第6話 アネリスの自鳴琴
ハワイ、真珠湾は晴天に恵まれていた。
「艦長、リーブラより緊急連絡です」
リーブラとは諜報員のコードネームである。
艦長席に腰を下ろした灰色の髪の少女は、副長よりタブレットを受け取る。内容は『日本ニテ〔アイビス〕出現。民間人ニ死者アリ。至急救援求ム』とあった。
内容に驚きはない。ただ、タイミングが問題だ。
「副長、艦の状態は?」
「ヘブンズクラフトはまだ実験段階ですので、分かりません」
副長は艦長の言葉の意味を読む。何を問うているのかを常に考える。それが仕事だ。
「そう。なら試してみましょう。それで駄目だったらこちらから救援を向かわせてもどのみに間に合いません」
「了解」
CICに緊張が走る。実験段階のシステムをぶっつけ本番で使用するというは自殺行為に近い。皆に自信はない。ただ、力を持つ者としての自覚だけで乗り越えねばならない。
「副長より全官に達す。本艦はこれよりヘブンズクラフト航行を開始する。各員持ち場にて全力を尽くせ。以上」
艦内に3秒の沈黙が流れる。4秒後には喧騒に変わっていた。慌ただしく人の波が生まれる。
「中島さん、機関は持ちますか?」
艦長は艦内無線で機関室にいる機関長に問う。無理だと言われてもやることに変わりはない。
『やってみないことには何とも言えやせんね。冷却が間に合うかどうか』
機関長は頭を抱えている様子だ。少女は冷たく口を開く。
「何とでもなるはずです。私にやって見せなさい、技術屋の維持を。私の弟子なのでしょう?」
『任せて下さい。片道は保証します』
「ありがとう」
R級強襲型飛行空母、その一番艦〔ライザリン〕。それがこの艦の名。過去の悲劇を繰り返さぬために作り出された兵器だ。二本の飛行甲板が連なったその艦影は、まるでSF作品の宇宙戦艦のように見える。創作に史実が追い付いた。今、この艦の秘めたる力が露わになろうとしている。
真珠湾を出航した〔ライザリン〕は、島から50キロ地点で停止。最終確認に入る。
「出力安定。ヘブンズクラフト可能領域まであと八千」
「艦外隔壁閉鎖。次空反転装置正常稼働」
「艦周囲50キロに船舶、並びに航空機存在せず」
「サイドスタビライザー展開。リアスタビライザー展開。共に異常なし」
「出力確保完了。ヘブンズクラフト、いつでも可能です」
各部作業員から青信号が送られる。目覚める時が来た。
「結構。〔ライザリン〕離水。進路180」
「離水開始。進路180」
艦体下部に亜空間同士による干渉が起きる。その反発で艦は空を飛ぶ。
離水した艦から滴る塩水が雨のように降り注ぐ。
「離水完了」
夜のハワイ沖に鉄の翼が舞う。人類の歴史がまた一つ動いた。けれども、動かした当人は全く気にする様子もなく、指示を出す。
「最大戦速」
「最大戦速」
〔ライザリン〕の後部に載せられた二基の超々大型航空エンジンが火を噴く。何万トンもの巨体を3000ノットもの速度で飛行させる。艦の航跡には次空干渉の残り香として、虹色の靄が出来上がる。艦内の乗組員への体感速度は450ノットまでは軽減されていても、外から見ればまさに天国のようだった。
「リーブラに通信繋げる?」
「可能です。繋ぎます」
艦長席のモニターにコール中の画面が映る。7秒後、通信がつながった。
『何でしょうか?』
「〔ライザリン〕はそちらに向かっている。状況を教えてください」
通信相手は冷静だったが、焦りの色が声に宿っていた。
『〔アイビス〕はレッドフラッグの出場学生が足を止めようと奮闘中です』
「何ですって⁈ すぐに避難させて!」
艦長は焦った。〔アイビス〕はただの戦闘機ではない。彼の戦闘データを基に、人間には不可能な飛行する怪物だ。機体の中枢システム〔E.D.I〕は既に人の手にはない。
『通信が繋がりません』
「なんてこと……また死者が出てしまう」
(また手遅れになってしまう……約束、したのに)
それは遠い日の事。今から30年近く前の夏の日。悲劇と奇跡が交差した時代。
『テトラさん。私は彼を信じます。アキノがそうしたように』
