第5話 紅のグリフォン
燃え上がる焔。充満していく煙。
「……なぜ、こんなことをした」
青年は少女に問い掛ける。銃口を向けながら。血がこべりついた白衣を纏った少女は、薄笑いを浮かべた。
「私は平和を作る……私なら、それをなし得ることが出来る」
少女は血を吐いた。残された時間は僅か。
「君の望む平和は本当の平和じゃない」
「では……あなたのいう平和とは何なのです?」
青年は口を噤んだ。その問いかけには答えられないからだ。
「答えられないのでしょう? あなたは平和の中でしか生きたことがないから」
青年は少女を睨む。図星を突かれた少年のような眼差しで。
「平和は戦争と戦争の狭間にしか存在できない。それはドーナツの穴のようなもの」
「そうだな。だから俺たちは戦争をしちゃいけないんだ。戦争をしないことが平和を維持する唯一の方法だから」
少女は嘲笑する。まるで的外れな返答だとでも言いたげに。
「あなたは分かっていない。戦争はなくならない。歴史は繰り返す」
少女は白衣のポケットから一丁のリボルバーを取り出した。
「戦争は他者と他者から生まれる。なら、他者をなくせばいい。全てが自己となり、この星が一つの生命となれば、永遠の平和を手に入れられる」
少女は銃口をこめかみに当てた。
「おいっ!」
「私は必ず手に入れる。永遠の平和を。清浄なる世界を。安らぎの居場所を。誰にも邪魔はさせない」
そして撃鉄が降りる。瞬間、銃声が響き渡った。辺りに鮮血をまき散らす。
「っ………」
2028年10月15日。この日、事件は首謀者の死亡で幕を下ろした。
それは、次なる事件への始まりであった。
◆◇◆
「いよいよですね。長戸」
「そうだな。いよいよだ」
地区大会を前日に控えた長戸たちは、各々が胸中にそれぞれの想いを秘めていた。
ある者は不安。ある者は興奮。それぞれがそれぞれの想いを抱く。
「おう長戸。整備は万全だ。明日は存分に楽しんでこい!」
風早がレンチで肩を叩きながら長戸の背中を押す。噂では、風早の方にはレンチで出来た青あざがあるらしい。
「あぁ、もちろんだ」
「でもリーグによっては明日試合ないよ?」
卯月はチョコレートスティックを齧りながら水を差す。
「おいおい……あんまり盛り下げんなよぉ」
「風早はもうちょっと落ち着いた方がいいよ」
「むぅ」
そんな二人を差し置いて、長戸と志乃は格納庫を離れた。二人が言い合いをしているのはいつものことだ。
なんとなく二人は海の方へ歩いた。
「相変わらずだな、あの二人」
「そうですね。でも仲が良いのはいいことですよ」
「そうだな」
大会への不安はなかった。ただ、長戸の心から離れないのはあの黒い機体のこと。
「あいつは……何だったんだろうな」
「あいつ?」
「練習試合の時に現れた謎の機体だ。二か月経っても運営からも何も連絡なかったし……」
「気になりますか?」
「そりゃな。異次空間の管理コンピューターにも記録されない、レーダーにも映らない。もしあの機体が、どこかのチームの機体だとしたら……」
可能性はゼロではない。あれは挑発、または偵察だと考えれば行動に納得できなくもないのだ。
もちろんアーガスが言っていた例の過去の機体。その可能性も完全には否定できない。
「もしそうだったら。長戸は勝てますか?」
志乃は感情の無い顔で問い掛けた。
「……無理だ、とは言いたくない。実力も機体性能も分からないんだ。負けるとは決めつけられない」
不安というよりは恐怖があった。得体の知れぬ存在。それに恐怖を感じるのは当然のことである。
「そうですよ。まだ何もかも不確定なんです。だから長戸は全力で飛べばいいんです。昔のように」
長戸は立ち止まって、志乃の方を見た。縋るように。
「ね?」
志乃は笑顔で長戸を応援する。昔から
「あぁ。そうだな」
◆◇◆
「地区大会の組み合わせが発表されました。ナガトが一回戦であたるのはここです」
榛奈の教員室でアーガスがタブレット画面を指差す。
「八王子工業高校か」
組み合わせには学校名しか載っておらず、使用機体は分からない。
「あそこは確か去年は〔ヴィッゲン〕を使っていたか。あそこのトレードカラーは赤なんだ」
「〔ヴィッゲン〕ですか。聞いたことないですね」
「JA 37だよ」
「あ、〔ビゲン〕のことですか」
