後
「それで、今日はなに」
自販機で買ったオレンジのサイダーを飲みながら、
ふたりの住む町は海に近く、特に立夏の家から海までは徒歩五分程度の近さを誇っている。浜辺のそばにある大岩に登って腰かけた立夏に対して、
「
「聞いてるけど。
「髪バッサリ切ったのに気が付いてくれなかったって。それも何回も」
「ああ、琥太郎はそういうの鈍感だからなあ……愛梨に無視されてるんだって? どうやって謝ればいいかーって聞かれたけど、よくわかんないから適当に答えといた」
「適当にって……それで傷つくのは愛梨なんだけど」
「だって仕方ないじゃん。あたし愛梨みたくカワイくないしわかんないよ」
「いやまあ、愛梨に比べたらそうだろうけどさ」
「そこはお世辞でも『お前は誰よりかわいいよ』とか言うとこじゃない?」
「言ったら言ったで『鳥肌立つんだけど』とか言うくせによく言うよ」
呆れた口調でそう言った涼に、立夏はまあねと笑った。仮にも彼女である立夏を差し置いて他の女を女の子扱いなど、恋人の扱いをあまりにも心得ていない。そう思えど、今更ここでそれを追求しても仕方がないのも確かだった。明け方の浜辺などというドラマティックなシーンに使われそうな場面でも、ふたりにかかればなんともない景色に早変わりだ。
涼は真剣な顔をして続けた。
「愛梨、俺に電話かけてきたとき泣いてたんだよな」
「ええ……愛梨ってば、自分は彼氏がいて、涼に彼女が居るのも分かってたのに電話までしたの? 相変わらずだね」
「まあ幼馴染だし、電話までする男の友人は俺くらいしかいないと思うけど」
「わー、立夏とっても嫉妬しちゃう」
「わざとらしすぎて笑えてくるわ。別に嫉妬するほど俺のこと好きじゃないだろ、お前」
涼のため息と一緒に吐き出された言葉に、立夏は「はは」と心の篭っていない笑いで答えた。肯定も否定もしないままペットボトルの中身を
「別にだれも見てないんだから、あたしの前でくらい甘いもの飲めばいいのに」
「敵を欺くにはまず味方から」
「愛梨は敵扱いなの笑っちゃうんだけど。欺けてないし」
自慢げにことわざを扱う涼を鼻で笑ってから、彼がずいと返した少し減っているサイダーを受け取った。
琥太郎と愛梨は、ふたりのそれぞれの幼馴染だ。立夏と琥太郎は幼稚園、涼と愛梨は保育園からそれぞれ一緒の時間を過ごして、中学で出逢った。それから琥太郎と愛梨のふたりはあっけなくふたりは恋に落ち、まるで神様に決められていたかのように淡々と進展していくふたりに置いてけぼりにされたように、立夏と涼はいともたやすく失恋したのだ。立夏は琥太郎が、涼は愛梨が好きだった。
琥太郎は万人に優しい男だった。男女問わず平等に扱う彼は人望も厚く、一般的に言うキツイ性格をしている立夏ともずっと友達の距離感を貫いてきた。そんな彼が、立夏の初恋の人なのも自然なことだと思う。対して、「天然」と呼ばれそうなふわふわとした女の子である愛梨のことが琥太郎は好きだった。立夏は正直なところ愛梨が好きではないが、中学の間の長い時間を一緒に居ただけあって嫌いではない。なにもないところで転んで男子に助けられるようなドジぶりも、ふわふわの天然パーマのロングヘアも、ぶりっ子ではないのをよく知ることができたからだ。あれこそ「天然」と呼ばれてしかるべき、生まれもってのカワイイ女の子なのだろう。
琥太郎と愛梨のふたりが仲良くなったことで、涼と立夏も結果的に行動を共にすることが多くなり、中学では仲良し四人組のような扱いを受けた。その結果、ふたり甘い雰囲気になった時に一緒に逃げ出し暇をつぶす相手として最適だった立夏と涼は、失恋したもの同士なんていう不名誉な共通点のもとで仲良くなったのだ。
愛梨の好きな男になりたいのかもったいないと思ったのかは分からないが、サイダーで口直しをした後も涼はコーヒーを飲んでいた。苦そうに顔を顰める涼をぼんやりと眺める立夏に、涼はぼやくように続けた。
「コタは良いヤツだけど、女子の扱い下手じゃん。なんで愛梨はアイツのこと好きなんだろ」
涼はぼんやり、海の向こうの地平線を見つめながらここではないどこかを見ていた。立夏はその視線をなぞるように海の向こうへ視線をやったけれど、太陽がまだ顔を出していない海は黒く波打っているだけだ。ロマンチックとは遠い光景に肩をすくめて、立夏は続けた。
「まあ、よくわかんないけど好き、なんてことはよくあるでしょ。あたしからしたら彼氏がいるのに他の男に電話かけるとか信じられないけどね」
「俺は嬉しいけど」
「だってあんたさ、あんたが愛梨と付き合ってたとして、その裏でコタと電話してたら嫌でしょ。しかも愚痴」
