#2 対峙
市庁舎にて、先の事柄の報告をしたタイは、すぐさま部屋に引きこもった。
この世界に生まれ落ち、残酷な死を見た事は少なくなかった。
しかし、今回は違う。ティミッシュ市長はタイにとって尊敬していた人物であり、一種の愛情さえも感じていた。
その彼が一瞬にして肉片に変わり果てたのだ。ショックは計り知れない。
加えて、タイを守るために魔王の配下であろうスケルトンに向かっていったシャリックの安否も不明なのである。
「どうすれば、どうしたらいいんだよ……」
このオセイッシュ市国は小国であり、周囲をここより何倍も大きな国々に囲まれているので、せめてもの服従として、でき得る限り兵力を持たぬようにしてきた。
そのおかげで兵士は総勢300名。それの大半が辺境や村の巡回や国境の警備に出ているので、即座に動かせるのは庁舎の警備や首都の警らにあたる100人余りのみである。
「タイ」
扉が大きな音を立てて開けられ、パーネが入ってきた。
「とっとと決めなさい。キツい言い方だけどね、みんながあんたを頼みの綱にしてんのよ。その気持ちを裏切るつもり?」
「うるさい!パーネは魔法の達人だからそんな事が言えるんだ」
へこたれると、ぼやきや愚痴を連ねるだけになってしまう。タイの悪癖である。
「僕には何も無いんだ。力も貫禄もない。みんなの信頼だって、一応の長だからそうしてるだけで、どうせすぐに消えてなくなっちゃうんだ。だいたい、シャリックが駄目だったんだ。こんなみみっちい雑魚が」
そこまで言った所で、タイの頬が大きな音を立てて震えた。
「シャリックが駄目だったなんて、死んだなんて誰が決めたの?あいつはね、誰よりも努力して、誰よりも忠誠をもってティミッシュ市長に仕えてたの。そして、今は、遺命になっちゃったけど、あんたに仕えてる」
パーネがタイの震える肩をがっしりと掴む。
「死んでるとか死んでないとかじゃない。不可能とか可能とかじゃない。みんなは、私たちはあんたを信じてる」
一筋、タイの頬を伝う。
まもなくパーネの腕をゆっくりと払い、服の袖でまぶたを赤く染めると、ゆっくりと立って言った。
「やろう。考えよう。――みんなを集めよう」
市庁舎会議室。タイが仰ぐ壁には一枚の絵ーー世界地図。
この世界で信頼できる地図は少ない。落書きも分割もできないので脳内で作戦を想像し、最中に怪物の剣と先王の最期を想起してえずく。
例え一枚千金のこの地図を破こうが、この先の悲劇は避けられない、どうにかして、と思う度に血飛沫が舞うような幻覚に見舞われて、医者からも呆れられたのが、また辛い。
目下の目標はアラアタル帝国及びオウシャン戦士団との共同戦線の確立である。共に強大な軍事力を備え、又このオセィッシュ市国と太い繋がりを持っている。タイはアラアタル帝国へ出向き、帝王を説得し軍事支援及び避難民の受け入れを依頼しなければならないのだ。
気づけば、窓の外が淡く青い。
戸を軽く叩く音が聞こえた。
出立は日の出より少し後であった。夜中ほど音を意識されず、昼ほど目を掛けられない、というのは軍師代わりのパーネの提言である。自国のためにも、他国のためにも、民を混乱に巻き込む事は何としても避けたかった。悪手であると分かってはいるが、国と長らく繋がりのある商家に頼み、じわじわと噂を流してもらう。国が大仰に北の大国からの侵攻があると伝える訳にもいかないだろう、というのが議員達の見立てだった。
タイは今、10人の兵に囲まれ、馬に揺られている。しかし、見せつけるように一行の顔に巻かれた革の帯も、あつらえた同じ服も、どうにも悪目立ちしていた。というのも、彼らの乗る馬はしなやかな脚が見事な茶の馬であるのに対し、タイが乗るは毛深く、丈も低い緑の馬だったからだ。
この世界では、人が乗ってその荷をも負って疾走できる生き物を馬と呼んだ。だから、馬やロバには差は無いも同然だし、虎やカンガルーに似た生き物も馬と呼ばれていた。
ロバにも見紛うそれは、能力では他に劣らずとも、見栄えという点では大いに劣るのである。故に、厩舎番の表情はどこかぎこちなかった。先王も、シャリックと知己があるというプラヴィティルの王も見事な馬に騎乗していたという。
