憎悪と思慕の狭間で(にくしみとおもいのはざまで)

冷門 風之助 

その一

 俺は腕を組み、小一時間もだんまりを続けている。

 いや、正確には、

”俺達は”というべきだろう。

 この事務所オフィス、即ち我が砦である、『乾宗十郎探偵事務所』に今回の依頼人が来てから、だれもまだ言葉を発しようとはしない。


 各々の前に置かれたコーヒーカップは、すっかり湯気を立てるのを止めてしまっている。

 俺は一本目のシナモンスティックをかじりつくし、二本目をつまんで口の端で咥えた。

 目の前のソファに座っているカップル・・・・男の方は黒縁の眼鏡に丸顔、背はさほど高くはない。

 地味なグレーのスーツに、えんじに紺色のストライプの入ったネクタイを締めている。

 実直さがそのまま服を着て歩いている。そんな感じだ。

 だが、どこか表情が硬く、思いつめたように見える。


 女の方はセミロングの髪に、幾分ふっくらした色白の顔、目は大きくぱっちりとしている。濃い緑のサマーセーターに、白のカーディガン。黄色のロングスカートに赤いパンプスと言う、街を歩けばどこにでもいるようなOLか女子大生といった感じだ。

 

『私達、二ヶ月後に結婚するんです』


 やっと口を開いたのは、女の方だった。


 男は名前を早川泰はやかわ・やすし、年齢は26歳。コンピューターメーカー本社の経理部で働いているサラリーマン。

 女性は泰の婚約者で菅沼由美すがぬま・ゆみといい、二歳年下の24歳。私立の保育園で保育士をしているという。


 話すのはもっぱら女の方で、男は殆ど口を開こうとしない。硬い表情と態度を崩さないままだ。

『田中さん・・・・ご存じでしょう?神奈川県警品川署の警部補で』

『ええ、知っていますよ。そう深い付き合いじゃないが』俺は唇でスティックをもてあそびながら答えた。

 田中警部補には仕事で何度か会ったことがある。警官おまわりにしては軟らか過ぎず硬すぎずという、俺とは付き合いやすいタイプの男だ。

『その田中さんが、私の親友のお父さんなんです。それで相談があるなら、東京の乾宗十郎いぬい・そうじゅうろうって探偵さんに頼むようにって紹介してくれたんです』


『田中警部補からは聞いているかもしれませんが、私は法律で禁じられている他、結婚と離婚に関する調査は原則受け付けないことにしているんでね。その点ご承知おきください。とりあえずお話をうかがいましょう。その上でお引き受けするかしないかということで如何ですか?』

 俺がそう言っても、男は相変わらず黙ったままだ。

 由美は、

”いい?”とでも言うような視線を彼に送る。

 泰は表情を変えずに、そっぽを向いたまま、まるで他人事みたいに、

”好きにすれば?”と小声で言った。

 

 由美は傍らに置いていた大ぶりのハンドバッグを開けると、中から茶色い革表紙の手帳を出し、間に挟んでいた一枚の写真を出して卓子テーブルの上に置いた。


 随分古い写真だ。

 セピア色、とまではいかなくても、カラーの全面が色あせてしまっている。

 まだ若いスーツ姿の男性と、同じくグレーのスーツを着たショートカットの女性、それにブレザーを着て、真新しいランドセルを背負った少年が、小学校の校門の前で撮った写真である。

 一見するだけで分かる。

 入学式のものだ。


『この女性を探して欲しいんです』

 由美は写真の中の、スーツ姿の女性を指さして言った。

 泰は相変わらず横を向いたままである。

『この人は・・・・彼・・・・つまり泰さんのお母さんなんです』

”チッ”

 舌を鳴らす音がした。

 音の主は当然・・・・泰である。




 

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