機体名を日本語にすると、こういうことが多々ある。
「そうだ。勝算はありそうか?」
「もちろんです。勝率と敗率は常にフィフティフィフティですから」
「それは屁理屈だよ」
「先輩が教えてくれたことですよ」
榛奈は過去の自分を思い出してみたが、そんなことを言った覚えはなかった。
「先輩はアルコールが入ると名言を残しますからね」
「……なるべく控えるようにしよう」
「そろそろ私は格納庫へ行ってきます。ナガトたちが組み合わせを楽しみにしているでしょうから」
「うむ」
榛奈は愛用の電子タバコに火をつけた。アーガスがドアノブに手をかけた時に、思い出したかのように口を開いた。
「あぁそれと、鈴谷をこっちによこしてくれるか?」
「分かりました、では」
一人になった部屋で榛奈は。天井にタバコの煙を吐いた。渦を巻いて煙は空気に溶け込む。
自前のパソコンのメールボックスに一通にメッセージが届いていた。
「来たか」
メッセージを開く。中身は見ずとも内容に察しはついていた。
「報告書、か。上は随分と形式を大事にするようだな」
内容は以前の練習試合で姿を現したアンノウンについて。結局調査をしたが正体は掴めずという内容だった。
「そんなの分かっていたことさ」
悪態をつく。
「無能な連中め」
もう一度煙を吐く。すぐに大気に飽和され、見えなくなった。
「秋乃が予見した通りか……そのための〔スーパートムキャット〕だからな」
電子タバコのカートリッジを灰皿に捨て、白衣を纏った。窓の外を眺めると、志乃と談笑している長戸が見えた。
「鈴谷……すべてはお前にかかっているのだぞ。志乃が託した
誰かが部屋をノックした。
「どうぞ」
「お呼びですか、先生」
榛奈は来客の顔を見ると、口角を上げた。
◆◇◆
「〔グリペン〕だと⁉」
試合会場に訪れた榛奈は、輸送車に乗せられた機体を見つけた。八王子のチームの機体が〔ヴィッゲン〕ではないことを知り驚愕の声を上げている。それはどちらかと言えば好奇心の声だ。
「せ、先生。落ち着いてください」
「落ち着いていられるか! 〔グリペン〕だぞ、〔グリペン〕。鈴谷には分からんのか? こいつの美しさが!」
榛奈は目を輝かせながら長戸に突っかかる。自分の目で〔グリペン〕を見れたことが嬉しくて仕方ない様子。
「気持ちは分かりますが、ボリュームを下げてください。目立ってますから……」
長戸たちは周りからの奇異の眼差しをずきずきと感じていた。
「ねぇ、風早」
そんな中、冷静に機体を分析していたのは卯月だ。どんな時も冷静沈着が売りのウェポン担当。
「おん?」
「あのグリペン、なんか変じゃない?」
「どこが変だってんだよ」
「見た感じあの機体はF型。だからハードポイントは十か所はるはず。でも空いているハードポイントは六か所しかない。そして四か所を占領しているあの、増槽みたいな装備。あれは何だと思う?」
風早は卯月の言われ、〔グリペン〕の翼下の装備に目を凝らす。たしかに、増槽のような流線型の形をした管が取り付けられている。
「あの固定の仕方じゃミサイルとは考えられないな」
「そうだよね。第一、輸送中に機体にミサイルなんかつけないし」
「先輩、あれファンがついてます」
二人の邪魔をすまいと少し離れた位置から会話を聞いていた新が指摘する。
「ファン?」
「……ほんとだ。あれは、発電装置?」
過去に正規軍に採用された機体にも、飛行中にファンで発電するものがある。
「……あ、あの機体はもしかして電子戦機なんじゃ」
「EWポッドってことか」
「ですが、空戦ですよ? 戦争なら電子戦機は有効ですが、有視界戦闘を基本とする空戦に電子戦機だなんて」
新の発言はもっともだった。重いEWポッドを付けるくらいなら、AAMの一つでも積む方が空戦では有利だ。
「新の言うことは正しいな。けど、相手はその前提であの機体を使ってくるのかもしれない」
「それはつまり……空戦において電子戦が有効である。ということですか」
「あぁ。まぁ誘導弾を無効化することだけでも、有利かもしれない」
卯月は思考を巡らす。チームの頭脳は健在である。
「一応ジャミング対策は考えてあるんだけど。まさか一回戦からこんな機体と戦うと思ってなかったから、まだ設計段階なんだよね……」
