ブルー・ジャイアント

 正午のグラウンド。

 人はいない。


 俺はサッカーボールを右足でなでながら、たった一人でゴール前を歩いていた。


「さすがに一回の人生で指輪と受験票を電車に置き去りにする男は一人しかいないよね」


 一瞬、たったその一瞬で全てが分かった。

 見た目も、歩幅も、服装も、全てが違っているはずなのに、昔から彼女を知っていたかのような感覚が俺を支配した。まさかもう一度会えるなんて思わなかった。


 嫁だ。


「メッセージが届いたときに……私笑っちゃったの。あの日を思い出してさ」

「それはまたひどい言われようだ」

「ひどいのはどっちだか」

「悪かったって」

「……違うの。本当にうれしかった」


 俺は間抜けな男だった。プロポーズで渡す指輪を忘れてきた場所は家ではなかった。鮮やかに発色するジルコニウムを指輪に選んだまでは良かったが、それが入った袋を行きの列車に置き忘れてしまったのだ。その20年後には、息子の受験票を列車に置き忘れてしまう。二つとも最後はどうにかなった話だが、俺は二人に助けられてばかりだった。

 ただ、本当に間抜けだったのは、目覚めてからずっと……嫁が実在しない人なのではないかと疑っていたことではないか。


「ねえ、久しぶりにあなたがサッカーをしているところが見たいな。というか、そのためにここに呼び出したんでしょ? もうボール蹴ってたみたいだし」

「そんなのないよ」

「ホントに?」

「嘘じゃないって」


 グラウンドから見上げると、真昼間のはずなのに数々の恒星が目に映る。あの星の青い輝きがちょうどジルコニウムの指輪に似ていて、あの世界に置き忘れてきたことを思い出した。


 俺はゴールに向かって何度かシュートをして見せた。砂煙が舞って、ときどきクロスバーが音を立てて振動する。

「明日には到着だね。私は友達と会うだけだけど……」

「俺は仕事だよ。当分は帰らない」

「分かった。私もずっといるよ。あなたの仕事が終わったら一緒に帰る」

「そんなのお前にとって悪い」

「大丈夫、遠慮しなくても待ってるから」


 指輪を一緒に探してくれた時もこんなだったっけ。どうにか彼女にお返しになるようなことをしたいけど、何があるか……。

「ニーボスはシミュレーションされた世界なら、外から干渉することによって人生の結末を作り出せるって言ってたよな」

「終末幸福指数の管理もその方法だって説明されたよ」

「なら指定された状況も作れるわけだ、お前の席番号はいくつだ?」

「A53だけど……?」


 彼女は首をかしげて俺を見つめる。俺は船内コールからニーボスを呼び出すと、帰りの予約を取り付けた。

「帰りの席の予約はもう受け付けていたよな? シミュレーションなんだが、俺と席番号A53が結婚するように取り計らってくれ。後で本人にも確認させるから」

「ふふっ、何よそれ」

「ダメか?」

 彼女ははにかんで「それでいいよ」と言った。


「それから設定は――終末幸福指数の設定は100%、二人で最高のハッピーエンドを頼む」

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610 light-years Love 河童 @kappakappakappa

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