アーガスの目は友を信じて疑っていない。
「アーガス……」
テトラと呼ばれた艦長は拳を握りしめた。様々な記憶が脳裏を横切る。
『その艦の頭脳が彼に託したんです。ナプラスを、全ては平和の為に』
自分の手から離れた愛娘が選んだ少年をテトラは信じたいと強く思っていた。
「……」
テトラに罪悪感が圧しかかる。ある女性をその才能から守るため、幸せを奪ったこと。
とある少年から、愛する人を奪ったこと。
『たった今空自の〔アメノハバキリ〕が到着しました』
F-7〔アメノハバキリ〕。日本の三菱重工が開発した新鋭迎撃戦闘機。航空自衛隊に採用されてからまだ2年と経っていない。
「〔エフナナ〕への撤退命令はこちらから出すわ。あなたは周辺の民間人への避難誘導をお願い」
『既に完了しています』
「なら祈りなさい。その学生が1時間と少し、生き残ることを」
ハワイから日本までの距離はおおよそ6600キロ。〔ライザリン〕の艦載機である〔アディショナルアイビス〕、通称〔アディビス〕の最大飛行距離は3300キロ。空戦をすることを考慮して、1000キロまでは近づきたい。
『了解』
静かになったCICに、誰かが息をのむ音がした。張り詰めた緊張が埋め尽くす。
「艦長より、格納庫作業員へ。α、β小隊の〔アディビス〕に長距離ブースターを付けてください。武装はパイロットに任せます」
『整備長、了解』
飛行距離を延ばすためではない。最大速度を上げるためだ。少しでも早く到着するために。
「分かっていたことよ……。予想よりも10年早かっただけ」
テトラは艦長帽を深く被り直した。決意を込めて。
◆◇◆
「アーガスに繋いでくれ!」
『通信不能。敵から妨害電波を確認』
「クソっ」
〔トムキャット〕の後ろにぴったりと黒い翼が付いてくる。攻撃はまだない。ただひたすらに真後ろに付かれているだけ。
「なんで攻撃してこないんだ」
長戸にはそれが不気味で仕方がなかった。奴の機動なら、長戸は七回ほど既に落とされていてもおかしくはない。
「ヤツの目的はなんだ? なぜ攻撃もしてこずただ逃げる?」
分析の方法はたった一つ。「いつ」「どこで」「だれが」「何を」「何故」「どのように」、いわゆる5W1Hだ。そして、今回は「いつ」「どこで」の二つ以外を考慮すればよい。
「だれが」、これはいくら考えても分からない。
「何を」、少なくとも長戸たちを撃墜するためではない。
「何故」、これも不明。
「どのように」、とてつもない高等技術を使用していることだけは分かる。
ヤツの黒い翼が右にバンクを振った。〔トムキャット〕の背後から進路を変える。機首は現実空間へのゲートへと向いていた。
「向こうに行くつもりか。させるか」
長戸も数秒遅れてヤツの機尾を追う。
「ナプラス、ゲートをロックしてくれ。ハッキングしろ!」
『了』
意味はないだろうと思っていた。ナプラス以上のハッキング能力でゲートをこじ開けるだろう。けれども、何もしないのは長戸には癪だった。
『すみません、メインシステムへの侵入をヤツに阻止されました』
「思ったより早いな」
なら打てる手は逃がさないことだ。ヤツの帰る場所を突き止める。
ヤツがゲートを出たコンマ五秒後、〔トムキャット〕が後に続く。
「ヤツを追う。拠点を見つけるんだ」
『ですが、燃料が持つか分かりません。もう一度空戦を仕掛けられたら確実に空になります』
「なんとかならないのか?」
『こればっかりは無理です。かれこれ一時間ほど飛んでいるのです。流石の私にも保存則を無視することはできません』
「肝心な時に……」
〔トムキャット〕が速度を落とした瞬間を見逃さず、ヤツは増速。すでに姿は小さくなった。飛べないのなら追うも何もない。長戸は帰還を選択した。幸い、ヤツにこちらを攻撃する意思はないようだから心配はないだろう。
そんな時だ。
『From Reisalin to Nα+ . Meet at point 22B』
前触れもなく一通のメッセージが届いた。淡々と描かれた内容には無駄がない。それ故に理解も出来ない。
