Youth

八々野

You

 私は電車を待っていた。

 ──間もなく各駅停車、新安城行きが参ります。黄色い線の内側までお下がりください。まもなく​────。


 私はその声につられて電光掲示板に目を移す。あと28分。隣の時計は到着時刻より早く、電車は来ない。ここ、西尾駅は10分に一本のテンポでやって来る向かいの電車に対し、こちら30分に一本しか来ない。私はさっき乗り遅れたばかりなのに、諦め悪く見てしまうのが私の性なんだろう。

 柱に寄りかかりなら、意味もなくスマホを開いた。仄暗い画面から浮かび上がった友人の寝顔。授業が終わっても寝続けていたとある瞬間を激写したものだ。「無防備すぎて嫌! 早く消して!」脳内で友人の声が再生されて私はマスクの下でくすりと笑顔をこぼした。

 設定した当初はその子によく説き伏せられ、これはどう? これはどう? と飼っている青眼の黒猫の写真が沢山送られてきたものだ。その猫はいつだって悪戯っ子のような表情をして、ぶれている写真ばかりだったけれど。


 たまに気に入った写真をホーム画面にしては、友人の写真に戻していた。近頃は諦めたのか、干渉されることが随分と減った気がする。が、最近は友人のホーム画面にも少し問題がある。



「だ〜れだ」



 青白い光を写していた私の視界は、唐突に暗と塗りつぶされた。目の裏に友人の寝顔がこびりつく。間延びした声とふわりと香る柔軟剤。私を後ろから抱きしめられるように手のひらが降ってきたのだ。その小ぶりな手がひんやりと心地よくて、するりとほっぺを擦り寄せる。



「誰だと思う?」

「ユウ以外、誰もいないでしょ」

「ばあ♡」



 正解と言わんばかりな軽快な声音と共に視界が開けた。

 同時に傾いた夕日が瞳孔を襲う。私は太陽から目を逸らすように後退りして、ぱちぱちと瞬きをした。彼女の靴は水に濡れて、微かに砂のようなものがついていた。



「ねぇ、どこに行っ」

「こんな時間まで何してたの?」



 声をかき消すようにホーム画面の彼女は私の頬を両手で挟む。問いただすように合わせられた視線から逃げるように、自分のカバンに目を移した。



「ミヤちゃん先生と進路のオハナシ」



 もごもごと、いじけながら答えた私の顔を見てユウが吹き出した。



「笑わないでよ」

「どうしてしょんぼりしてんの?」

「してない。ちょっと成績が悪いだけで頑張れば何とかな」



 彼女はごめんごめんと言いながら私の頬から手を離した。私は名残惜しく彼女の手を見つめた。少し骨ぼったくて丸く切りそろえられた短い爪。それは丁寧に磨かれ、光を反射していた。ユウはそのまま自分の頬に手をあてがい温かい、とそっと目を瞑る。



「受験生だもんね。1年生はあんなに気楽なのに」

「1年生はテスト大変だったでしょ」

「確かに難しかったね」



 「……でも、戻りたいな」ぼそりと呟かれた、もしものはなし。過去に戻るだなんて、魔法だって神様に願ったって叶えてくれやしないだろう。現実は残酷。時には抗えない。それがこの世界の理。

 私は志望校のパンフレットを取り出して、今日の振り返りをする。余白いっぱいに詰め込まれた文字。忘れないように書き込んだはずのその文字は描き崩れており、1週間もすれば書いた記憶も無くなって読めなくなりそうだ。

 パラパラとページをめくると試験概要や設備、立地、自宅からの通学時間、学校についての説明等が書き込まれていた。次のページを捲ると赤ペンで三重、四重にもなって“3.6”が丸で括ってあった。指定校推薦貰うには評定平均が3.6以上必要なのだ。化学を頑張らないときっと届かない。



「オーキャンの資料?」

「そうだよ」

「そっか、私はまだ何も決めてないんだ」



 ユウの瞳は羨ましそう揺れていた。瞳の中の私は、歪んだ顔で笑っている。何かを言いたそうに見つめている。彼女は自分の掌に視線を落として、ぐぐぐと両手を強く握った。私は逃げるように視線を落として大学の名前をなぞる。ページの端が手汗でよれてきてゴシゴシと手の甲で拭った。痛みが走る。定規で引いたような赤が一筋。それは肌の縁をなぞるように流れ、地面に丸を重ねて作った。

 まって、ちがうよ、私は夢に追われてるだけ。良いことなんてなにもない。地面から顔を上げて、自嘲気味に笑った彼女に目をやる。喉元まで来たこの言葉は自己嫌悪と共に飲みほした。自慢、自信。そう捉えて欲しくなかった。


 「私はどうしよっかな」くるりと線路に背を向けたユウに、将来の夢を聞く事は出来なかった。

 聞く資格なんて、これっぽっちも持ち合せていない。手持ちの紙がそれを証明するようにカラカラと笑った。向かいの電車が人を乗せて去っていく。



「ユウはこんな時間まで何してたの」



 彼女は顎に手を当てて考え込むと雑用? と曖昧な返答。こう答える時はいつもあの先生が関係している。



「もしかしてまた宇田先生のところじゃ……」

「ぴんぽーん! よく分かったね」



 宇田先生は、授業でも話が脱線すると有名な教師だ。冒険話に熱が入ると授業の半分がその雑談に埋め尽くされてしまう。話は面白いのになかなかどうして授業が進まないのが玉に瑕。でも放課後の今、その先生に捕まっていたのなら、数時間は付き合わされたに違いない。



