もうひとつと、水の精

カミレ

水の精と、もうひとり

 むかしむかし、あるところに火の精と水の精、そして人間がいました。人間と精は仲良くありませんが、互いに干渉し合わないことで平和を保っていました。そんなある日、水の精がいきなり川を氾濫させます。水の精は人間を心底嫌っていたのです。あふれた川の水が波のように人間たちに押し寄せる中、その水を蒸発させ、人間を助けたのが平和を好む火の精。その後から水の精は行方をくらまし、人間と火の精は仲良くくらしました。


__これは有名な昔ばなしのひとつ、〈火の精と水の精〉。



 しん、と雨の日の静まりかえった林の中。耳を澄ましても、自分と自然の音以外の音がなにも聞こえない。ぽたぽた、と雨雲が重い体を少しでも軽くしようと身体中をしぼっている。濡れた枯れ葉と土のにおいが、体に染みわたる。は、と渇いた息が漏れて、冷えた体を震わせる。


「いない」


 濡れた土を踏み締める足の力が弱まる。雨音に紛れてしまった声がとても情けない。頬を濡らす雨水に塩気が混じるような気さえした。


「日傘、まだ、かえしてもらえてないよ」


 ぺったりと肌に張り付いて熱を奪う重たい服が、とても煩わしく思えた。


「ねえ」


 どうしようもない気持ちが自分の中でうずまいている。うまく吐き出せない。


「おいていかないで」


 あんなに楽しかった日々を置いてどこへいくの。まだ、離れたくない。


 ぶわりと遠くで炎が燃え上がり、雨雲を突き抜けるのが見えた。そのまま雨雲は逃げるように、炎の柱を中心として円型に青空をどんどん広げていく。雨雲が逃げた先は、山のいただき。はたと気がつく。あの山は、と。


 あそこにいる。


 そう確信して、泥だらけの足で林を抜ける。空気を吸い込んで、吐いて、ひたすらに走る。


 炎の柱は次第に火力を失い、消えていく。霧が晴れて、視界が開ける。


 山のふもと。そこで流れている川が、きれいに透き通っていて、安心する。さきほど氾濫したときには、川の水がどろを含んでひどく濁っていた。


 人が踏んで固くなっていたはずの土の道はどろどろで、足をとられて歩きにくい。途中でびたんと転んでしまった。じゃりじゃりして気持ちがわるい。


 げこげこと小さな蛙や、息苦しくて土の上に出てきたみみずが、青空の下で身を潜めている。何度か踏み潰しそうになったけど、まだ踏んではいない。


 もうすぐてっぺんだ。ここにいるはず__


「水分補給はしっかりなさいと何度申し上げたとお思いですか!」


 熱中症で倒れてしまったのか、ぷつんと一部分記憶がない。ぼーっとしたまま見つめていると、話がつづく。


「日光に長時間当たるのは体によくありません。それと、どうして私の元へいらっしゃったのですか」


 あなたは人間なのに、と付け足されるまえに、遮るようにして口を開いた。


「いっしょがよかったから、じゃ、いけない?」


「……あいつは」


「あっちにのこるって」


「それでは、あなたは、ほんとうに、私と?」


「うん」


 なんだか眩しくて、返してもらう必要のなくなった日傘の下で目を細めた。

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もうひとつと、水の精 カミレ @kamile_cha

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