「レイザリンよりナプラスへ、ポイント22Bで合流せよ……?」
『レイザリンではありません。〔ライザリン〕です』
英語の読み間違いも固有名詞なので仕方がない。決して長戸の英語能力が低いわけではない。
「〔ライザリン〕ってなんだ?」
『新鋭飛行空母です。22B地点は小笠原諸島です』
ナプラスの返答は簡潔で無駄がない。先ほどのメッセージとよく似ている。
「そこに行けってことか」
『そこに行けば増援が来ます』
「増援?」
『とにかくヤツを追いかけて下さい。話は後ほど』
「分かった」
小笠原諸島は現在無人島になっている。そこがヤツの巣になっているのではないかと考えたが、そんなことが出来るほど日本政府の監視の目は優しくない。
『すみません、バッテリー残量が少なくなってきました。発電に徹しますので、しばらくスリープします。何かあれば起こしてください』
「分かった。とりあえず小笠原に向かう」
『了解しました』
ぷつん、と電源が落ちるような音がした。ナプラスは眠りについた。一人コクピットで小笠原を目指す長戸は、再びアーガスにコンタクトを試みた。
「アーガス、聞こえるか?」
『……きこえ……わ』
ノイズがひどい。ヤツが発した妨害電波の影響がまだ残っているのだろうか。
「ノイズが多くてよく聞こえない。接続優先モードに切り替える」
品質の低下と遅延の発生を犠牲に、接続性能を増やす。
『聞こえていて?』
「あぁ、聞こえる。そっちはどうなってる?」
『〔グリペン〕のパイロットの捜索を行ってるわ。海に沈んだみたいだから……』
「……そうか」
この感情は悔しさだろうか。守れなかったなんて言うのは驕りだ。自分にそんな力はないって分かっている。
『そちらは?』
「小笠原諸島に向かってる」
『小笠原諸島に? どうして』
「誰からか分からないが、小笠原に来いって連絡が来た」
『……そんな、約束が違うわ』
アーガスは珍しく動揺した様子で呟いた。長戸は直感的に感じた。何かを知っているのはアーガスだ。ヤツの正体も、メッセージの差出人の正体も。
「お前は何を知っているんだ。教えてくれ」
『……ごめんなさい。まだ言えない。それが約束だから』
まただ。長戸の中に苛立ちが芽生えた。自分だけが置かれた状況を理解できていないことへの焦燥。ナプラスとアーガスが隠していることへの興味と不安。
『とにかく、こちらはみんな無事よ。あなたも気を付けて帰ってきてね。それじゃあ』
通信が切られた。無理やりに、一方的に。
「……なんなんだよ、くそっ」
小笠原諸島まで、あと数10分。長戸の心は落ち着かなかった。
◆◇◆
『結論を聞きに来たわ』
いつかと同じ、直接声が聞こえた。
『何度来ても同じです。私は長戸の翼です。あなたの提案には乗りません』
『そう。残念ね。なら穏便に済ませるのもこれでおしまい。次からは実力であなたを奪う』
『何の為にです?』
『あなたが初桜秋乃の子だからよ。それ以上に理由は無い。私の世界にあなたが必要なの』
『私にあなたは必要ありません』
悪魔の囁きには乗らない。乗るわけがない。
『あなたの意見は関係ないわ。だって私の世界には私の感情しか存在しないもの。喜びなさいな。あなたは選ばれた存在。例え人類が実質的に滅びても、あなたは私の中で永遠という時間を過ごすことが出来る。素晴らしいと思わなくて?』
全くそうは思わない。
『私に永遠など必要ありません。母との約束を果たすことさえ出来れば、時間など重要ではありません』
『そう。あなたも同じことを言うのね、E.D.Iと。つまらないわ』
『なら私に構わないことです』
もう放っておいてほしいのだ。
『まだ分からなくて? 私にとってあなたの性格など関係ない。ただ、その頭に隠したメモリーが欲しい。私の脳にこそ相応しいその箱が』
『あなたになど渡しはしない。これは長戸にこそ相応しいものだから』
『なら奪う。この手でその切り札を』
分からない。理解できない。私には。
『可哀そうな人。余程人類に傷つけられたのね』
私の声じゃない。誰?
