七色アーチの上で
浅雪 ささめ
七色アーチの上で
「ねえ先輩。虹の上を歩けるって知ってますか?」
と、茶髪の可愛い後輩(自称)が部活終わりの帰り道に、またそんなトンデモ話を持ち込んできた。
「は? とうとう暑さに頭がやられたか」
もうすぐ日が沈みそうだがまだまだ暑いし、部室はクーラーもなかったからな。こいつの頭がやられていてもおかしくはない。
「違いますって! 本当に本当なんです!」
「お前なあ。今まで自分が何言ってたか覚えてるのか?」
「えーと、『トカゲが成長したらドラゴンになる』とか『一日一回ラジオから謎の脅迫が聞こえてくる』とかですね」
後輩は、耳元の髪をくるくるいじりながら答える。
「そうだ。それに毎回付き合わされる俺の身にもなってくれって」
「でも先輩。トカゲを育てるときも、ラジオを一日中聞いてるときも、楽しそうだったじゃないですか」
それはお前がいたからだ、などとは口が裂けても言えない。俺一人だったら絶対やってないし。
「まあ、いいですけどね。先輩がやらないなら私一人でやりますから」
いや、こいつ一人にやらせるわけには、って何だかんだ構っちゃうんだよな。
「一応確認するが、『にじ』って雨の後の虹だよな」
「お、やる気になったんですか? うれしいですね。そうですよ。午前午後の二時なわけないじゃないですか。そんなところ登れませんよ」
「いや、虹の上も普通は登れないけどな」
「だから、そんなことないですって」
「まあ、いいか。この後どうせ暇だし。そんなに言うなら付き合ってやるよ」
「え? 先輩、私とお付き合いしたいって言いました? それは気が早すぎますよ」
「気が早いのはおまえの方だ。やっぱり頭のネジ、錆びてるんじゃないのか?」
冗談ですってー、と返す後輩の頭をコツンと一つ叩き、こいつの狂った間違いを訂正する。
「付き合うって言ったのは虹に登る方だ」
「分かってますって。まあ、私としてはどっちでもいいんですけどね」
後半の方、小声で言っても聞こえてるぞ。
「で、どうすれば虹の上を歩けるって?」
よくぞ聞いてくれましたとばかりに、
「これです!」
と言って後輩が鞄から取り出したのは水色の長靴と、どこにでもいるアマガエルだった。いや、都会にはいないのか? と、今はそんなことはどうでも良い。
「これは、長靴と……カエルか?」
長靴はともかく、なんでカエルが鞄の中にいるんだ?
まあ、こいつのことだから聞いてもどうせ、この前拾って友達になりましたって言いそうだから、敢えて何も言わないでおく。
ツッコんでもらえなかったのが不満なのか、後輩は唇を少し尖らせて言う。
「はい。虹は雨の後くらいにしか見えないのは分かりますよね?」
「馬鹿にするなよ。それぐらい知ってて当然だ。それに、虹なら花の水やりでも作れるぞ」
「ダメですねー。それじゃ、ロマンがないじゃないですか。先輩、つまらない男って言われません?」
「余計なお世話だ。話を戻せ」
話を曲げかけたのは俺の方だが、そんなことは棚に上げておく。
「はいはい。『カエルが鳴くと雨が降る』って言葉があるじゃないですか。なので、降らせるために連れてきたのです」
それと、と後輩は繋げる。
「長靴は気分です」
「気分っておい」
長靴を履いていいのは小学生か猫くらいしかいないだろ。
「お前が履いたら、まあ精神年齢的に似合わなくはないだろうけれど、やめとけ」
「えー、なんでです?」
「俺まで変な目で見られるからだ。お前と違って俺は一般人だからな」
「別に良いじゃないですか、それくらい。先輩も、もう十分変な人でしょ?」
うーん、そんなことないと願いたいけど、そう思うとだんだん不安になってきた。
「はあ、まあいいや。だが、履くのはお前だけだからな」
「分かりましたって。それじゃあまずは……」
そう言うと後輩は、道路にカエルを置いた。
「鳴かぬなら鳴くまで待とうアマガエル」
思いっきりツッコミたいのに、ツッコミ方が分からない。取り敢えず頭をぺしっと叩いておく。
「ちょ、何するんですか、先輩!」
「別にいいだろ」
頭をさすりながら後輩は俺に言う。
「そうだ先輩。夜まで鳴かなかったら泊めてください」
