会心の一撃

クレット=タース

 

 コルバは両手で握った重厚な斧を振り回し、目前に迫る岩の巨人を薙ぎ払った。

刃と岩が激突して、赤い火花が散る。

岩の巨人は衝撃をうけて姿勢を崩すと、そのまま背中からゆっくり大理石の床へ倒れた。

刃を受けた巨人の脇腹に亀裂が入り、欠けた岩が舞うと同時に、低く重い音が神殿の広間へ響き渡る。

それは、どこか鐘の音にも似ていた。


「これでゴーレム共は全て倒したぞ」

「後は魔王ただ一人、だな。……いけるか?」


肩で息をしているコルバに、黒い外套をまとった細面な男が話し掛ける。

コルバと同じパーティーを組んでいる、魔法使いのザナクだ。


最初は5人だったコルバ達のパーティーは、伝説の魔王が住むと言われる神殿へ向かったものの、何度も襲い来る魔物達と闘っているうちに離れ離れになってしまった。

そして今、神殿のガーディアンであるゴーレムを倒し、魔王が待つ玉座の間の入り口へ辿り着いたのは、戦士と魔法使いのたった2人だけ。

しかしそんな絶望的な状況であってもコルバは笑顔で言い放った。


「楽勝さ」


手にはドワーフから授かった、屈強なコルバの肩幅ほどもある厚刃の戦斧。

胸にはエルフの祈りが込められた、鋼より硬く羽より軽い魔法の鎧。

数々の旅を経て得た、様々な人の想いが、魂の力と声になって叫んでいる。


――我らの力をもって、お前が魔王を打ち倒せ。


だからコルバは笑っていた。自分の運命が敗北を許さないという確信と共に。

ザナクもコルバの心意気を感じたのか、普段は見せない柔らかな笑みを浮かべる。


「ならば、行こう。世界に平和をもたらさんがために」

「応」


お互いに自らの武器を掲げて勝利を誓った。

斧と杖が交差し、しばしの後に主の手へと戻る。


そして目前の扉が開かれた。



―――――――――――――――――――



「ガハッ――!」


 凄まじい爆圧を受けたコルバの体は、吹き飛ばされ壁に叩きつけられた。

たいまつに照らされた薄暗い室内は、たった今放たれた爆発魔法のせいで焦げた臭いと黒い煙が充満している。


「コルバ!」


自らも傷を負いながら、ザナクはコルバの元へと駆け寄り、すぐさま回復呪文を唱える。

ザナクが指先で触れた傷口が淡い光に包まれると、それらはたちどころに治っていった。

しかし魔法の使いすぎでザナクの精神疲労は限界に近く、もはや足元がおぼつかなくなっている。


そんな2人を、部屋の中央に佇んでいる男は何故か哀しげに見下ろしていた。


ザナクの着るローブよりも濃い黒、まるで夜の帳が下りているかのような外套をまとい、6フィートはあろう背丈に青白い肌を持つ男。

人が魔王と呼ぶその存在は、ザナク達の知るいにしえの伝承とは少し違う印象だった。


「もう止めないか? お前達2人だけでは私を倒せないんだ」


皺枯れた声で話す魔王の言葉には、どこか諦めるような響きが含まれている。


「5人ならばまだ良かった。だが、2人だけでは話にならんのだよ……」


心の底から残念そうに魔王がつぶやく。

しかしこの言葉に、壁に打ち付けた背中の痛みを堪えつつコルバが立ち上がった。

力強く斧を握り締め、瞳に闘志を浮かべている。


「ふざけるな……。俺達じゃ足元にも及ばないとでも言いたいのか」


「そうではないが、言った所で判るまい」


遠くを見るような目でコルバを見つめる魔王は、なぜか酷く哀しそうな顔をしていた。

しかしそれに気付く事なく、コルバは斧の柄を握る力を強めると一気に魔王めがけて駆け出した。


「無茶だ、止めろ!」


魔力切れで意識が朦朧とする中、ザナクは猪突猛進するコルバを止めようと叫ぶ。

戦術のかけらもない突撃。

その先に死があるのは火を見るよりも明らかだった。


対する魔王は右手を前に突き出し、先ほどと同じ爆発の魔法を唱え始めた。

魔法は威力と規模に応じて詠唱が長くなるものだ。

しかし魔法使いのザナクですら聞いた事も無いほどの速度で呪文が紡がれていき、現れた火の玉が魔王の手の平で踊り出す。


「うおぉぉぉぉっ」


コルバが吼えた。

室内を駆け抜けながら、斧を構えて攻撃態勢を取る。

走るたびに装備の金具が擦れてガチャガチャと音を鳴らす。

壁にかかるたいまつの光がコルバの顔を照らすごとに、互いの距離がどんどん縮まっていく。


そしてついに、あと7歩のところまで迫った時。


「お別れだ」


詠唱を終えた魔王が手の平の火球を前方へ投げつけた。

蠢く炎の塊は主から放たれると、巨大化して、一直線にコルバへと向かって飛んでいく。

刹那、耳をつんざく轟音と共に巨大な爆発が巻き起こった。

爆風が煙を舞い上げ、室内が薄いもやに包まれる。


「コルバ……」