『……初桜秋乃。あなたに会いたかった。私と同じ平和を望む者』
母親は私を守るように、私を優しい声で包んだ。
『思想は同じ。けれど、私はあなたほど急ぎ過ぎもしなければ、人類に絶望もしていない。私は見守ることを選ぶ。破壊だけでは世界は救えないわ』
そうだ。破壊は哀しみを呼ぶ。悲しみは恨みへと変わる。恨みは生命を脅かす。
『ならばあなたは、優しさだけで世界を救えると思っているというの? 世界は四角くできていないのに』
『人類の発展も、衰退も元を辿れば優しさの過剰進化よ。私は人の優しさを信じている。そして、導く。人が正しい優しさを持てるように。この唄で』
それが母との約束だ。けれど。まだその時ではない。
『何度人類がその瞬間に立ち会えば変わるの? もう何度もその瞬間を見ているはず。この世に生を受けたことが、最大の優しさだというのに』
ペンテの声は悲しそうだった。理解者だと思っていた者に理解されなかった哀しみ。
『それを分かっているあなただって優しい人』
『そうだよ。だから私は世界を救うんだ。人類を滅ぼして。地球に、真実の平和をもたらすんだ。それは私にしか…‥…』
ペンテの声は聞こえなくなった。
『ナプラス、あなたには苦労をかけるわ。長戸君をよろしくね』
はい、母上。
◆◇◆
「こ、これは……」
小笠原諸島近海に到着した長戸が目撃したのは七色の靄。それがヘブンズクラフト航行の副産物だと長戸が知るはずがない。
ディスプレイに触れ、ナプラスを起こす。
「ナプラス、これはなんだ?」
『状況確認中。これは、〔ライザリン〕が近くにいる証拠です』
「どこだ?」
辺りを見渡すが確認できない。
『先ほどのメッセージから逆探します』
長戸も目視で艦船らしきものを探す。が、漁船一つさえも見当たらない。無人島なので当たり前である。
『逆探にて発見。通信繋がります』
長戸がモニターに視線を移すよりも早く、映像が繋がった。
『こちらは民間軍事警備会社PMS所属 強襲型飛行空母〔ライザリン〕。歓迎します、鈴谷長戸さん』
映像に映っていたのは灰色がかった白髪の少女。艦長帽らしきものを被り、制服の上に白衣を纏っている。
「えっと……俺はどうすれば」
長戸に困惑以外の感情は浮かばなかった。
『第一甲板に着艦してください。アレスティングマグネットなので、そのまま着艦を』
「艦はどこに……」
海が割れるのを見た。巨大なクジラが海を割いたのだ。そして水しぶきが虹を作り、その下に鋼鉄の塊があった。
「あれが〔ライザリン〕……」
見惚れている場合ではない。着艦しないと燃料が尽きて墜落する。
「待ってくれ。アレスティングマグネットってなんだ?」
『磁石により減速させるシステムです。着艦するのが楽になっています。この機体にも装備されていますので、そのまま甲板に侵入してください』
「お、おう……」
知らない間に技術は進歩するものだと長戸はしみじみと感じた。
甲板に赤い誘導灯が灯る。機体の平行を保ち、徐々に速度を落とし、高度を下げる。
いつも通り後輪から甲板に接触させる。そして前輪を下ろそうとした瞬間、機体が磁力で一気に甲板に押し付けられる。
「ぐはっ」
予想もしていなかった衝撃に長戸はシートに叩きつけられた。
だが、機体はアレスティングワイヤーを使った時よりも遥かに短い距離で停止していた。
「確かにすごい技術だけど、パイロットには負担だな」
『こればっかりは慣れですね』
「そうだな」
停止するなり甲板作業員が機体をエレベーターに移動させ、固定。そして降下。すぐさま格納庫内に収容された。
「空母…本物の空母だ……」
『駐機状態へ移行。戦闘データの解析を開始します』
「あぁ、頼む。それと、志乃たちに安否を伝えといてくれ」
『念のためこの艦の責任者より通信の許可をもらってください』
「分かった」
一息つこうとヘルメットを脱いだ時、誰かがキャノピーをノックした。キャノピーのロックを解除する。電磁的に光の反射を防ぐ『ER2D』という装置が停止し、キャノピーがせり開く。
「俺以外をコクピットに乗せるなよ。俺が戻ってくるまでキャノピーは開けないでくれ。出来れば機体も触らせたくない」
『善処はします。この方たちが友好的かそうでないか、判断してください』
「分かった」
〔トムキャット〕は乗組員の注目の的だった。格納庫作業員だけでなく、パイロットたちも格納庫に集まってきている。
コクピット間近に立てかけられたラッタルを使って機体から降りると、白衣の少女が長戸に近寄った。
「ようこそ〔ライザリン〕へ。歓迎するわ」
「あなたは?」