「ユウ!! テスト前日ってちゃんと分かってる?」



 彼女は興奮して肩を掴んで揺らして問い詰める私をドードーと頭を撫でるとだって、と口を開いた。



「だってあのおじいちゃん、こんなにノート持って降りれないっていうから」

「場所指定したの先生じゃん」



 またいいように使われて、と態とらしく大きなため息をついて、やれやれと首を横に振る。優しすぎる。卒業したらすぐカモられそうだ。



「違います〜! 今回ちゃんと報酬は貰いました」

「報酬? まさか裏口入学ならぬ、裏口赤点回避?」

「違うから。ほら、口開けて」



 私が怪しそうに口を引きつらせていると、ユウは私の口に棒のついた何かを口に突っんだ。



「むぐ!?」

「ソーダ飴。2本貰ったから1つあげる」



 口から飴を引きずり出して、唾液が垂れないようにぺろりと舐める。



「そうやって甘やかすのやめてよね」

「やりたくてやってるの。甘やかしてるんじゃなくて、愛だよ」



 口の中の愛は青空と砂糖を煮つめた色をしていた。ソーダの味がかろうじてするものの、ちっともシュワシュワしない。



「近所の駄菓子屋さんで買ったんだって」

「昭和だねぇ」



 ユウは踵を鳴らして上機嫌に髪の毛を結んだ。出会った1年生の時はショートだった髪の毛も、いまでは鎖骨の辺りまで伸びて随分と女の子らしくなっている。


 瞬間、通勤快速がユウの背中を通り過ぎた。私は咄嗟に彼女の手を握ってこちらに引っ張る。ユウはバランスを崩してこちらによろけ私をじっと見つめた。私はそんなユウをお構い無しにグルグルと恐怖に駆られていた。どうして? 油断していた。何に対して? 自分の行動の意味もわからず、汗がダラダラと流れる。夏はまだなのに。



「どうしたの」

「電車、が通ったから」

「ちゃんと黄色い線の内側にいたでしょ?」



 「居た」その言葉が乾いた喉に張り付いて剥がれない。電車が通り過ぎる時にユウが目を細めたのは見間違いだったのだろうか。消えそうで、置いてかれそうで。



「どこにも行かないで」



 咄嗟にでたのはなんの脈絡も無い言葉で。彼女は私の手を握り返して、祈るように両手で包んだ。まつ毛がユウの瞳に影を落とす。



「それじゃあ一生、私と友達でいてくれる?」



 一生。それは鎖のような言葉。小学生の頃に「一生のお願い」を沢山使って親に怒られた記憶が蘇る。いつかみんなで飲みに行こうね、なんて言ったって、卒業後も連絡の取れる友人とは限らないのだ。嘘偽りの無い言葉でも実行できないと、待ってた方は裏切られた気持ちになる。この関係は脆いのだ。一生なんて先の分からない未来。喧嘩しても、引っ越しても、一生仲がいいなんて無理な話だ。



「約束する」



 それは、約束と相まってゆるりと私の首を絞めた。

 私の答えは正しかったのか分からない。嘘をついてしまったのかもしれない。人間関係に正しさを求めるのは間違っている。頭では理解していても行動に移すときはいつだって正解を探してしまう。



「電車来たね」



 すっかり日が落ち、夜風が構内に吹き込んでスカートを揺らした。


 彼女は思い付いたようにスマホを取り出してこちらに向けてシャッター音を鳴らした。私は慌ててユウのスマホを覗き込むが、カメラのアプリは既に閉じられ、ホーム画面にはびよーんと片頬を伸ばされた私がいた。写真の私は画面に引き込みそうな恨めしい視線をこちらに向けている。どうしてこんな写真にしたのだろう。



「私さっきどんな顔してた?」

「内緒」



 悪戯に笑った彼女を深く問いかけず、次会った時にどうやってカメラロール見せてもらおうか考えることで頭がいっぱいになった。黒猫を見せてもらおうか、テスト範囲を見せてもらおうか。明日は何しようか。そうだ、化学を教えてもらおう。

 私は握ったまんまのユウの手を引きかけて、立ち止まった。



「乗らないの?」



 寄ってく所あるから、と伏し目がちに彼女は微笑んだ。



「もしかして私と会話するためだけに改札入ったってこと?」

「そういうこと」



 嬉しいような申し訳ないような色んな感情が混ざって飴を咥えた。



「またね。大好きだよ」



 次の日、約束が守られることはなかった。彼女と会えなくなるなんて、思っていなかった。次の日もユウと私は変わらず友達で、登校すると机に駆け寄ってきてくれる。その小ぶりな手で私のほっぺを包むと、毎朝幸せそうに頬を緩ませておはよう、と言ってくれた。昨日の私も一昨日の私も、今日の私も、いかにそれが大切なひとときで二度と来ないものだと分かっていたのに。


 私はただ、彼女の甘ったるく優しい言葉に頷くと甘い愛を取り出して「バイバイ」と口にした。




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