シンボル

 目を覚まして数日が経つ。前世の記憶がほとんど戻った俺は、アヴィオールで行う仕事の事前準備をしていた。明後日の到着までに終わらせなければならない作業があった。


「かに座55番星eは星全体の質量のおよそ1/3がダイヤモンドでできています。地球から40光年と比較的近い距離に位置しながら、これだけ不思議な天体は珍しいです」

「ダイヤモンドの層か。こんなのがあの世界の人類の手に届く範囲に合ったら、ダイヤモンドの価値が暴落して指輪もなくなるかもしれんな」

「指輪……ですか?」

「ああ、そうか。シミュレーションの世界特有の文化だったな」


 しかし、ずっと仕事というのもつまらない。サッカーができるグラウンドがあるくらい広いと言っても、宇宙船の中は密閉されている。そんな空気の悪い場所での仕事は案外はかどらないもので、俺は息抜きにニーボスと話をすることが多くなった。こうやって話していると、あの世界について消極的な考え事をすることも少なくなるのだ。

 ニーボスは博識のAIで、俺の知らないことをたくさん教えてくれる。昨日そのことについて尋ねてみると、「私はリュカ様だけでなく全ての搭乗員の健康管理を任されています。ですから、今現在もリュカ様とお話しているようで、実は他のたくさんのお客様と同時に会話をしているのです。そのため、会話から収集される情報もとても多くなるのです」と言っていた。なかなか器用なことをするAIである。


「指輪ってのは装飾品の一種で、輪状の金属を指にはめて着用するものだ。俺が生きた時代だと、男性がプロポーズをするときに女性にプレゼントする風習があるんだよ。それで、指輪にはダイヤモンドがよく使われる。プラチナとダイヤモンドはよく見る組み合わせだけど、俺は白と透明で味気ないようにも思う」

「思い出しました。コンヤクユビワのことですね。数日前にその単語を聞いたのですが、意味用法がよく分からなかったのです」

「無理もないな。シミュレーションされた世界で俺たちの世界と分岐して誕生した文化なんだから」

 こっちの世界に存在して、あのシミュレーションされた世界に存在しないものは意外と多かった。逆もそうだ。それは完全なコピーではなく、あくまでシミュレーションという形で世界を再現した結果によるものだろう。


「……ってことは、この世界に戻ってきた搭乗員の誰かが指輪について話したってことか?」

「はい、数日前に聞いた話です。プロポーズをされた時に相手の男性が渡すはずだった指輪をどこかに忘れてしまったらしくて」

「おい、それって……まさか!」


 五十年以上も前の記憶が鮮明によみがえる。

 あの人が――あの人がいるのか?

 この宇宙船の中に?


 人違いかもしれない。それでも――それにしては出来過ぎている話だった。嫁が逝ったのが俺の死ぬ数日前……。

 焦る気持ちを抑えきれず、俺はモニターに詰め寄った。

「搭乗客のプライバシーは保護されているから、その人の名前を俺に知らせるのは禁止事項だろ?」

「……そうですね。進んで話すことはないかと」

「なあ、メッセージだけでいいんだ。ニーボスと指輪の話をしたその人に、メッセージを伝えてほしい」

「何でしょう?」

「『ジルコニウムの指輪と受験票に心当たりがあったら、明日の昼12時にグラウンドのサッカーゴールがある場所まで来てもらえないだろうか?』以上だ」

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