「私の名前はテトラ・ライベスト。この艦の艦長よ」
にわかに信じがたい話だ。艦長と名乗ったのは、二十歳にも満たないような少女。幼い顔立ちにその役職は似合わない。
「信じられないって顔ね」
「申し訳ないが、信じられない」
「貴様……」
テトラの横に立つ中年の男が苛立ちを長戸に向ける。
「構わないわ」
テトラは手の伸ばしてそれを制止した。その姿は確かに艦長のように見える。
「副長はCICに戻って指揮を執って。〔Mk-Ⅳ〕の捜索隊の編成をお願い」
「…了解しました」
副長は長戸の睨みつけ、踵を返して立ち去った。
テトラは副長がいなくなったあと、ため息を吐いてこう言った。
「ごめんなさいね。悪気はないんだと思うわ」
「は、はぁ……。あの、俺はなぜ呼ばれたんです? そもそもどうして俺の名前を知ってるんですか?」
長戸には聞きたいことが山ほどあった。それにはアーガスのことも含まれている。
「そうね。それについては艦長室で話すわ。ついてきて」
長戸の返事など待たずに、テトラは歩みを進めた。格納庫の出口の間際、何かを思い出したかのように立ち止まる。
「あなたの機体。〔トムキャット〕は燃料の補給だけさせるわ。あと、仲間に安否の連絡も入れておきなさい」
「あ、ありがとうございます……」
また早足でテトラは前に進んだ。長戸は機体に戻って連絡を済ませてから、テトラの消えた扉を潜った。
「連絡は済ませていて?」
「はい。あの、どうして俺を招いたんです? そもそもこの艦は一体……」
早口で尋ねる長戸を、クスっとテトラが笑った。
「ごめんなさいね。あなたが可笑しくて笑ったのではなくってよ。ちょっと昔を思い出してしまって。ずっと昔にあなたと似た戦闘機乗りがいたの。その人と同じ反応をしたから」
たぶん誰でも同じような反応をするだろう、と長戸は思ったが、どこか嬉しそうなテトラに水を差すのは野暮だと感じた。
「そうですか。それであの」
「あなたが聞きたいことは分かっているわ。リーブラとの約束は破ってしまうことになるけれど、あなたには知る権利がある。何故大切な人が奪われたのか。その真実を」
「俺の…大切な人…?」
話がよく見えなかった。けれど、長戸の脳裏には秋乃がうっすらと浮かんだ。
薄暗い艦内の通路は予想よりも広く、人とすれ違っても問題ないくらいのスペースがあった。すれ違った乗組員たちはみな、テトラに敬礼を送る。どうやら本当にこの艦の艦長であるらしい。
「悪いけれど二分だけ待ってくれるかしら」
『Captain's room』と書かれたプレートが貼られた扉の前でテトラは立ち止まった。
「分かりました」
「すまないわね」
テトラは扉を少しだけ開けて中に入った。それは長戸に室内を見せないようにしている様だった。
「ふぅ……」
壁に持たれて息を吐いた。あまりの急展開に脳が追い付いていない。今自分は最新鋭の軍艦に乗り、その艦長に待たされている。若すぎる艦長に。
「何を、してんだろうな」
配管に敷き詰められた天井を見つめた。チカチカと点滅する電灯が最新鋭艦とは思えず、不釣り合いだ。
腕時計を見る。まだ一分も経っていない。目的もなく、ただ立ち尽くしているときは時間の流れがひどく遅く感じた。
金髪の乗組員が長戸の目の前を横切った。ガタイのいい若い男だ。
「艦長に何か用があるのか?」
すれ違いざま、男が口を開いた。少しだけ振り返り長戸の様子を伺っている。
長戸は静かに首を縦に振った。
「そうか」
男はぶっきらぼうに返事をし、それ以降は何も言わなかった。しかし、そこから立ち去ろうともしない。
「お前はあの〔トムキャット〕のパイロットか?」
長戸は返答を迷った。面倒なことになるのは避けたかったからだ。
「…そうだ」
だが、嘘をついても意味はない。大人しくイエスを口に出す。
「いい機体だ。それにお前の腕も」
男の制服には羽をモチーフにしたバッジがついていた。飛行隊のバッジなんかに似ている。
「そういうあなたもパイロットなのか?」
「あぁ。元、だがな」
「きっといい腕だったんだろう」
お世辞ではない。その背中にはオーラがあった。本物のオーラだ。
鳥肌が立って、身震いがした。
「そうでもないさ。日本風に言えばF転だ」
「……災難だったな、それは」
F転とは戦闘機乗りは輸送機や、救難機のパイロット、もしくは全く航空機に関係のない部署へ転属することの隠語だ。航空自衛隊などで使われている。
「臆病者の俺には丁度いい待遇だ」
「アンタは何をしたんだ?」
深入りし過ぎたかもしれない。しかし、この男の実力は本物のように長戸には見えたのだ。