こんなことなら一個でも形にしとくんだった、と小声で呟く。
「卯月が気にしたって仕方ないさ。俺らに出来ること精一杯しよう」
「うん、そうだね」
「お供しますよ、先輩方」
◆◇◆
「本当にいいの? 相手が電子戦機だって確定しているわけじゃないんだよ?」
「大丈夫だ。卯月の仮説は外れない。今までも、これからも」
「うん、ありがとう。じゃあGBとAAMを積んでおくね」
「頼む」
卯月の仮説を聞いた長戸は、その仮説を信じて対電子戦機ようの装備を依頼した。
相手がどの程度のジャミング効果を発生させることが可能なのか分からないため、ジャミングされる可能性がある誘導弾は一発も搭載しない。全て無誘導弾だ。
「風早、ちょっと頼みがある」
「おう、なんだ?」
エンジンの下で最終確認をしていた風早は帽子をうちわ代わりにパタパタと扇ぐ。
「エンジン出力を左右とも最大に出来るようにしててくれ」
「そりゃまた何で?」
双発エンジンの利点は片方のエンジンに不調をきたしても飛行できることだ。それに、機体剛性との兼ね合いで、出力は左右とも七割ほどに設定している。
「相手が単発だからな」
これで意味が通じるかは分からない。
「そういうことなら任せろ。以前から考えていたことだ」
「頼む」
風早に任せておけば問題はない。こうして長戸は機体調整を進めていく。武装、エンジンと来れば、次はコンピュータだ。
「それから志乃。ナプラスの電子戦対策能力はどのくらいある?」
「アクティブ方式に対してなら一度攻撃を受けたら二度目は予測により、実質的な無効化は出来ると思います。パッシブではデコイ並びに機体スペックを正確に理解することが出来れば、あらゆる可能性を算出して、視覚化できます。例えばスペックが七十パーセント理解できていれば、誤差は二十パーセントほどです」
「それだけできれば十分だな」
本格的な対電子戦能力は残念ながら〔トムキャット〕には備わっていない。けれども、AIの能力を活用すれば、攻撃を受けても計算と予測により、プラマイをゼロにできるであろうというわけだ。
「しかし、ナプラスの能力を最大限に使うと電力供給がままならない可能性があります。それに、発熱も」
「長期戦は難しいわけか」
「はい。これは計算値ですが、ナプラスの処理能力を最大限使用した場合、五分でオーバーヒートします。もちろん設計者はこの対策をして強制冷却システム〔C-MAX〕を導入していますが……」
志乃はコクピットのサイドコンソールを操作し、強制冷却システムを作動させた。
機械の動作音とともに、機体の各部装甲が開いた。
ナプラスの中枢は機体各部のセンサーと綿密に結びついている。強制冷却はセンサーと中枢集積路を繋ぐ回路も冷却するように設計されている。
「飛行中にも使用は可能ですけど、著しく速度が低下します」
「速度が落ちれば、制御が鈍る。空戦では命取りか」
「はい、ですからナプラスには安全稼働時間を設定させました。一回四十七秒の使用であれば、インターバルを五秒で理論上無限ループが可能です」
「そこは俺よりも志乃の判断を尊重する」
「ありがとうございます」
「あとは任せた」
「はい。長戸は時間までに万全にしておいてくださいね」
長戸は一度機体から降りて、休憩室へ入った。あとは志乃や卯月、風早たちに任せる方がよいと判断した。
休憩室には先客がいた。その先客が飲むホットコーヒーの香りが部屋に漂っている。
「あ、ナガト」
「姿が見えないと思ったらここにいたのか」
自販機でコーヒーを買い、アーガスの目の前の椅子に腰を下ろす。
「何見てるんだ?」
アーガスは真剣にタブレットを見つめている。
「ナイショです」
「卑猥なやつか」
「そんなわけないでしょう? ナガトは私をなんだと思ってるの。これはウヅキが考えていた設計書よ」
「卯月の? あいつ何作ろうとしてたんだ?」
「対電子戦用防御装置」
「随分タイムリーなものだな」
缶コーヒーのプルタブを開け、啜る。
「彼女はとても優秀ね。まだ粗削りなところはあるけれど、学生のうちにこれだけの設計ができれば、将来が有望よ」
長戸は自分が褒められたわけでもないのに、どこか誇らしい気分だった。幼馴染が優秀と言われて悪い気はしないということだろう。
「それで、調子はどう?」
「今までと変わらないよ。最善を尽くすだけさ」
