ヘカトンケイル

蟹きょー

#1 竜の戴冠式

「異界より現れし――タイ・ネムリよ。数々の知と勇を示したそなたに、次期市長に就任させる事をここに宣言しよう」

現市長の読み上げた証書に、彼を除く、そこの全ての者が手を打ち合わせる。

その響きの中、彼はただ跪き、被せられる冠を受けていた。


ここは市国オセィッシュ。およそ7000の国民を抱え、僅かであり希少である宝石を輸出しながら営みを続けている小国である。

その国長であるオ・ティミッシュ・ダッシィラーが卒寿を迎え、それに応じて市長を代替わりする運びとなった。

そうして選ばれたのがかの青年である。


戴冠式を終え、市庁舎の裏口からのそのそと出てくるティミッシュに、二人の男女が駆け寄った。彼に付き添う青年――タイが敬礼する。

「市国長。お勤め、ご苦労様でした」

女の方がはきはきと敬礼をした。それにティミッシュは「パーネか」と顔を上げる。

「今回の式の警備も含め、よくこなしてくれたな」

「ありがとうございます」

「もう、わしに頭を下げる必要は無い。この老骨に力は残っていないのだからな。お前達もだぞ、タイ、シャリック」

駆け寄った二人の内、男の方が深く頭を下げる。しかし、元の背が高いので見下ろす形になっていた。

「パーネ。シャリック。これからは、このタイに仕えるのだ。至らぬ所もあるやもしれぬ。行き過ぎた所もあるやもしれぬ。しかし、お前達の助けがあれば、必ずや良き国長になろうぞ」

ティミッシュの言葉に、二人は「はっ」と返す。

「タイ。この二人も含め、数多の民が貴様の配下――道具となる。残酷かもしれぬが、理論上また組織図上ではそうなのだ。しかし、しかしだ。決してその残酷に飲み込まれてはいかんぞ。皆が皆、人である事を忘れるな」

「わっ、わかりました」

タイの腑抜けた返事にパーネが仰いだ。


「市長さん、この後は北の別荘で暮らすんだって」

去りゆく馬車を眺めながら、タイがパーネに言った。

「浸ってる暇無いわよ。仕事がどっさりなんだから」

「何を?」

「市長が変わったから、とりあえず挨拶回り。それと、人員の状態の確認と管理。これからの外交、貿易、人員割り振りの仮の計画練り。方々と公共事業の話し合い。資材や器具、資料の確認。職場の査察、などなど」

「はい……」

タイは泣いた。


「ほほほ。忙しかろう?」

一週間後、タイは元市長のティミッシュの下を訪れていた。護衛にシャリックを連れている。

すする紅茶はしょっぱいが、屋根の下で理解者と話ができるというのは実に嬉しい事だった。

「わしも、若い頃はそうだった。労苦にむせび泣いては、天を恨んだわ」

「どうやったら、そう大らかになれますか?」

「ん?うーむ。言うなれば、何かに身を浸す事だな。最初はすべき事、仕事に身を浸す。すると、いつの間にか仕事が楽になっておる。基盤が成っていたり、仕事に慣れていたりの。次は、自分のやりたい事に身を浸す。すると、仕事は楽なのに、趣味が楽しいという言わば極楽が生まれるんじゃ」

「……そうですね。ひとまず、市長として一人前になれるよう頑張ります」

「その意気じゃ」

「頑張ります。では」

タイはおもむろに、相手に不快に思わせぬように椅子から離れた。

「そろそろ時間ですので。今から戻らないと、明日の業務に支障が出てしまいます」

「あい分かった。そうじゃな、見送ろう」

タイが家を出るのと一緒に、ティミッシュも外に出る。

表には馬を連れたシャリックが居た。

彼に助けられながら、馬の背に乗る。巨体が頼もしい。

「それでは、また」

「またの」

そう手を振った先のティミッシュは、突如として飛来した巨岩に押しつぶされた。

二人に戦慄が走る。

「ご機嫌よう」

岩の中から声がした。

「この最初の虐殺は、君たち人間に対する挨拶――宣戦布告である」

下馬していたシャリックが背中の大剣を鞘ごと引き抜き、岩に叩きつけた。

すると、その中から一つの水晶玉が転がり出てくる。そこに、1人の男の顔があった。

顔はアジア系でありながら、中々に渋く濃い。身だしなみはきちんとしているようで、髪に少し白髪が混じっているくらいで、髭は剃られ、眉は整えられている。

「何者だ」

「魔王、とでも言いましょうか。それと、私は君よりもその後ろに居る若市長と話がしたい」

シャリックは渋々、タイを水晶の前に差し出した。無論、その少し前にシャリックが立つ。

「これから私の居る国、プラヴィティル王国の国民約4万5000人がオセイッシュに攻め入る。それも生ける骸骨――スケルトンになってね」

「ふざけるな!プラヴィティルの軍隊が貴様なぞに破れる筈がない!」

「そうだ。しかし、運命というものは奇怪でね、私に王を殺させ、民達に私を支配者として崇めさせた。その証拠に、僕はプラヴィティルの宮廷から幾らも離れたオセイッシュの北端に通信しているが、障害の1つも出さないで会話できている。これだけの魔力があれば、国1つ滅ぼす事など簡単であると、君には分かるだろう」

シャリックの歯が大きく鳴った。

「最初に攻め入るのは国境警備隊のスケルトンだ。そろそろ、そこに到着している頃だと思うが」

はっとして顔を上げると、そこには誰のものか分からない血を垂れ流しながらこちらに向かう黒い甲冑が居た。

「どうやら、私の魔力が鎧を形成してしまったらしい。しかし、中身はスケルトンだ。違いは無い」

「タイ様。ここはお逃げを」

シャリックはタイを馬の方に押しやる。

「そんな!」

タイの視界には、岩の狭間から生を求めるティミッシュが濃く映っている。すると、水晶の方から声が飛ぶ。

「死者にはこだわらず、二人で逃げるのが賢明かと」

「タイ様の身体では馬に振り落とされるのが目に見える」

「確かに弱そうですね。だから、自らと先達を犠牲に逃げろと?」

「黙れ。タイ様はダッシィラー様から王位を授かったただ1人のお方だ。それが早々に死ぬのは、本意ではない」

その言葉に少し間を置いて、「分かりました」と声が来る。

「タイ。その水晶を持って逃げるが良い。水晶と残存する魔力を見れば、この悲劇の事は信じられるだろう」

「シャリックさん!」

彼の腹に抱き着くタイであったが、巨腕に放り投げられ、馬の背に腹を打ちつけた。

痛みに悶えるタイを気にせず、水晶を鞄にねじ込んで「やぁ」と叫ぶ。

それに応え、馬は走り出した。その先はオセイッシュ市庁舎である。

「どうか、ご無事で」

剣を抜き、化け物の群れに突っ込んでいく。

その様を見ながら、ティミッシュは呟いた。

「地獄、終焉……」

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