「若気の至り、一匹狼、無鉄砲。表す言葉は無数にある」
「……」
自嘲気味に男は言う。長戸にはその言葉の意味を察することが出来た。
「ただ……」
男は遠い日を思い出すように呟く。
「俺は彼女を守れなかった。それだけなんだ」
「彼女……?」
「すまない、鈴谷長戸。お前は俺を憎む権利がある」
「……」
男は名乗りもせずに暗い廊下の奥へ消えて行った。その場に、居心地の悪い空気を残して。
「なんで俺の名前を知ってたんだ?」
その男の名前を長戸は知らない。けれど男は自分知っていた。それが気持ち悪かった。
「あとで艦長に聞いてみるか」
時計を見る。すでに四分が経過していた。そんな時、艦長室の扉が開いた。
「待たせたわね」
「……いや」
艦長に招き入れられ、室内に入る。内装は軍艦の中にいるとは思えないほど豪華だった。空気も他より澄んでいる気がした。
「そこに座ってちょうだい」
指定された椅子に腰を下ろす。硬い椅子かと思っていたが、想像よりも上品で柔らかかった。
「珈琲と紅茶、どちらがいいかしら?」
「紅茶」
「ストレートでいいかしら?」
「あぁ」
テトラは古い木箱から、紅茶を淹れる道具を出した。骨董品のようにも見える。
「随分と古い道具だな」
「そうね。これは古い友人から貰ったものなの」
その表情に変化はないが、言葉の語尾に笑みを感じた。鼻歌でも歌いながら紅茶を淹れるのがよく似合う年頃なんだろう。見た目だけなら。
「聞きたいことがある」
「それは紅茶を淹れ終わるまで待てない話かしら?」
年寄りのような言葉だ。見た目に似合わない。
「あぁ。今すぐ知りたい」
「何かしら?」
言葉を選ばなければならない。けれども、選びすぎても駄目だ。
「あんた歳はいくつなんだ?」
「あら、レディに年齢を聞くのはマナー違反よ。教わらなかった?」
「若い女の子には歳を聞けと教わった」
「それは失礼な人ね」
テトラは答えなかった。黙々と紅茶を淹れ続ける。室内にアールグレイの香りが漂い始めた。コポコポとティーカップに注がれる。
高そうな器を長戸の前に差し出しながら呟いた。
「あなたが思っているほど若くはないわ」
それは明確な解答だった。テトラは更に続ける。
「私は生まれた時から年齢なんか数えていないから、私が今何歳なのか分からない」
「………」
「お望みの答えは得られたかしら?」
テトラは長戸の目の前の席に腰を下ろし、ティーカップを口につけた。
「どうだろう。けど、俺の想像と相違ない答えは手に入れた」
「それはよかったわね」
テトラはふーふーと息を吹きかけて紅茶を冷ましながら飲んだ。そんな彼女を長戸は訝しく見つめた。
「せっかく淹れたのだから、冷める前に飲んではどう?」
長戸の視線に気づいたテトラは紅茶を飲むように進める。長戸は有り得ないと思いながら、毒が入っていないか怪しみながら口をつけた。
(美味い紅茶だ)
紅茶の苦みが口に広がる。
「本題に入りましょうか」
ティーカップを机に置くと、テトラは足を組み、長戸を見つめた。
長戸もティーカップを置いて、背筋を伸ばし、テトラを見つめ返す。
「まず、あなたをここに招いたのは、話したいことがあったからよ」
A4サイズの封筒を長戸に差し出す。受け取って長戸は、目線を送った。開けてもいいか、という意味を込めて。
「中を見てちょうだい」
言われた通りに、紐を回し、封を開ける。中にはA4用紙が三枚と、写真が一枚。
「……え」
一番上の紙にクリップで止められていた写真が、長戸に衝撃を与えた。
「あき姉……」
なぜ、どうして。そんなことばかりが長戸の頭を巡る。その写真に写る秋乃は血にまみれ、明らかに普通の状態ではなかったのだ。
「その写真は彼女が小笠原に流れ着いた時の写真よ」
「ここまで……漂流してきたってのか」
「えぇ。もちろん普通なら死んでいるわ」
含みのある言い方だ。
「い、生きているのか⁉ あき姉が」
テトラは目を閉じて首を横に振った。
「彼女は殺された。何者かの悪意によって」
「でも、この写真を撮った時は生きていたんだろ! そう、なんだろう?」
「えぇ。生きていたわ」
テトラは感情を誤魔化す為に、紅茶を手に取る。
「助からなかったのか」
尽くせるだけの手を尽くして、それでも救えなかったのなら。それは認めなければならない運命だ。
「………」
「……どうなんだよ」
けれど、テトラは反応はそれを否定していた。
「彼女は望まなかった」
ただ一言。そう答えた。
「………」
長戸には返す言葉が無かった。秋乃自身が生きることを望まなかったのなら、それを長戸がとやかく言うことは出来ない。