長戸は笑顔でアーガスに答えた。その表情に安心したように、アーガスも笑顔を返した。
「頑張ってね」
長戸は首を深く縦に振った。
◆◇◆
『さぁついに始まりました! レッドフラッグ東京地区大会。まだ一回戦だというのに観客席には大勢の人が集まっています! 実況はこの私、
実況に観客の声援が巻き上がる。
レッドフラッグは近年注目を集める競技である。それはつまり観客も多いということ。運営には大手企業のスポンサーがついている。学校によっては個別にスポンサーを獲得し、それを資本としている所も存在する。
観客は映画館のような大きなスクリーンで試合を見守るが、競馬や競輪の様にお金を賭けることは禁止されている。社会の闇には存在しているのかもしれないが。
『さてさて一回戦は八王子工業高校バーサス東都海浜台高専だ!』
少々暑苦しいタイプの実況者だが、盛り上げるには適切な人材だ。
『ここで気になる機体紹介と行きましょう』
スクリーンに映し出される映像が、実況者の顔から機体の映像に変わった。
『まずは八王子工業高校の機体は、JAS 39F/EW〔グリペンインターセプト〕。F型をベースに改修を施した機体です。解説の戦闘機大好きアイドル井潟林檎ちゃん、どうですかこの機体は?』
『そうですね。グリペンを採用している点が個人的にはポイントぶっちゃ高いですね。みんな好きですもん、グリペン。あとはインターセプトという名前が気になります。やはり電子戦機なのでしょうか。あと——』
『おっとこれは長くなりそうなので遮らせていただきます』
会場には笑いが起きる。ほぼ祭りのような雰囲気だ。
『では続いて東都海浜台高専の機体を見て行きましょう。使用機体はF-14 ASFEX〔スーパートムキャット〕です。林檎ちゃん、どうですかこの機体は? なるべく手短にお願いしますね』
『何も言えることはないですね』
『えっ? F-14ですよ? あの根強い人気を誇るF-14ですよ?』
『だからこそです。喋りだしたら止まりませんよ?』
『自粛ありがとうございます。ではここで会場の様子を見てみましょう』
また映像が切り替わった。スクリーンに映し出されたのは架空空母〔ノア〕の甲板上で試合開始を待つ二機の戦闘機。
『両機とも試合開始の時を今か今かと待ちわびています。林檎ちゃんは試合結果をどう見ていますか?』
『機体の特性からすれば、やはり〔グリペン〕にアドバンテージがあるように思います。ですが、これはレッドフラッグです。選手たちの創意工夫を機体に込めることが勝利への鍵なのです。私が言えることは、現状では何も分からないということだけです』
『なるほど。つまり楽しみで仕方がないということですか』
『当然です』
◆◇◆
そんな中継映像をコクピットで見た長戸は、ため息交じりに呆れていた。
「相変わらずテンションの高い実況と解説だな」
『毎年この方々なのですか?』
「ここ数年はそうだな」
いつも通りカセットテープで秋津洲鈴花の曲を流しているが、今日は実況の方が耳に入っている。
「視聴者受けはいいらしいからな」
なんでも井潟林檎が解説をするようになってから視聴率が十五パーセント上がったのだとか。
『さて、そろそろ試合開始時刻になりました。そろそろ両機が〔ノア〕を発艦するようです』
甲板上の作業員が機体から離れていく。長戸はカセットテープを止め、深く息を吐く。
「ふぅ……」
そして、思いっ切り息を吸い込む。体中に新鮮な空気を送り込む。
『レフェリーより各機へ。発艦カウントを開始する』
甲板の先にある三つのライトが赤く点灯する。赤いライトが左から緑に変わっていく。全てが緑に点灯したとき、機体が海に放り出される。大きく開いたF-14の翼が揚力を得て舞い上がる。
JAS 39と30キロの距離を取る。
『カウントを開始する。5、4、3、2、1』
レーダー上で光点として表示される敵機へ機首を向ける。
『ゼロ』
最大加速。
「ナプラス、〔グリペン〕を見失うなよ」
『了』
人間は自分の走る速度以上の物を見ることはできない。正確には視力が落ちる。人間が正確に色彩と距離感を認識できる速さは時速22キロほど。それ以下になれば、どんどん認識能力は低下していく。長戸は目が良い方ではあるが、それでも
