その二

 相変わらず泰は冷淡で硬い表情を崩さず、そっぽを向いている。

 由美はそんな彼の態度を気にしながら、訳を話し始めた。


 早川泰の両親は、彼が15歳、高校一年生の時に離婚した。

 当時母親・・・・美奈子という名前だという・・・・は39歳。

 父親の陽介は45歳だった。


 離婚の原因は・・・・美奈子の不倫だった。


 不倫相手は泰が中学生の頃から通っていた近所の学習塾で講師をしていた、当時22歳の某国立大学の大学院生だったという。

 父親の陽介は自動車会社の工場で技師をしていた。生真面目で物堅く、無口で朴訥という、典型的な職人肌の男だった。


 美奈子とその男の不倫がどういうきっかけで、いつ始まったのか分からない。ただいつの間にか二人の関係は抜き差しならぬものになっており、泰が高校に入った年になるまで続いたというのだから、凡そ四年間は続いていた計算になる。

 だが、不倫などというものは、テレビドラマや漫画など、創作の世界と違い、いつかは露見するものだ。

 おまけにそれほど美しいものではない。

 いつしか夫に知れた。

 陽介は寛容な人間だったから、格別妻をとがめ立てるようなことはしなかったが、母はある日父に、

”離婚してください”といって、離婚届を置き、家から出て行った。


 父は黙って印鑑と署名をし、そして離婚が成立した。

何故だか知らないが、父親は慰謝料の請求もしなかった。

いわゆる泰の親権の問題についても揉めることはなかった。

母親が放棄をしたために、泰は父と二人暮らし、つまりは、

”父子家庭”になったわけだ。


 父親は仕事熱心だったせいか、家に帰ってくることも少なく、そのため泰が学校から帰宅しても、誰もいないことの方が多かった。

 

 彼はたった一人で勉強をし、そして本を読み、料理を作って食べた。


 元々内向的な性格だったが、親の離婚の事があって、ますますそれに拍車がかかり、友達もおらず、日中の大半を家の中で過ごした。


 ただ、勉強だけは良く出来、成績も良かったので、教師から”東大だって狙える”と、太鼓判を押されるほどだったという。


 父が亡くなったのは、彼が高校三年に上がったばかりの頃だった。

 勤めていた工場での事故だった。


 彼は完全な一人ぼっちになった。

 たった一度だけ、”彼女”に会ったことがある。

 家を出るときに残していったメモにあった住所を密かに訪ねたのだ。

 確かに彼女はいたが、そこで見たのは、もう母の顔ではなかった。

 全く別の女、別の男の”妻”となった女だった。

 彼女のことを頭から消し去ろうと必死になった。

”もう自分には親はいない。自分一人の力で生きて行かねばならない”そう誓ったという。

 彼は全日制の大学進学を諦め、父の会社に見習工として勤めながら、工業系の私立大学の二部に進学、昼は働き、夜は大学に通うという生活を続けた。

 無口で真面目な性格は、ここでも変わらず、大学内でも友達を作ることをしなかった。

 四年経って大学を卒業した後、父の友人だった人の紹介で、今のコンピューターメーカーに就職し、現在に至るという訳である。


 菅沼由美と知り合ったのは、社会人になってからのことで、友達に”頭数が足らないから出てくれないか”と誘われて出た合コンだったという。


 たまたま隣同士の席に座ったのがきっかけだったが、どちらも内気な性格だったが、何となく気が合い、その後二人でデートを重ねるうちに、三年の交際期間を経て、婚約と言う運びとなった。


 彼女の両親も早川の無口だが真面目な性格を認めてくれ、結婚することに特に反対はしなかったものの、

”お母さんが生きておられるなら、結婚式には出席して貰えまいか?片方の家だけで披露宴というのはどうも”と言ったのだ。

 

 当然彼は渋った。

 自分と父を棄てて家を出て行った女(彼はもう母と呼ぶ気はないと思っているらしい)に、今更結婚式に出て欲しいとは思わない。


 しかし彼女の父親が”どうしてもそうしてくれ”と譲らない。


 彼女も”お母さんだって、何か事情があったのよ。一度くらいは逢っておくべきだわ”と、何度も説得した。


 そこで由美は半ば強引に、彼を連れて俺の事務所オフィスにやってきたという訳だ。

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