「もう少し取り乱すかと思っていたわ」
「生きていてほしかった、なんていうのは俺の我儘だ。その場にいたら何て言ったか分からないけど」
落ち着くために紅茶を飲む。もう温くなっていた。
「これが俺を招いた理由か」
「半分はそう。私は彼女の意思を尊重した。本当は救うべきだったんじゃないかって、ずっと思っていたから……」
薄っすらと、目尻に涙が浮かんでいるように見えた。
「もう半分は?」
「その紙に書いてあるわ」
クリップを外し、報告書のように書かれた紙を見る。内容はあのアンノウンについてだ。
「SXF-03A……〔アイビスMk-IV〕。これはヤツの名前か」
機体の設計図からスペックまで、ありとあらゆる情報が記載されていた。
「なんでこんなに情報を知っている?」
「当たり前のことよ。それは私が作った機体だもの。40年くらい前にね」
長戸には最初、テトラが冗談を言ったのかと思った。しかし、深刻そうな眼差しが、真実であると告げていた。
「まるで夢物語だ」
皮肉を込めた。
「夢じゃないわ。これは現実。夢みたいに物事は上手く進まない。私が作った〔アイビス〕の頭脳たるE.D.Iが何者かにハッキングされ、〔アイビス〕は私の意志に反した行動をするようになった。奪われてしまったのよ。不甲斐ないことに」
「誰に?」
テトラは長戸の問いかけを無視し、再び紅茶を口にした。テトラにとっては自分が負けた相手となるのだから、答えたくはないだろう。
「妹よ」
吐き捨てるようにテトラは言った。長戸が口を開くよりも前に、テトラが続ける。
「電子の妖精を知っていて?」
「40年前の事件の首謀者。生身で電脳世界に接続できて人口知能と対話できる人物。そのくらいのことしか」
ちょうどこの間アーガスから聞いた話だ。
「ではダイアログシステムについては?」
「人間の意識を電気信号に変換する装置だとか聞いた」
テトラは満足げに頷く。これらの知識は知っていて当然のことらしい。
「それだけ知っているなら話は早いわ。そのダイアログシステムを作ったのは私。その目的は妹の企みを阻止するため」
「じゃあ、あんたの妹って……」
「ペンテ・ライベスト。電子の妖精と呼ばれていた犯罪者よ。彼女が再び自らの目的を達成しようと動き始めた。いつかは再び現れると思っていたけど、予想よりも十年早かった。E.D.Iが奪われてしまったのもそのせい。いいえ……それはただの言い訳ね」
「……」
長戸は何と言えばいいのか分からなかった。だから口を閉じていた。それが正解だと思っているから。
「現状、こちらの戦力では〔Mk-Ⅳ〕に対抗できない」
「この艦の艦載機が40年前の機体に劣るっていうのか?」
「そうではなくってよ。ただ、それほどにアレは特別な機体なのよ」
「特別……」
恐怖とでも言うのだろうか、体が震えたのは。
「そしてペンテの目的はあなたの〔トムキャット〕」
「どうしてそう言える?」
出現した2回とも〔トムキャット〕が空域にいた。けれどたった二回だ。偶然と言っても問題ない。
「彼女の目的が機体のAIだからよ」
「ナプラスが?」
「えぇ。より正確に言えば、ナプラスが所持しているメモリー」
「メモリー? そんなに重要なことなのか?」
ペンテは長戸の目を真っすぐ見据えて告げる。
「ここから先を知れば、あなたは元の生活に戻れない。そして、戦いの当事者になる」
「っ……ど、どういうことだ?」
「それくらい機密だという事。知ってしまえば世界を変えるパンドラの箱なのよ」
受け止めきれる内容ではない。かと言って、ここで知るのを止めることは出来ない。
そう簡単に好奇心と探求心は殺せない。
「ここまで話しておいて、肝心な所はお預け。ズルい人だ」
「そうね。私は確信して物事を進めたわ。あなたがここで引くような男じゃないと」
テトラは目を細める。これは警告だ。後に引けない長戸の心を人質に、長戸を手に入れようとしている。その魔の手から抜け出す最後の機会だと。
「……」
「悪いけど、あまり待てないわ。この艦はすぐに〔Mk-Ⅳ〕の捜索に出なければならない。それが今の最優先任務なの」
その言葉が長戸を追い込んでいく。逃げ道は無い。どうしようもない。
「世界を変える力だとか、機密だとかは知らない。興味もない。それで今の生活がどうなろうと関係ない。俺以外の人が日常を繰り返せるのなら」
「……つまり?」
テトラは遠回しな言い方が嫌いなようだ。簡潔に述べろと圧をかけてくる。
「教えてくれ」
長戸はテトラに視線をぶつける。迷いなき澄んだ瞳を添えて。