「いや、自分ちに帰れよ」
「え? 先輩が私の家来るんですか? それもいいですね」
「そうじゃねえよ」
「だって、鳴いた事を報告しに行くの面倒じゃないですか」
「そんなことしなくても雨が降ったら集合にすればいいだろ」
「おー、先輩は天才ですね」
「お前がアホなだけだ」
そんなやりとりを続けていると、カエルがぴょんと跳ねて鳴き始めた。
クワクワクワクワクワクワクワ……
「こいつは大合唱じゃなくてもうるさいんだな」
空は既に雨雲が覆っている。いつ降ってもおかしくはなさそうだ。
「そういや俺、傘ないんだけど」
「大丈夫です。私が折り畳み持ってます」
「ならいいか」
ポツポツと雨が降ってくると、カエルの鳴き声も嬉しそうに聞こえてくる。
「お、降ってきたな……って止まないといけないのか」
「いえ、端っこまで走りましょう! すぐそこですよ!」
と、一人で走って行ってしまった。おい、お前は傘あるからいいけど、俺はずぶ濡れになるんだが。それに、近いわけないだろ。そう見えるだけだ。
「別に良いだろ。通り雨っぽいし、これくらいすぐに止む」
「それもそうですね」
後輩が走り寄ってくる。バシャバシャと水しぶきを立てながら。
長靴履いててよかったな。
後輩がフリルの付いたお姫様みたいな傘を広げながら、俺の隣まで来るとパッと雨が止んだ。
「えー、先輩と相合い傘したかったなー」
傘一個しかないのかよ。てっきり二つあるものだと思ってたが、まあ、普通はそうだよな。
雲もすぐに過ぎ去り、太陽が眩しい。
「ねえ、先輩」
「なんだ、後輩」
「虹ってどっち方向に見えますか?」
「確か、自分の影が見える方向だった気が」
と、言いながら振り向くと、そこには色鮮やかな巨大なアーチが街に架かっていた。
「きれいですね」
「ああ。そうだな。で、どうやってあそこまで行くんだ?」
「歩いて、と言いたいところですが、いつまで見られるかも分からないので」
屈伸運動をしながら後輩は続ける。
「ジャンプします」
「アホかお前は。いや正真正銘のアホだな。アホだお前は」
ジャンプって、子供でもしないぞ。
「あ、もちろん跳ねるジャンプですよ」
「漫画じゃないことくらい分かるわ」
ですよね、と笑いながら、後輩はストレッチを続ける。本当に飛ぶ気か、こいつ。
「じゃあ、行きますよ。手を取ってください」
「ほいよ。もう何でも良いわ。この前までも、結局トカゲはドラゴンになったし、脅迫もラジオから聞こえたしな。今回もいけるだろ」
俺がため息交じりにそう言うと、ニッと笑って
「じゃあ、行きますよー! しっかり捕まってくださいね」
俺は初めて、空を飛んだ。
1、2の3と後輩とあわせて飛ぶと、トビウオの如く高く跳ね上がり、思わず目をつむってしまった。
もういいですよ、という後輩の声を聞き、恐る恐る目を開けると、俺は確かに虹の上に立っていた。
街が小さく見える。かなり高いな。スカイツリーより高そうだ。スカイツリーに登ったことはないが、きっとそうだ。
そして、一つ気になっていたことを聞いてみた。
「どうして虹になんて登りたかったんだ?」
えーと、と頬を書きながら答えてくれる。
「それはですね。その、ここからなら先輩に告白しても良いかなって。先輩が受け入れてくれるんじゃないかなって思ったんです」
「告白って、」
「もちろん、愛のですよ」
と、何の恥ずかしげもなくいう後輩が、って耳真っ赤じゃねえか。
はにかむ後輩の唇に人差し指を当てる。
「そうだな。俺で良いなら、これからも付き合ってやるよ」
「それはオーケーってことで、いいんですか?」
「そうだよ。はっきり言わせんな。恥ずかしいだろ」
虹の上で二人、唇を重ねた。
そして、我に返って不安になった。早く帰らないと虹が消えてしまう。
「帰りも飛ぶのか?」
そう聞くと、後輩は親指を差し出してきた。まあ、そんな気はしてたけどね。
俺と後輩。二人で手をつないで、薄明の底へと飛び込んだ。
七色アーチの上で 浅雪 ささめ @knife
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