」
「「でも…形が…」」
二人ともネクタイの形が見栄えしないので、また解いて結び直してみる。そして、そのうちに直樹と向かい合って顔を近づけているのが恥ずかしくなってきて、里奈は真っ赤に頬を染めたし、月子も赤面していく。
「二人とも顔が赤いけど、大丈夫ですか?」
「っ……」
里奈が困り、月子が答える。
「大丈夫だから、目を閉じていて」
「はい」
直樹は素直に目を閉じた。それでも二人は恥ずかしくて顔を赤くしたまま、とにかくネクタイを格好良く結び終えた。
「はぁぁ、できた…」
「ふーっ…」
里奈と月子は吐息をつき、赤面が鎮まってから直樹に目を開けてもらった。
「ありがとうございます。………これを毎朝、結ぶのか……どうして、こんな面倒なことを? 世界中の男子がこれを?」
「えっと……」
「世界中ではないけれど、多数派ではあります」
「そうなんだ……」
直樹は窮屈さを覚えたけれど、せっかく二人が熱心に結んでくれたものなので受け入れる。月子は冷静さを保つ努力をしながら告げる。
「では、本日より吉野くんの警護は私と羽田警部補が行います」
「吉野くん、ちゃんと私がお願いしたとおりに、指名してくれたんだね、ありがとう」
雅美が友達となるよう求めてスマートフォンを渡したように、里奈も昨日のうちに直樹へ警護がつくことを見越して指名を求めていた。それがかない、偶然の出会いが必然の業務に変わり、とても喜んでいる。気心の知れた先輩である月子もいっしょなので余計に嬉しかった。
「いえ、こちらこそ、よろしく」
直樹が頭をさげ、月子が言う。
「では、学校に行きましょう。今日は土曜日だけれど、あなたのために入学式をするそうよ」
「ボクのために……」
やや緊張した顔で直樹はホテルを出ると、用意されていた馬車に乗り新富士学園へ向かう。石畳の道を馬車はときおり他の馬車と擦れ違いながら進み、市街地の外れにある学園に到着した。馬車が校門をくぐり、敷地内に入ると直樹の姿を一目見ようと集まった大勢の女子たちが幾重にも並んでいてキャーキャーという声が響いてくる。月子と里奈は警護の必要性を再確認して、馬車が止まると直樹より先に降りて女子たちとの間に壁となって立った。続いて直樹が降りると歓声が巻き起こる。
「キャー! 本物の男子よ!」
「男子高校生って今現在で彼だけじゃない?!」
「何年生になるのかな?!」
「握手してください!!」
「お名前を教えてください!!」
「…え、えっと、吉野直樹で…」
びっくりしている直樹の肩を月子が軽く押してくれる。
「相手にしないで、ゆっくり進んで」
里奈も警官らしく毅然と振る舞う。警笛を唇で咥え、ピッと鳴らした。
「道を開けて! 道を開けなさい!」
「握手してください!」
それでも強引に小柄な女子が駆け寄ってきて直樹の手を握った。
「ヤッタ♪」
手を握っただけで最高の笑みを浮かべているけれど、月子がその手首を捕まえて捻った。そのまま地面に組み伏せて警告する。
「やめなさい! 痴女行為の現行犯で逮捕します!」
「うぅぅっ…」
小柄な少女は簡単に取り押さえられ涙目で直樹を見上げる。
「うぅ…助けて……痛いぃ…」
「そんな風にしなくても…」
直樹が可哀想になって言った。月子は手錠を取り出しながら説明する。
「同意なく男性の身体へみだりに触れるのは犯罪ですから」
「罪っていうほどじゃ……」
「では、今の行為を吉野くんは見逃しますか?」
「それで、その子を離してくれるなら」
「わかりました。一応、氏名を確かめます。生徒手帳を出して名乗りなさい!」
「ぅぅ……ぐすっ……」
解放された少女は痛そうな手首と唇を震わせつつ、制服スカートのポケットから生徒手帳を出した。
「…伊吹リンコです…ぐすっ……助けてくれて、ありがとうございます。吉野くん…いえ、吉野様」
「様とか呼ばなくていいよ」
「じゃあ、吉野くん、お友達になってください」
リンコは長い髪を左右に大きく分けたツインテールにしている。小柄なので相対的にツインテールが大きく見え、その髪を子犬の耳のように可愛らしく揺らして懇願してくるので、つい直樹は承知する。
「うん、いいよ」
「ヤッタ♪」
「あ、ずるい! 私も!」
「私もお友達になってください!」
「私も! 私も!」
女子たちが騒ぐのを月子が一喝して鎮める。
「騒がず道を開けなさい!」
「道を開けてください!」
里奈も手伝い、さらに教師たちも生徒を鎮めたので、やっと校舎に入れる。そのまま体育館に移動し、直樹一人のために用意された入学式となった。広い体育館の前方中央にポツンとパイプ椅子が置かれ、左右に教職員と来賓、後方に在校生という配置で、集まっているのは直樹以外は全員が女性だった。市長の陽子も来ているし、県知事もいて国会議員も5名ほど来ている。司会が式次第を進める。
「これより臨時の入学式を執り行います。新入生、吉野直樹殿、ご入場ください。みなさまは拍手を」
万雷の拍手の中、直樹は大袈裟さに驚きつつも、とりあえず歩いて進み、パイプ椅子に座った。月子と里奈はその左右に警護として直立する。
「在校生起立! 校歌斉唱!」
「「「「「太陽の風♪ 背に受けて♪ 富士の…」」」」」
女生徒たちが立って校歌を唄い。終わると学園長が演壇に向かった。学園長も若い女性で30歳くらいに見え、派手な紅色の和服を着こなしていて、高下駄を履いている。他の教師や来賓がスカートスーツ姿なのに比べて、とても目立つ存在だった。
「これより阿左美(あざみ)学園長より入学証書の授与を行います。吉野直樹殿、壇上へお上がりください」
「はい」
直樹は立って壇上へあがると、阿左美と対面した。阿左美は化粧の濃い鮮やかな紅の唇を嘲笑の形に引き上げ、マイクには拾えない程度の声で直樹に言ってくる。
「ずいぶんと覇気のない殿方じゃのう。本当に男かえ?」
「…一応、そうみたいです…」
「クスっ…クク、本当に覇気のない」
「……」
「まあよい、男にもいろいろありんすからのう。楽しみにしておるぞ。では、くだらぬが式を」
阿左美は演壇に置かれた広蓋から証書を取り上げると、直樹に渡してくる。
「ほれ、卒業証書ではないから実は紙切れにすぎんし、おんしら男は物を所有することへの意識も乏しいが、ともかくは形じゃ、受け取れ」
「……どうも」
「クスっ……わっちの態度に面を食らったかえ? たしかに、この世に男は100万人に一人もおらぬ、人口が万に満たぬ少数民族にも一人は男がおるゆえ、億からの人口がある日ノ本には、もっと稀じゃ。けだしおなごはすべて男の言いなり、お股を開いてヨダレを垂らしたる犬猫も同然かと思いよるかもしれんが、そうではないぞ。心しりゃれ」
「……はい…」
「うん、よい♪ 面白い態度じゃ、こういう男が産まれてくるのもええのぉ」
阿左美からの入学証書授与が終わると、知事や市長、国会議員からの祝辞が続き、直樹はタメ息をつかないように努力したし、里奈はアクビを噛み殺すのに苦労した。
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