海野ちゃんの小さな嫉妬

夏山茂樹

嫉妬の代償

 深夜の闇の中、わずかに光る場所があった。その光源の上を指でスライドして、秋山海野あきやまうみのはニヤケていた。光源は光の中で彼女の紡いだ言葉を無気質に表現している。


『加藤真夏は早漏、本番の時に中折れする童貞野郎。でも本当は童貞じゃないってことを知ってる』


 一四〇字の制限があるSNSの設定のなか、彼女はA組の加藤真夏について書いていたのだった。これは梅雨の時期で、雨が本当にひどい日のことだった。かすかに暗い影の中、ベランダに真夏を呼び出して海野は思いの丈を吐き出したのだ。いつも使わない香水や、明るいメイクをして子供らしさの残った少女を演出していた。


「真夏くん! あ、あなたのことが……、す、好き……」


 伏し目がちになって流し目をする。これで男は完璧に落ちて、海野と付き合う。彼女はそう考えていたのだろう。だが真夏は彼女を冷たく振って、そのまま去っていってしまったのだ。


 大きな雨音の中でなんと言われたか、詳しくは聞こえなかったが「臭い」と言うのがかすかに聞こえた気がした。それ以降、海野は真夏を見かけるたびに睨みつけ、その顔を見た真夏は若干困惑しながら廊下を進める足先を進めるのだった。


 SNSには高校の同級生たちが集うアカウントがあった。誰が管理しているかは知らないが、同級生たちはそれをフォローしている。海野も例外なくフォローして、投稿される仲間たちの日常を見ては楽しんでいた。

 そんなある日、仲間の誰かが投稿した写真とそれに添えられた言葉に、海野は目が行った。写真は萎れた棒型の浮き輪で、垂直に折れ曲がっている。その写真に添えられた言葉にはこんな文言が。


『真夏くんのおちんちんみたい笑』


 そういえば真夏について、海野は女子との間柄についてあまりいい噂を聞いたことがなかった。例えば、「胸が大きいけど興味がない」と言って下級生を降っただとか、学校で一番綺麗な先輩と付き合ったけど、服越しに性器を擦りあった地点で射精したとかそんな噂ばかりだ。

 彼は女であれば関係なく、告白されたら付き合う人間だったそうだ。まあ、海野が高校に入ってからはそんな様子を見ることはないが……。


 振られたあの日がフラッシュバックする。あの時に抱いた憎しみが湧いてきて、海野はその投稿をリツイートした。真夏はSNSをしていないという。代わりに、真夏が言いたいことは彼の友人、青崎が投稿する。

 すると、リツイートしたツイートは数十件ほどのいいねとリツイートがなされ、真夏のペニスに関する議論をする男女もいた。


『真夏とやろうとしたことあったけどさ、めっちゃ大きかったんだよね。戦闘時は多分……、十六センチくらいあったんじゃないかな?』


『あいつのモッコリ具合はヤバい。十六センチなんかで収まるレベルじゃない』


 ああ、何という恥ずかしい会話をしている奴らだ。だが、海野はその大きさを考えると、自分の中に入るとは到底思えなかった。なにしろ、自慰行為もそんなにしたことのない少女だったのだから。

 真夏のペニスが入ってくるさまを想像する。きっと自分の処女膜は破られて、血が出るのだろう。流血の中、同学年女子の処女を奪った真夏は興奮して、何度もその大きなペニスを出し入れするのだ。痛いと泣く海野の言葉も聞かずに。

 そう考えると、彼女の子宮がうずいた。うずいて、痙攣を繰り返して下へ降りてくる。ああ、彼女はまだ処女なのに……。


 海野が下腹部を押さえ込んで、その疼きと闘っている中、彼女の脳裏には真夏が浮かぶ。さっきは怒りが優ってあのような下品な投稿をリツイートしてしまったが、きっと青崎がこの投稿を見たら真夏はショックを受けるかもしれない。だが、自分を振った罰だ。まあ、いくつかの愛と共に、この投稿が広がりますように。彼女はそう願って眠りについた。


 それから翌日、海野が帰ろうと教科書を鞄に入れていると、友人が彼女の名前を呼んで近づいてくる。眼鏡をかけた彼女は小さくて、真夏の好みのタイプっぽそうだ。それに、自分に比べて胸も大きい。そんなコンプレックスを抱きながら彼女は微笑みかけた。


「なあに?」


青崎あおさきが呼んでる」


 やっぱり、あの投稿は不味かったか? 軽く後悔する海野の手を、友人が導いて青崎の元へ連れていってくれた。入り口にはどこか恥ずかしそうな様子の、ガタイのいい体つきをした青臭い男が立っていた。何というか、オタクにいそうな気もするその顔に海野は不安げに尋ねた。


「青崎くん、どうかしたの?」


 すると、青崎は女子に話しかけられて恥ずかしくなったようで、端正な顔をした海野から目を背ける。だが、海野はこのオタクっぽいガリ勉が女子には弱いことを知っている。特に目線。からかいたくなって、彼女は細めたその目で青崎の視線を追って、笑いかけた。