わずかに煙を吸って咳き込みながら、ザナクはコルバの姿が見えないかと必死にもやの中を覗き込んだ。


だが、あの爆発が直撃したならば、もはや生きてはいまい。

もしコルバが死んだならば、残された自分だけで魔王を倒す事はおろか、生き残れもしないだろう。


不安が襲い来る中で半ばすがるようにコルバを探すザナク。

すると、徐々にもやが晴れてきて、一つの人影が見え始めた。


「コルバ!」


思わず叫ぶザナクに、影が応える。


「残念だがそれは私だ」


完全に視界が開けたとき、ザナクの目に映ったのは今までと変わらない場所に立つ魔王の姿と、そのやや手前の空間に残された爆発の傷跡だった。


爆発痕は大理石の床や壁、天井までも黒くスス焦げていて、側に立っていた白い柱の彫刻などは衝撃で砕け散っていた。

そして何より爆発の中心だっただろう場所の床に、コルバの斧が突き刺さっている。

一瞬ザナクには、それが墓標のように見えてしまった。


「やはり運命は変わらなかったか」


勝ち誇るわけでもなく、哀れむこともなく、ただただこの結末が悲しい。

魔王の表情は、そう物語っているようだった。


だが次の瞬間。


「変わらないさ。俺達の勝利こそが運命だからな」


コルバの声が魔王の背後から流れた。

急ぎ振り返った魔王は、そこに短剣を構えたコルバの姿を捉えて狼狽する。

そのひるんだ隙に、コルバは全力で魔王へ突進して、手に持った銀製の短剣を魔王の胸へ突き立てた。

神官が幾年月も洗礼を施し、王から託された破邪の短剣。

それが急所に刺さり、声にならないうめきが魔王の口からこぼれる。


「う……な、ぜ……」


火球がぶつかる直前、コルバは重い斧を床へ叩きつけ、その反動を逃さずに跳んだ。

そして火球をわずかに飛び越えた所で爆発の衝撃を受けて、コルバは魔王の頭上を越えて、背後へ吹き飛ばされたのだ。


「ザナク、魔法だっ!」


コルバが生きていたことに呆然としていたザナクは、本人の怒鳴り声でハッとした。

すぐさま杖を構えて、残る気力のすべてを振り絞り攻撃魔法の呪文を唱え始める。


「お前達は……知っているか……」


急所を突かれた魔王は、もはや助からないことを感じ取り、胸元で剣を突き立てているコルバへ、最後の言葉を語り出した。

口からは一筋の青い血が流れている。


「“神はさいを振らない”。古代文明の賢者が、残した言葉だ……」


魔王が何を言おうとしているのか計りかねず、コルバは怪訝な顔をした。


「だが賢者は間違っていた。この世界では神々の振る賽の目で、運命は決定されるのだよ……」


「何を――」


「お前達が勝てるはずがない。私を生み出した魔物の神はそう思っていた。だがお前達の神が振る賽の目は、お前達に奇跡を与えたのだ」


偶然。運がよかった。

運命などもとより無く、全ては、たまたまそうなっただけの事。

神は運命の決定権など持っていない。


生きるも死ぬも、神が遊ぶただの博打――


「違う! 神は、運命は……」


「貴様はよもや、こんなに上手く行くとは思ってもみなかっただろう。もし少しでも爆発に巻き込まれていれば? 私が気づいていれば? 防御魔法をあらかじめ仕込んでいたらどうだ?」


くくくっ、と魔王は血に濡れた口端を吊り上げて笑った。


「そうだ。これこそが“会心の一撃クリティカル”と呼ばれる都合のいい奇跡なのさ……」


言い終わると同時に、ザナクの放った魔法の火炎が魔王の体を包み込んだ。

コルバは数歩後ずさりして、燃える魔王をじっと見つめる。

炎が照らし出す中、瞳に映った魔王の顔は、どこか遊び終わった子供のようだった。



―――――――――――――――――――



 精も根も尽き果てて、コルバとザナクは互いに肩を抱き合い支えながら出口の扉へと歩いていった。


「これで世界は救われたんだな」


ザナクは、ひどく疲れた顔で微笑みながら言った。

彼は詠唱に集中していたために魔王の最後の言葉を聞いてはいなかった。

一方のコルバは、心に言い知れぬしこりができていて、言葉を返すことなくただ黙っていた。

最後にふと、コルバは扉の前で振り返り、もはや灰となった魔王の姿を見る。

わずかに燃え残っている外套の切れ端がはためいている。


――カラン、コロン


その時、不意に遠くで何かが転がる音がした。

ハッとしたコルバは、思わず足を止めて辺りを見回すが、変わったところは何も無い。


「どうした?」


急に立ち止まったコルバを見て、ザナクは不思議そうに尋ねた。


「……いや、なんでもない」


かくて2人は玉座の間を後にして、扉は閉ざされた。



部屋の中で笑い合う神々の声を聞く者は、もう誰もいない。

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