SSS 100「魂のショートショート百本勝負」

@ss100

#1 蚊

なぜあんなにも矮小なくせに、傲慢な生き物が生きているのだろう。

初めはただの疑問だった。

お前らの親になどなった覚えはないのに当然の権利の様に脛を齧るあの生き物が、

それだけでは飽き足らずに他人に痒みという不快感をまき散らすあの生き物が、

更には疫病を拡げて回る死の商人の様な屑のあの生き物が、

全人類が辛苦や悲哀と向き合っているこの世の中で、

他人の痛み、いや痒みを知らずにのうのうと生きているのが、

産まれたときから今日に至るまで一切理解できなかったし、許せなかった。


やつらによって僕の心に灯された憎しみの炎は一切衰えることはなく、

決して消えない奴らを燃やし尽くすための業火に育っていった。


心が、業火がこう叫んでいる。

「奴らをこの世から一匹残らず抹殺する。」

心を決めた僕は奴らのことを知るために奴らの解剖を始めた。

みんながお遊戯会の練習をしている間にも奴らの手足を捥ぎ、

みんなが給食の余った揚げパンを争っている間に奴らの口を捌き、

みんなが蛙の解剖をしている間に奴らの羽を薙いでいた。

そして、高校三年の夏休み、奴らの遺伝子情報を知るために一念発起した。

今までためていた貯金を全て崩し、親の車を売り、臓器をほんのり売り、

高性能なPCとDNAの分析用の機器をそろえた。

夏が終わるころには既に奴らのゲノム解析が完了していた。

しかし夏休みは終わり学校が始まり、周りを見ると、みな部活や夢の為に努力をして立派に成長していた。


それを見ると、今まで心で燃え盛っていた業火が線香花火のようにはじけた様な気持ちになり、今更、夏が、青春が終わったことを実感した。


人が自分の輝かしい未来の為に努力する様の美しさを、違う考えを必死に合わせて一つの目標に向かって突き進む姿の尊さを横目に俺はただ蚊をむしっていた。

この残酷な事実に加えて、親の車を売ってしまった罪悪感と、肝臓を売ってしまったので酒にすがることもできないという三重苦が、

俺の消えてしまった炎を虚無の深海に沈める。

今からでも奴らのことはすべて忘れて、人並みに夢を追いかけ、

自分という存在を周りに認めてもらえる道を進んだ方が良いのだろうか。

周りが眩しくて顔をあげられないので、頭を伏せながらそんなことを考えていた。

もう二度と追いかける事のできない夢を、もう二度と作ることのできない人間関係を思い浮かべ、数分はそのままじっとしていただろうか。

すると、トントンと背中を叩かれた。

「君さ、グランドの隅で暑い中ずっと蚊を退治してくれてただろう。」

「有難かったんだけど、」

「なぜ君はそこまでして蚊を殺すんだい?」


何故やつらを殺すのか?

そんなの物心がついた頃からわかりきっている。

あいつらは自分一人で生きれないし生きようともしない。

人の心が分からないし分かろうともしないのに、

自分がその種だからという理由で簡単に人を傷つけ、

疫病を運ぶ。

だから、

「蚊を一匹残らず抹殺することによってみんなの青春や、夢を、守る。」

それが僕の、僕にしかできない夢だ。

周りに認められなくてもいい、蚊が、この世からいなくなればそれでいい。


その瞬間、虚無の深海で消えかかっていた業火は僕の心を照らす太陽になった。

僕の中の太陽が自分に言い聞かせるように誓う。

「蚊を、殺す。」

そう誓うと、まだ授業が二つ残っている学校を後にして、急いで家路についた。

家につくと真っ先に全裸になり、蚊を待つ。

数分と待たずに蚊は腕につき、血を吸い始めた。

今までの十二年間の蚊に対する殺意を腕に込めて渾身の力で力み、蚊を逃がさない。

そして装置に装着されているビーカーに蚊をセットする。

装置自体は今朝完成していた。

遺伝子の解析によって製造することに成功した生物兵器である。

ゲノム解析によって細胞のクローンを作ることに成功した。これにより解析した DNAからアンチDNAを発見し、それを量産し散布することが出来る。

アンチDNAは元のDNAを破壊し、そこから自分を増殖し、増殖しきると爆発して自身を周りに飛ばし、これを繰り返す。つまり地球上から元のDNAがなくなるまで増殖し続けるのだ。

アンチDNAの発見には蚊が病気を運ぶ特性を用いている。

あの蚊をむしるだけの日々が無駄ではなかったと思うと涙が出そうになる。

あとはこのスイッチを押すだけでこの世からすべての蚊が抹殺される。


「やっと夢が叶う、みんなにも認めてもらえる!」


この十七年間におめでとう。

蚊、僕の十七年間の原動力でいてくれてありがとう。

そして、さようなら。


スイッチは押された。

ビーカーの中のDNAの解析が終わり、

蚊と、蚊の腹の中にあった人間の血のアンチDNAが散布され、


500万年にもおよぶ人類史は幕を下ろした。

蚊が死んだかどうか、観測する者はいない。


彼に必要だったのは蚊をむしる事じゃなく、

人間の血はDNAの塊だという義務教育だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

SSS 100「魂のショートショート百本勝負」 @ss100

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