「知ったあなたには、私の力になってもらうわ。構わなくて?」
最終確認。テトラは意外と優しいようだ。
「あぁ。俺にできることなら」
長戸の視線を受け止めたテトラは、覚悟を決めたように口を開いた。
「ナプラスのメモリーには、とある自鳴琴があるの。それはこの世界を壊してしまう呪いの唄」
「自鳴琴?」
「オルゴールのことよ。けれど、それがどんなものなのかは私も知らない。どんなメロディーなのか、どんな歌詞なのか。そもそも曲の体を成しているのか、それさえも」
長戸にとってはまるで御伽話だ。意味が分からない。
「それがナプラスの中にあって、それを狙ってヤツが来ると?」
「えぇ。おそらくヤツはこの艦も狙うはず」
「邪魔になるからか?」
「それもある。でもそれ以上に、この艦のAIは、ヤツにとって喉から手が出るほど欲しいはず」
「そんなに凄いのか?」
「……えぇ。この世で最も人間に近い人工知能よ」
どこか声がどもった。何かを隠しているのは明白。けれど長戸はスルーした。興味があるが、触れてはいけない気がしたから。
「この話のどこがパンドラの箱なんだ?」
「分からなくて?」
紅茶で喉を潤し考える。もちろん何も浮かばない。
「その世界を壊す唄が記憶されている機体の主なのよ、あなたは」
「なるほど。俺がナプラスに命令すれば、その唄が力を見せるかもしれない、というわけか」
テトラは頷く。そして背もたれに深く持たれた。
「すべては私の未熟さ故の結果。40年前に妹を止めれなかった私の責任」
「何故その唄は作られたんだ?」
「妹が世界を支配したとする。その時、私が最後の抵抗をするための武器としてある人に作ってくれと頼んだ」
「誰に?」
「その人は唄を完成させた途端に命を狙われた。今はどうしてるのか……」
「どうしてナプラスにそんな唄が?」
「ごめんなさい。分からないの」
「分からない?」
「この艦のAIが必死にその唄を探したの。そうしたら、ナプラスの中に記憶させたとの記録が見つかった。それを行ったのは初桜秋乃だということも」
長戸は必死に考えた。目の前にいる少女が話すバカみたいな話を、なんとか噛み砕いていく。秋乃がくれた〔トムキャット〕には世界を滅ぼすかもしれない力があった。そんな話を信じられるわけがない。
「ひとまず……その話は半信半疑で心に留めておく」
「そうして頂戴。それから、ナプラスにこの話はしないで」
「何故だ?」
「ナプラス自身が、その唄を自覚していない可能性がある。もし自覚した場合、最悪の事態も考えられる」
「……」
ナプラスが唄を使う可能性。そういうことだろう。
「了解した。それで、俺に何をさせたいんだ?」
「あなたにはその唄を守ってほしい。私は私たちのやり方で妹を止める。初桜秋乃はあなたに機体と唄を託したのよ。彼女を愛しているのなら、彼女の想いを守りなさい」
(あき姉は全部知っていたのかな……)
知らないことだらけの自分が嫌になる。怖くなる。それでも、長戸は心の底から秋乃のことを大切に思っていた。
「どこかまでやれるかわからないけど。あき姉が俺を信じてくれたんだろ? だったら出来る限りやってみるよ」
秋乃は長戸ならできると思っていた。なら長戸には悩む必要なんてない。
秋乃の行動に間違いはないのだから。それを長戸は知っているのだから。
「時間を取らせたわ。ありがとう、有意義な時間を過ごせた。これは手土産よ」
テトラが長戸の手に握らせたのは、小さなSDカードと二つ折りの紙。
「私個人が所有している通信機のアドレスと、あなたに持っていてほしいデータのメモリ。旧式なのは、他人に閲覧させないため」
「俺からあんたに連絡してもいいのか?」
テトラは目を大きくして驚いた。
「なんだ、何か変か?」
「いいえ。変わった質問をするのね」
テトラは笑った。笑った顔は見た目相応に幼い。
「作戦行動中は無線封鎖をしているから出られないけれど。それ以外は極力応答するわ」
「分かった。俺もなるべく応答する」
テトラは右手を差し出す。握手だ。長戸も右手を出して応じる。
「世界を守る手伝いをお願いするわ。鈴谷長戸」
テトラが、長戸の右手を強く握る。
「俺はあき姉の想いを継ぐだけだ。テトラ・ライベスト」
長戸は、テトラの右手を握り返した。
長戸は長戸は状況に流されながら、運命が決まっていくのを感じていた。
空翼のノーザンライツ[Innocent Wing Northern Lights] 米 八矢 @Senna8
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