第18話

 先を行くエマについて、広がった裂け目を通る。

 中は暗い空間だった。物珍しく周囲を見回していると、進んでいたエマの足が止まる。


 前方には広い空間があり、真ん中に小屋が建っていた。エマが言っていた魔法の名残という光の粒があちこちで浮いている。


 蛍のような光の粒子が、意志を持つ生き物のようにふわふわと飛んでいた。

 優しく発光しながら、一つの粒子がエセルバートの側までくる。手を伸ばして触れようとしたけれどすり抜けた。


「綺麗だよね。師匠はズボラだけど、すごく素敵な魔法をいっぱい知ってるんだよ」


 この空間も魔法で作ったのだろうか。そんなことを考えながら目の前の亀裂が走った地面を見る。

 裂け目はそれなりの幅があり、跳んで避けられるようなものではない。先へ進めるように橋が架かっていて、中央の小屋まで続いている。


 裂けた地面を覗くと、真っ暗で何も見えない。ここは普通の空間ではないから、落ちたらどうなるかは想像すらできない。

 橋を渡り、小屋の前まで来る。


 エマはよくここに訪れているのか、迷いなく玄関の扉を開いた。


「師匠、こんにちは」


 中は小さな薬屋のように、棚がいくつか並んでいて、会計をするカウンターもある。

 魔女の薬を販売しているのかもしれない。

 奥からカフェオレ色の長髪を揺らして、マリオンが現れる。


「ようやく来たか」

「お久しぶりです」

「ああ、奥に来てくれ」


 カウンターの横にある扉を抜けると、ソファとテーブルがある応接間に案内された。

 二人が座るのを確認すると、マリオンがテーブルに用意された茶器から、カップに茶を注ぐ。

 湯気が立っているのを見て、エセルバートは驚く。


「来るのが分かっていたんですか?」

「ああ。あれで見ていた」


 そういうと、インテリアのように置かれた水晶を指差す。丸く磨かれた水晶ではなく、原石そのものだった。


「原石の方が魔法を通しやすいから、私はこれを使うんだ」


 三人分の茶が用意し終わると、マリオンが二人の正面に座る。


「薬は渡してもいいんだが、質問に答えてもらう。さて、急いだ方がいいと思うから、単刀直入に聞くけど、エセルバートは魔女をどうしたいんだ?」

「どう、とは?」

「この国の魔女の立場をよくしたいんだろう?」


 唐突な質問だった。上手く答えられなかったらリーヴァイを救えない、ということだろう。けれど、どれだけ面白く、興味を持つような答えるよりも、正直に伝えたかった。


「これからエマは多くの時間を過ごさないといけない。俺は同じように生きることはできないから、将来エマが寂しくても側にいられない。エマが魔女になったからとはいえ、不幸になってもいいとは思わない。だから、世界を変えたい。それが無理でも、世界を、この国を、変えるきっかけを作りたいんです。できれば今回の事件を俺の手で解決して、今後もいろいろな功績を挙げていきたいです」