『〔グリペン〕と会敵まで2秒』
ナプラスの言葉を認識したときには、既に機体はすれ違う直前だった。紅く、大きな翼が横切る。
操縦桿を右に倒し、引き上げる。そして加速。急旋回。
『〔グリペン〕の反応消失。消失直前高熱源体を観測』
「EA《電子攻撃》だ。その反応を今後見逃すな」
『了』
レーダー上から光点が消失した。しかしレーダーと電子系統に異常はない。何よりナプラスが観測していない。
周りを見渡す。機影は見当たらない。雲ばかりだ。
「奴の位置を計算できるか?」
『不可能ではありませんが、正確性は30パーセントです』
「くそっ、情報が少ない」
『後方より、ミサイル接近』
突如、レーダーに高速の光点が表示される。
『赤外線探知』
冷静にフレアを撒く。ミサイルはフレアに突っ込んで爆発。
「どこにいる……」
ミサイルが飛来した空は霞んでいた。
「なんだ?」
雨雲のように見える。雷はまだ見えない。
◆◇◆
『なんだなんだ⁈』
『雨のようです。降雨の中での空戦はコンディションとしては両機にとって最悪です』
実況と解説が、映像から雨をいち早く読み取る。
『グリペンを見失いました。一体どこにいるんでしょうか』
実況ルームには定点カメラからの映像しか映らない。
『〔トムキャット〕も〔グリペン〕見失っているようですね』
試合としては見どころの無いものになろうとしていた。
◆◇◆
「あの中に〔グリペン〕がいるのか?」
その時、強い追い風が吹いた。
『仮説を立てます。演算の許可を下さい』
「やってくれ」
ディスプレイに表示されるCPU温度が急激に上昇する。その時、二発目のミサイルが飛来。機銃の弾道をミサイルの飛来線に交差させる。交点をミサイルが通過する数コンマ秒前にトリガーを引く。弾丸はミサイルを貫通した。
『ミサイル発射地点を特定。飛行ルート計算。HUDに表示します』
ヘルメットに緑色の矢印が映る。これが〔グリペン〕が飛んでいるであとう航路の予想だ。だが、そこには遅延がある。一秒先の位置を予測するのに、二秒を要するのだ。しかも、反対方向に二本伸びている。
「異常はないか?」
『ありません。いえ、気圧が変です』
「気圧?」
『前方に明らかに低気圧の断層があります。その層が原因と思われる追い風が吹いています』
確かに先ほどから機体は追い風にさらされていた。
「そこだ。その気圧断層の境界面に奴はいる可能性が高い。リミッターは無視して計算しろ」
『了』
CPUの温度は下がらない。どんどん上がっていく。その分、〔グリペン〕の予想位置の正確性が増していく。
『境界面を特定。前方の雲の内部です』
「CPUを冷却だ」
CPUの全力稼働を停止し、空冷。
ナプラスは索敵をしつつ、一つの結論にたどり着いていた。
『仮説ですが、相手はEAではなく、EP《電子防御》を使用していると考えられます』
通常のEPとは友軍のEAの影響を、自軍が受けるのを防ぐために利用される。
「簡潔に説明してくれ」
なるべくロックオンされない様に、不安定な飛行を続ける。機体の反射光がないか、見渡す。
『高熱源の観測とレーダーからの消失から推測します。マイクロ波を吸収する水を発生させたのではないかと』
「水?」
『空気中には水分はありますが、それでは全然足りません。あらかじめ水素と酸素の混合気体を機体に装備させていたのではないかと』
「それを高温で水に変化させ、マイクロ波を吸収させたのか」
『そして水はマイクロ波を吸収すると発熱します。その熱でさら水を生み出しているのではないかと』
「それがこの雨の正体だと?」
『はい。これだけの降雨の中を飛行し、攻撃までしてきているのです。相手チームの技量はかなりのものです』
「対策は?」
『レーダーが無意味と仮定し、レーダーを切ります。敵の手伝いをする必要はありません。それから、グラヴィティボムにより雲を散らし、目視による索敵。それからは空戦です』
「その作戦でいこう」
レーダー切り、高度を上げる。〔グリペン〕が隠れている雲の上を旋回。
「投下地点境界面の前後でいいな?」
『それで姿を目視できるはずです』
HUDに表示される境界面の予想地点を目掛けて、三秒後に起爆の設定でGBを投下。
3秒後、爆発。雲に円形の切れ間が現れる。
