セミファイナル

きさらぎみやび

セミファイナル

 蝉が苦手なのだ。


 別にね、遠くでミンミン鳴いている分にはいいのよ。夏だし。風情があるし。ただこの時期、良くマンションの廊下とかで死にかけている蝉(通称セミファイナル)いるでしょ。あれがどうにも頂けない。

 ぱっと見、死んでいるのか生きているのか分からないし、生きている場合いきなりこっちに向かって飛んでくるかもしれないじゃない。

 というような話を彼氏にしたところ、このようなお答えが返ってきた。


「一応見分け方はあるみたいだけどね」

「そうなの?」

「足を閉じていると死んでいて、開いていると生きているみたいだよ、今度見てみたら?」


 そう提案されたものの、私は頭を振ってため息をつく。


「無理。落ちている蝉を直視できないもの」

「そこは頑張ろうよ」


 彼氏が励ましてくれるが、私はかたくなに否定する。


「無理だって。せいぜい走って通り抜けるのが精いっぱい」

「生きてる場合はなるべくゆっくり動いた方がいいらしいけどね、早く動くと寄って来るらしいよ」


 えー、と私は不満を表明する。いったいどうしろというのだ。


「そもそもなんでわざわざマンションの外廊下とかに落ちているのかしら。別に森の中とかでいいじゃない」


 雉も鳴かずば撃たれまいというやつだ。ちょっと違うか。


「そこはよく分からないけど、光に寄って来るからじゃない?最近はLED電球が普及してきたから減ってきているかもね」

「それでも毎夏いるのよねー……」

「木と違ってマンションの壁や扉だと捕まるところが無いからってのもあるかもね。そもそも森の中にはもっと沢山死んでいるのでは?」

「うう、想像したくないわ……。そもそも風物詩と言っても蝉って結構喧しいし、ヒグラシくらいに物悲しく鳴いてくれればいいのに……」

「え?」


 私の発言に彼氏が驚いた顔でこちらを見て来る。いったいどうしたというのだろうか。私も思わず彼を見つめ返す。

 無言で見つめあう二人。ロマンスの一つも生まれそうな勢いである。

 残念ながら彼氏がこちらを見つめる瞳には愛(アモーレ)を全く感じられず、どちらかというと『大丈夫か、こいつ』という不信感が感じられた。


「……もしかして、私変な事言った?」


 確かめたくもなかったけれど、このまま見つめ合っていても仕方ないと判断し、おそるおそる聞いてみたところ、返ってきたのはこのような答えだった。


「あの、ヒグラシは、蝉だよ?」

「え、嘘。あれって蝉なの?」


 私がそう言うと、彼は呆気に取られた顔でこっちを見た。いよいよもって『大丈夫か、こいつ』視線が肌に刺さってくる。


「そうだよ。なんだと思ってたのさ」

「……なんか鈴虫の仲間か何かかと。そーかー、あれも蝉だったのかー。それならちょっと考えてやってもいいかもなー」


 彼氏の視線を振り切るようにして私は腕を組んで偉そうにうんうんと頷くのだった。



 それ以来、私は死にかけの蝉(通称セミファイナル)を見かけると、とりあえず足が開いているか閉じているかを確かめる様になった。

 思い込みとは不思議なもので、あの物悲しい響きを奏でているのがこいつかもしれないと思うと、廊下にぽとりと落ちている姿もなんだか哀愁を漂わせているように見えてきて、多少は観察できるようになったのだ。

 彼らの最期の眠りに落ちる瞬間を妨げないように、そっと足音を忍ばせて傍らを通り抜けることもできようになった。

 私はセミファイナルを克服したのだ。


 ただしテレビのニュースとかで「本日も猛暑日でした」という話のツカミ部分で何の前触れもなくカットインされる『木に張り付いて鳴いている蝉のアップ』だけはまだ慣れないでいる。


 あれどうにかしてくんないかな、と思いつつ私はそうめんを啜りながら夜のニュースを見つめるのだった。

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