この夏は蟬がいなかった

やまもン

ミーンミンミンミンミー

 近所のコンビニにアイスを買いに行くことにした。

 サンダルを引っかけ、半袖短パンのラフな格好でAirPodsを耳へ持っていく。

 スマホを操作してお気に入りのプレイリストが流れ出したのを確認した私は玄関のドアを開き、真夏の太陽の下に飛び出した。


 『〜♪』


 ジリジリと焦げ付くアスファルトの上を、サンサンと燃える日差しの下を、私は軽々と歩く。

 暑い。確かに暑いし熱いのだが、歌い手の涼しい声を耳に直接流し込んでいるおかげか、不思議と足取りが軽いのだ。


ウィーン

「いらっしゃいませー」


 早々に目当てのコンビニにたどり着いた私はアイスコーナーに直行しようとして、ふと思い直し、雑誌コーナーに向かった。

 店内はエアコンが良く効いていた。


パラ……パラ……


 5分ほど漫画を立ち読みしていると、二人組の女子高生がやってきて、隣のファッション雑誌を手に取った。


 「キャー!みてみて、これ!今月のケント様ー!」

 「キャー!カッコイイーー!」


 黄色い声がAirPodsを通り越して鼓膜を突き破った。

 私はムッとして音量を上げたが、なんだか馬鹿馬鹿しくなったので雑誌を元の場所に戻した。


「ありがとうございましたー!」


 目的のアイスを入れたビニール袋をガサガサとぶら下げながら、私は舌打ちした。

 余計な三円を払わされたから、というのもあるが、それ以上に日差しが強かったのだ。このままでは家に帰る前にアイスが溶けてしまう。

 ふと帰り道に公園があったことを思い出し、そこのベンチで食べることにした。


 ドサッと目的のベンチに腰を落とし、アイスのパッケージを開く。ガリ●リ君だ。

 ガブリと噛みつき、シャリシャリと舌の上で溶かす。

 口の中の咀嚼音やキーンとくる頭の痛みに音楽どころではなくなってしまった。


 私は木製のベンチの上でしばらくギシギシ、バタバタと悶絶していたが、急に友達と話したくなって電話をかけた。


 『はい、もしもし!!!』

 『もしもし!私だよ私!』

 『ああ、お前か!!!久しぶり!!』

 『え?なんて?悪いなんか五月蝿くて聞こえない!』

 『ちょっと待ってて!!!!』


 しばらくドタバタという音が聞こえていたが、バタンという音を最後に電話の向こうから聞こえていた騒音がグッと静かになった。


 『悪い悪い!今アメリカにいてさ、運が悪いことに周期セミの羽化に遭遇しちゃったんだよ!』

 『周期セミ?ふーん?』

 『さっきまでうるさかっただろ?あれ全部セミの鳴き声なんだぜ?』

 『……は?』

 『いや、信じられないのも分かる。俺も初めは驚いたよ。でも本当なんだ!町のどこ行ってもあんな感じさ!参っちゃうよ!』


 俄かには信じがたい話だったが、私は信じた。


 『大変だなぁ、アメリカは』

 『そうなんだよ!全くセミがこんなにこんなに五月蝿いなんて知らなかった。セミのお見合い会場に迷い込んだ人間の気分だ』

 『それはアメリカだけでしょ。今年の日本はセミの音なんか一回も聞いてないよ』

 『……は?何言ってんだよお前、さっきからお前の後ろでずっとセミの声が聞こえるぞ?』

 『……は?無音だけど?何の音もしないけど?』

 『……え?何、俺セミの声聞きすぎて耳やられたんかな?』

 『そうなんじゃないの?ハハハ!』

 『いや、やっぱ聞こえるって!ほら!』


 ついに友達は私との電話を録音して送ってきた。

 聞いてみると確かにセミの音が聞こえた。

 友人にだけ聞こえるセミの音。私は怖くなって電話を切った。




 無音になった。




 青空を割る飛行機雲。風に揺れる頭上の枝葉。公園の外を歩く親子。


 どれも視界に入っている。否、入っていた。なのに、何の音もしなかった。



 音だけが、ない。



 震える手でスマホを取り出そうとして、失敗した。スマホはベンチの下に逃げ込んだ。

 なんでもいいから音が欲しくて、アイスの棒を噛もうとして、失敗した。アイスの棒はベンチの隙間から落ちた。


 転がるようにベンチから落ちて、助けを求めて手を差し伸べた先で、私は目が合った。


 蟬と。


 ベンチの下に転がった蟬と。


 その黒々とした二つの複眼と。



 「ひいいぃぃい!」


 動転して転んだ拍子にAirPodsが耳から抜けた。


 公園には蟬の声が五月蝿いほど満ちていた。

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この夏は蟬がいなかった やまもン @niayamamonn

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