 だが、彼はその視線さえも赤い顔をして逃げ回る。その表情には恥じらいと恐怖感の混じり合った複雑な表情が浮かんでいて、海野はその顔で彼の視線追いかけっこを楽しんでいた。


「やっ、やめてくれよぉ……」


「私に用があって来たんでしょ? 青崎くん」


「うん。まあ……」


「じゃあ手短に済ませましょう」


 冷たく海野が言い放つと、青崎はその手をつかんで走り出す。


「ちょっ、やめてよ!」


 海野がそう言い放っても、青崎の手は汗をかいたまま、どこかへ走り出す。この緊急事態に海野は困惑しながら、何が起きたか理解できないまま青崎についていくしかできなかった。彼はそのまま、向かい続ける。通る人々の視線が冷たい。真夏に振られて、怒りの後に落ち込んだままの夕方を思い出す。彼女は、げっそりと肩を落とした海野を見つめながら笑う人々の様子を思い出した。


「どこへ行くの……、あっ」


 するとそこにはあの日、何かを言って自分を振った真夏が、加藤真夏が立っていた。影のできるあのベランダで、笑いながら歓迎した様子の真夏に海野は一瞬怯える。


「やあ海野。秋山さん」

 

 海野を見下ろして微笑む真夏に、海野は一瞬恐怖を感じる。中学時代、先輩、同級生、後輩問わず付き合ったという、一応はやり手の彼に何かされるかもしれない。

 身を縮こめて彼女は叫んだ。


「ごめんなさい! 軽い気持ちでやったの!」


 すると真夏は海野に近づいてきて、ゆっくりとその距離を縮めていく。きっと自分は酷い目に合うのかもしれない。いいや、それくらいのことをしたのだから。海野は覚悟を決めていた。もう何をされてもいい。

 そう考えながら、頭を手で覆っていると真夏が優しく言った。


「顔を上げて」


 言われるがまま顔を上げた海野は、差し伸べられた手に困惑しながらも、その手を繋いで真夏の優しそうな表情を見つめた。


「何もしないから。大丈夫」


 多分こういう経験は何度かあるのだろう。しっかりと地に足を置いて、真夏は落ち着いた様子で彼女に尋ねた。


「ねえ、俺のペニスのこと、SNSでリツイートしたの秋山さんだよね?」


「うん、あの時はごめんなさい……」


 すると、真夏の顔がパァッと晴れやかになって彼女の肩を叩いた。その様子は子供のようで、かつて憎んだ相手なのに愛しささえ感じる。


「いやあ! 俺のペニスの大きさが議論されてたなんてびっくりだよ! おかげで自信持てたよ」


「……え?」


 よかった。真夏は怒っていたわけではなかった。そのことに安心して、海野はその場で崩れ落ちる。足の力が抜けてベランダに足が落ちる感覚を覚えて、そこを青崎が話しかける。


「大丈夫?」


 その手は汗にまみれて汚らしい。彼女は思わず手を跳ね除けて、固まったままの表情をした青崎に謝る。


「うん、ごめん……。私は大丈夫」


 そのまま立ち上がって真夏に近づくと、海野は思わず抱きしめられてその体の肉付きの良さにハッとさせられる。


 正直、彼女には何が起きたのかわからなかった。そのまま秋山海野として真夏の体に抱きつく。すると、なんということだろう。あの日、振ってそのまま立ち去った真夏とは違って彼女の体をしっかりと抱きしめる真夏がいた。


 夢見ていた光景。そのことに心酔しながら海野は真夏の体にすがりよる。そのまま彼は優しく海野を抱きしめ続ける。その時間が愛おしくて、真夏のいい匂いをした汗と自分の汗が混ざり合う感覚を感じながら、風に揺られる時間が楽しくてたまらない。

 青崎のことは放っておいて、ずっと抱きしめられる海野は真夏に尋ねた。


「……どうして抱きしめてくれるの?」


「初恋相手のところに、夏休みになったらいくんだ。その練習だよ」


 ああ、自分が恋人として呼ばれたのではなく、遠い過去の恋相手の代わり、練習台だった。きっと真夏の初恋相手は、再会したら彼の愛ある抱擁に身を埋めて、私のように恥じらう姿を真夏に可愛がられるのだろう。


「……っ」


「どっ、どうしたんだよ。秋山さん」


「海野って呼んでよ。……悔しい、恋の相手が私じゃないなんて」


 思いの丈をぶつけながら嗚咽を漏らす海野に、真夏は困惑した様子だ。たくさんの少女と付き合った男とは思えないほどの困惑だ。


「こっちこそごめんな。海野のことは友達だって思ってるから。でも忘れないでほしいんだ。男にとって、初恋相手はどんな女とも比べられないほど大事なんだ」


「……わかった」


 憎しみでリツイートした真夏のペニスツイート。やったことは褒められることではないけど、一瞬好きな人に抱きしめられた想いは愛おしいものだった。たとえそれが初恋相手と会う練習だとしても。


 恋慕の情が自分でなく、遠い街に住んでいるであろう恋人に向けられているのは罰なのかもしれない。それでも、真夏の抱擁に愛情を感じざるを得ない海野がいたのは事実だった。

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海野ちゃんの小さな嫉妬 夏山茂樹 @minakolan

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