タイはただ、先に臨むアラアタルの街並みを睨んでいた。
隊商に紛れ、辿り着いた帝都。そこは自国とは比べるべくも無く富んだ都市であった。
露台に並ぶ品々は日用品から食料までいきれを発しているように輝き、人々は高くはない金を惜しげもなく売人に押し付ける。遠くに見える住宅街は、丈夫なイノシシのなめし革を西の名高き国から取り寄せた柱に張って建てたテントが並んでいるのだという。その高さ、実に現世の20メートル。
なんだか自分がちっぽけに思えたが、仮にも王なのであると叱咤激励し、宮の下、役所に取り次ぎを求める。
今更ながら、アラアタルは獣人間ーーコボルトを主とし、その民の占める割合もコボルトが9割というコボルトの帝国である。故に、体表を毛で覆われていない人間は稀だし、耳を突き立てたような頭をしていない人間は珍しいのである。奇特に目を付けられるか逸らされることは真っ当な人間にとっては往々たることなのである。
眼鏡を掛けたコボルトは帳簿を眺めていたが、タイら一行を感じ取るなり耳と体を跳ねさせて彼らを見た。それに合わせ、革の覆面を取る。
「物々しい。何の用ですかい」無表情で言う。
「おっ俺、私はオセィッシュ市国長、タイ・ネムリである。帝、カンチェッロ・デストに謁見したく参った所存である」
「……冷やかしかい」
例え王の身分を明かそうともまともに取り合ってもらえないのも、この国では普通なのだ。
10人の近衛の精励恪勤の甲斐あって、どうにか帝との会合を取り付ける事ができた。そうして夜、少ない兵をさらに2人にまで減らすことで謁見を許されたので、一行はその時を待ち侘びているところであった。
もう更けに更けているというのに、この部屋は未だ明るく暖かい。自国の民は寒さに布を掻き掴み、なんとか鼾をかかんともがいているのだろう。そんな塗炭ではなくとも先の見えない苦しさに喘ぐ民の幸せを奪おうとする北の魔王が憎かった。
やるせなさとやる事の無さに歯噛みしていた頃、侍従が扉を開け、一行を中へ招いた。
一歩、足を踏み入れれば、仰いでも天井が見えないかの様な、壮大な空間が広がった。玉座の間である。柱は街のテントなどとは一線を画して太く高い。にも関わらず綺麗に紋様が波打ち、これまた豪勢に意匠の施された画を纏う天井を支えていた。壁は天井から続くようにして画を湛えているのだが、驚くべきことに、玉座に近い一定の所を以て、ガラスに替わっている。色彩も細工も見て取れた。
「名乗りを上げよ」
不意に最奥より声が響く。しかし、一向は何もできずにいた。幾度となく臆しないと決心した筈があっさりと臆したからではない。
その広い広い間には、1人しかいなかったのだ。兵士も、臣下も、背後にいた筈の侍従でさえ消え去っている。人払いと言っても、度が過ぎている。この国を支え、この宮を持つに値する帝を相手取らなければならないと思うと、身がすくんだ。
「わ、私は、オセィッシュ市国長、タイ・ネムリである」
なんとか声を出すが、掠れたり上擦ったりで、帝に届いたかどうかが恐ろしい。
「この度は、他ならぬカンチェッロ帝に」
「控えよ!」
帝の怒号が飛ぶ。遥か遠くの筈なのに、平手で打たれたように耳に響いた。
「我はこのアラアタルの帝ぞ!軽々しく名を呼ぶな!」
畏縮し、へなへなと膝をつくタイ。背後でも布擦れの音がした。
「申し訳ありません!ですが、危急の用あって参った次第でございます。
先日、プラヴィティルより魔王と名乗る人間から宣戦布告を受けました。全国民、約4万5000をスケルトンにして我がオセィッシュに攻め入らせると。真偽は兎も角、プラヴィティル王とは連絡が取れず、非公然にも膨大な魔力を有している以上、事が起こってはならぬ故、こうして御助力を請願させて頂きます。どうか、どうかお願い致します」
全てを伝えた以上、口を帝に向ける必要は無い。叩頭し、ただ無礼のないようにする。
しばらくして、最奥より声がした。
「何故、我に助けを乞う?」
頭が急に白くなった。これは、煩いに対する怒りか?それとも、単なる疑問か?