長戸の目に光が射る。それは〔グリペン〕のキャノピーの反射光だ。
「見つけたっ!」
急降下で〔グリペン〕に接近。〔グリペン〕はECMを実施。長戸のHUDの映像にノイズが入る。そしてナプラスの反応が消える。
「くそっ」
予想以上に敵のECMは強力だった。だが、有視界戦闘においてHUDの補助など必要ない。(もちろんあった方が良い)ただ獰猛に追いかけて、その翼を折るだけだ。
〔グリペン〕は距離を離そうとアフターバーナーを燃やし急加速。〔トムキャット〕も追走。流石に製造年代が違うだけに、〔グリペン〕の加速力は馬鹿にならない。
「双発エンジンを甘く見るなよ」
サイドディスプレイから『Engine Boost』を選択。275秒の間、エンジンはリミッターなしで秘めた力を最大限に発揮する。異次元の燃費の悪さが付き纏いながら。
桁違いの加速力を手に入れた〔トムキャット〕は、ガタガタを振動を起こしながら、空を切る。長戸の右手の操縦桿に伝わる力が大きくなる。機体制御の程度は操縦桿によってフィードバックされるからだ。
〔グリペン〕は予想以上の加速力に反応し、逃げるようにさらに増速。
『飛行ルートに熱源探知』
ナプラスの警告に考えるよりも先に体が動く。瞬時に機体を左に振る。〔トムキャット〕の腹で何かが爆発した。
微細なクラゲのようにふわふわと宙にそれは浮かんでいる。
「く、空中機雷だと……」
〔グリペン〕誘いこまれたのだ。回避されることも読み、回避先にも機雷が敷き詰められている。
「なんでだ⁉ さっきまで機雷なんかなかったぞ」
『おそらく、先ほどのECMです。その一瞬で機雷を散布したものと思われます』
「何て奴らだ」
職人技の様な細かな操縦により、〔トムキャット〕は無傷で機雷源を抜けた。
〔グリペン〕は相変わらず尻をこちらに向けている。
『敵機直上』
「なっ⁉」
長戸の目には確かに目の前に〔グリペン〕がいた。それが敵の創った虚像だと気づいた時には、敵の機銃弾が機体を貫かんを迫ってきていた。
ハメられたのだ。敵の作戦に。ダミーだと気付かずに。
(避けれ…ない)
敗北を感じた。いや、実際にこの時既に負けていた。
黒い翼が空に舞う、その瞬間まで。
長戸には、蒼い風が見えた。鮮やかまでに心地よい風。
轟音と殴り風が〔トムキャット〕を包む。機体は制御を半回転し、重力に引かれていく。
〔グリペン〕は状況をうまく呑み込めていない。ただ、〔トムキャット〕へと向けていた矛を収め、黒い翼に矛先を向けた。
黒い翼。漆黒の前進翼機。
『アンノウン出現。データ照合中』
「……ヤツだ。あの時と同じ風が吹いている」
ブーストの残り時間は150秒。何としてでもヤツに追いつく。
『照合完了。件の機体です』
ナプラスの言葉が耳に届くと同時に、黒い翼に機首を向ける。姿は目視できないほど離れている。けれど、長戸には分かった。
「ヤツは…そこにいる」
空の彼方で、閃光。爆発だ。
『ナガト、何が起こっているの?』
コントロールルームから、アーガスが呼び掛ける。今は無視する。構っている余裕はない。
『例のアンノウンが出現しました。ヤツは〔グリペン〕を狙っているようです』
長戸の代わりにナプラスが状況を伝える。その間にも距離は近づいていく。
視界にとらえた。〔グリペン〕はヤツ相手に何度もECMをかける。まるで効果がないようで、状況は悪化していく。ヤツは〔グリペン〕の背後から離れない。
その時は不意にやってくる。身構えているときには、波乱の風は吹かない。
ヤツがその黒い翼を畳む。そして、〔グリペン〕を追い越した。ありえない光景が目の前にあった。再び広げた翼で、急減速。エアブレーキのように垂直に立てた前進翼を軸に、機首を下に向け、直下の〔グリペン〕に機銃を放つ。〔グリペン〕失速。
誰の目にも明らかなほど、そのコクピットはつぶれ、割れたキャノピーは紅く滲んでいた。
「……」
死んだ。人が。これはもう競技じゃない。戦闘。本物の。
「戦争が……したいのか。お前は…」
ヤツが〔トムキャット〕を視界に入れた。攻撃か、回避か。
その選択を迫られる。誤れば死ぬ。両機の距離は30キロ。
この瞬間に、戦争は始まったのだ。
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