「まあ嫌だけど。愛梨がそういう……お前に言わせるなら女子に嫌われそうな女子? でも俺は好きだよ」
「そういうもんでしょ。あたしだって琥太郎が髪型に気が付いてくれなくたっていいって思うと思うよ、もしも琥太郎と付き合えてたらの話だけど」
付き合えてたら、ともう一度強調して、立夏は舌と喉が痺れるのも構わずサイダーを飲んだ。
ふたりはお互い、琥太郎と愛梨を好きなのに付き合っている。別段深い理由などなく、仲睦まじいふたりから逃げるように一緒に居る時間が長くなったとき周囲にからかわれたことが発端だった。愛梨と琥太郎への想いをさらけ出すことが出来る相手はお互いしかおらず、ふたりとも人付き合いが不器用だったことが原因かもしれない。好奇の視線と叶わぬ恋から逃げるように、「付き合ってみるか」なんていう涼のひとことから始まった恋人関係だった。気が合わないわけじゃない。一緒に居る間にお互いを好きになっていけるかもしれないと思った。
立夏と涼以外でこの事情を知っている人はこの世に誰もいない。言ったら「そんなの本当の愛じゃない」だのなんだのと周りがうるさいのは簡単に予想がつくからだ。互いを好き同士じゃなくたって、同意のうえで恋人という契を結んだというのに。
コーヒーを飲み終わったのか、涼がアルミの缶をくしゃりと潰した。パキ、だなんて金属質の音は朝の浜辺に似合わなくて、なんだか立夏は笑ってしまう。夏風にさらわれていく立夏の笑い声を聞きながら、涼も笑ってこっちを向いた。
「お前も愛梨も物好きだよな、コタが好きなんてさ」
「そっくりそのまま返すけど? あんたも琥太郎ももの好きだよね」
「好きなんだから仕方ないだろ」
「報われないね、あたしたち」
「そうだなあ」
「……まあ、涼は琥太郎より女子のこと見てはいるよね。あたしが髪切った時も一番に気が付いたし。まあそのぶんデリカシーとか気遣いとか褒め言葉一切ないけど……だから顔はいいのにモテないんじゃない?」
「は?」
とても嫌そうな顔でこちらを振り向いた涼に舌を出して煽ってやれば、彼はわざとらしく嫌な顔をしたあとに仕方なさげに笑った。話しているうちに少しは気が紛れたのか、涼は立夏の家に迎えに来た時よりもずいぶん晴れやかな顔をしている。いつのまにか太陽が顔を覗かせていて、穏やかな朝焼けが海を照らし、きらきらと夏を思わせる。すっきりしたのはきっとあんただけだけど、なんて嫌味を呑み込める程度には、立夏も大人になっていた。
「聞いてくれてありがとな」
「いいよ、サイダーもらったし」
「お前しか話せないんだよ」
「分かってるって。お互いサマでしょ」
まるで縋るように立夏のもとへとやってくる涼は滑稽だ。愛梨への想いを捨てきれず、琥太郎がなにかヘマをして愛梨を傷つけるたびに彼はこうしてやってくる。放っておけばいつしか解決するくせに。
愛梨と琥太郎それぞれに頼られた涼と立夏は、お互いを心のよりどころにする。隣に居る理由がそんなことだったときはもう終わっていることに、涼はいまだ気が付いていないのだろう。
ヤケになって恋仲になったきり、別れる理由もないから付き合っている──というには、立夏の想いはいささか大きくなりすぎた。男子より女子のほうが成長するのが早いという話はあながち嘘ではないようで、立夏は正直既に琥太郎に対してろくな恋心を抱えてはいない。初恋を捧げた、万人に優しく彼女を苛立たせる節のある不器用な幼馴染よりも、デリカシーもなく女々しくて、絡める指だって不器用に力が籠っていて少しだけ痛い隣の彼のほうが。
彼女を堂々と名乗れる以上、恋人らしい思い出を重ねられる以上満たされていないわけじゃない。嘘から始まった恋は一方通行に、完全なかたちに収まることはなくゆっくり燻っているのだ。それだけなのだ。
送るよ、帰ろうぜ、と涼が誘った。立夏は頷いてから、残っていたサイダーを一気に飲み干して岩場から飛び降りる。それから当たり前のように手を取って、立夏の歩幅も考えずに住宅街のほうへと歩いていく。夏本番の太陽がぬるい風で立夏の背を押していた。配慮の足らない男、だなんて心の中で悪態をつきながら、立夏は明るい声で言った。
「相手とか自分が最低だって分かってても止められないもんじゃん。恋なんて」
「ま、そうだな」
「だから恋に落ちるっていうのかもよ。どうしようもないから」
そうかもしんねえな、と涼は笑った。それを見た立夏も、切なげに目を細めて微笑んだ。
がらんどうに落ちる 深瀬空乃 @W-Sorano
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