予断は許されない。ひとまず、文面通りに受け取る。
「民を守るため、先王の仇討ちのためには帝が有する帝国の力と兵が必要なのです。先王と繋がりのあった貴方にしか頼めないのです」
タイの声が、空間に響く。王の気が、一瞬大きくなったような気がして、また一層縮こまる。長く長く、しかし一瞬の間を置いて、帝は答えた。
「その程度で、我を動かすつもりだったのか」
明らかな落胆の声。その先は火を見るよりも明らかだった。
「帰れ!先王の選定した王とて、気楽に会った我が馬鹿であった!そのような王を据えた国、滅ぶがいいわ!」
叫ぶなり帝は踵で階を強く打ち、すぐさま何処かから兵士が現れて一行を引きずり出す。投げ出された先は、宮の外も外、夜風吹き荒ぶ帝都の際であった。
なんとか他の兵士の留まっていた酒場に戻り、近くの宿で一泊する。皆、気が気でなく眠ることなどできる訳が無かった。
そのままずるずると、どうしようか、と迷っていた頃、一つ、部屋の戸を叩く音がした。
その主は、兵が戸の取手に手を掛ける間もなく押し開け、声高に叫ぶのだった。
「帝よりお達しである。心して聞け!
闘技場にて待つ。王自ら、血路を拓くが良い。以上である!」
その勢いで彼は扉を閉め、どかどかと出て行ってしまった。
何事かと思ったが、これは千載一遇の機会ではあった。その機会を掴もうが取り逃そうが、その伝達が本物であろうと偽物であろうと、タイにとってはどうでも良かった。役目を果たせぬ王など不要。元居た世界でも、この世界でもそれは変わらない。
ぬけぬけと出戻る度胸は、彼には無かった。
その部屋に居る全員に呼びかけ、にんまりと笑う。
「みんなはもう戻って。こんな王様、嫌でしょ?」
アラアタルは豊かな故か、それとも豊かになる過程でそうなったのか、比較的荒い気性の持ち主が多かった。故に、闘技場は大盛況、帝の一存でも閉鎖などはできるものではない。
「タイ・ネムリです!帝の呼び出しに応じて参りました!タイ・ネムリです!」
押しかける観客にうっかり押し倒されそうになりながら、タイは受付に呼びかける。必死に何度も叫んでいた所、気付いた係員が彼をテーブルの内側に引っ張り込む。
「あんた、タイ・ネムリ!?」
「はい!私がタイです!」
「お前はこっちじゃなくて裏口だろうが!」
さっきの逆で今度は出口近くまで投げ飛ばされた。どういう事か、と思いながら関係者のみの警告が貼られた扉に入る。
そこでは、なんとも体格の良い男が待ち受けていた。彼を視界に入れるなり、額を寄せるように前のめりになる。
「遅いよ!もう出番すぐだよ!?ほらこっち!」
彼に押されるまま、タイは歩く。何を言おうと、彼は周囲の係員に声掛けをするばかりで取り合ってくれない。
ふと、目前には鉄扉が迫っていた。
「頑張ってね!」
その声が幕を切ったかのように、鉄扉が開き、その狭間からファンファーレと歓声が響く。
「本日も当闘技場に足をお運び頂きまして、誠にありがとうございます!日々の圧力から解放され、お楽しみ頂ければ幸いでございます!」
すぐ側で声が聞こえるというのに、会場からはもっと大きく聞こえるというのが不思議だった。見遣ると、先程の男が管に向かって叫んでいる。
「拡声器か?」
「さて、縁起担ぎにこけら落としから始めると致しましょう!本日の挑戦者、タイ・ネムリ!」
既に大きく開いたそこに、タイは蹴り飛ばされて転がり出る。砂に塗れて見上げると、彼を見て歓声を上げる観衆が目に入った。
ここはアラアタル。かつては武勇を誇り、今は英知を誇る大国。王と言えども憚ることはなく、一様に戦いへ投げ込むのだ。その結果如何にも内心では、一喜一憂することも無いのだろう。
「対するはぁ!」
観衆の視線がそれぞれ上に向く。その先に目を走らせると、そこには獅子を模した飾り、その額でマントをはためかせ剣を掲げる1人の人間がいた。そう、コボルトではないつるつるの人間である。
「西のフィウメ、東のモンタグニャを倒した新進気鋭の“勇者”、メイド・ミウラぁああ!」
呼び声に応じて彼は高く飛び、そのまま屈むような姿勢をとって着地する。凄まじい衝撃に、一瞬電光が閃いた気がした。
彼は悠然と立ち上がり、帯びた剣を右手で抜いて周囲を払う。細いがしっかりと長い両手剣だった。
「お前がオーサマの言ってた奴?冴えねえ面してんなぁ」
半身になり、その切先をタイの首に向ける。
「まぁ、
縮こまるタイに、彼は柄をしっかと握って飛び上がるのだった。
「楽しませてくれよ!」
ヘカトンケイル 蟹きょー @seyuyuclub
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