「エマを使えば解決は早いんじゃないのか?」

「そんなことをしても魔女の力を周囲に知らせるだけで、その本質を見られない方が確率は高い。それに、 兄として妹を利用したくない」


 そう言うと、マリオンは顎に手を当てて黙ってしまった。この答えしかエセルバートにはなかった。他の言葉で繕っても、きっとエマの師匠には伝わらない。


「……意外と普通なことを言う」

「リーヴァイさんのおかげだと思う」


 エマの言葉にマリオンは頷く。


「ああ、あの普通の男か。なら仕方ないか。エセルバート。あんたたち兄妹は特殊な血筋にいるみたいだから、普通の男がいないと駄目なんだろうね」


 血筋のことを言われても平民の家の出としか応えられないはずだが、マリオンの言いたいことはそうではないのだろう。

 エマの顔を窺うと、にっこりと微笑まれただけで、応えはなかった。


 懐を探ると、マリオンは小瓶を取り出した。不思議な色をした液体が入っている。何色と例えていいのか、エセルバートには分からなかった。


「これはエリクサーとか、エリクシールと呼ばれる薬だ。何にでも聞く万能薬だが、身体の傷にも効果はある。飲ませてやれ」

「ありがとうございます……!」

「ほとんど人間が見る機会がない薬だから、心して使えよ」

「師匠、脅かさないでよ。師匠が作った薬でしょう?」

「……ありがたみが減るだろ」


 師匠と弟子の会話が聞こえていても、エセルバートにはリーヴァイのことしか考えられなかった。

 早く、彼のもとへ戻らなくてはならない。


「それじゃあ、行くとしよう」


 マリオンは壁に立てかけていた杖を持つと、軽く一振りする。

 そうすると、地面に魔方陣が現れる。扉が床から突き出るように出現した。


「例の魔女を相手にするなら私も連れて行け。勝手に姿を使った礼をしなくてはいけないからな」


 屈託のない笑顔を浮かべているけれど、かなり怒っているようだ。

 魔女が、他の魔女の姿を借りるなら、その魔女と敵対する覚悟を決めなくてはならない。


 以前、マリオンが言っていた言葉だ。本当にアルマと敵対するつもりなのだろう。

 断る理由もないのだから、頷くだけに留めておいた。

 扉を潜ると、再び医務室に戻った。

 リーヴァイのもとには医師と騎士団長がいた。


「戻って来たのか。また一人増えているようだが……」

「マリオンという。一応、エマの師匠だ」

「魔女が二人も……」


 驚いている騎士団長に申し訳なく思いながらも声をかける。


「申し訳ないのですが、団長、リーヴァイ隊長に薬を飲ませたいので」

「ああ、すまない」


 場所を譲った団長に心の内でも謝罪しながら、リーヴァイの側に立つ。

 あれからそれほど時間が経っていないけれど、明らかに男の顔色が悪くなっている。


「先生……」

「ああ、容体はあまりよくない。今夜峠を越えられるかどうか……」

「薬をもらったので、急いで飲ませます」


 早速、瓶の蓋を開けて飲ませようとしたけれど、上手く飲んでくれない。仕方なく、エセルバートは自身の口に薬を含むと、エリクサーを口うつしで飲ませた。

 人がいるのにこの飲ませ方をするのは羞恥心が湧く。しかし、時間がないのだ。リーヴァイの身体は衰弱する一方だ。


 こくりと喉が動くのを確認してから、唇を離した。

 すると、リーヴァイが呻いて瞼を開けた。


「なんと、あの傷で意識が戻ったのか」


 医者は驚愕の表情でリーヴァイを見ている。


「う、えせ……る」


 話そうとしても、声が上手く出ないのかリーヴァイが咳き込んだ。


「話さないでください。痛みはありますか?」


 横に首を振るのを確認した後、包帯をゆっくりと緩めた。血がべっとりと付着したガーゼを剥ぐと、傷どころか痕すらなかった。

 綺麗な皮膚の状態を見て、医者は今にも失神しそうだった。


「治ってる……よかった……」


 ぽつりと声を漏らすと、金色の眼に涙が浮かんでくる。頬を伝うことはなかったけれど、慌てるリーヴァイを見て、次は笑いが込み上げそうになった。

 リーヴァイを助け起こして水の入ったグラスを渡すと、一気飲みをして空にしてしまう。


「はー、生き返った」

「本当に生き返りましたね」

「あ? 俺死んでたのか?」

「いや、死にかけていただけだ」


 マリオンの声に、彼女に視線が集まる。


「エセルバートに感謝しておけ。こいつが薬を取りにこなければ、本当に死んでいたぞ」

「そうか……」


 しばらく沈黙が続くと、第一騎士団長が咳ばらいをした。


「少し席をはずそうか」


 美丈夫の提案にエマが頷くと、皆部屋から出て行く。

 気遣いに申し訳なさを感じたけれど、今はそれがとても嬉しかった。

 部屋に二人きりになると、エセルバートは遠慮なくリーヴァイに抱き着いた。


「おっと。急に素直になったな」


 いつものように茶化すように言うリーヴァイの姿に、胸が詰まる。


「もう、あんな怪我しないでくれよ。死んでしまうかと思った。本当に……」

「エセル……悪かった」


 本当に反省していると分かっていても、言葉が止まらない。


「本当に、気を付けろよ、薬がなかったら死んでたところだ! 俺が何を思ったかあんたには分からないだろうな。あんたが死んだら、俺は……っ」

「ああ、分かってる」


 男の腕の中で喚き散らすエセルバートの頭に、大きな手が優しく触れた。

 感情が乱れるエセルバートを刺激しないように、何度も何度も撫でる。

 手が往復するにつれて、視界がぼやけてくる。


「助かったんだから、泣くんじゃねーよ」

「うれし涙だ」


 勝手に溢れ出す涙を、袖で拭っているとリーヴァイの手が慈しむように頬に触れてくる。

 その思いに、また涙が溢れてしまう。

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暁の空に竜が鳴く 谷沢透 @_igatoru

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