雨上がりの空に

シロクマKun

第1話


『うわぉ、明日の昼間40℃まで上がるってよ⁉ 風呂の温度かっつーの。溶けるで、しかし』


 茶の間でゴロゴロと寝転びながらTVを見てたつかさが、そう素っ頓狂な声を上げた。

 

「いや、アンタは別に関係ないでしよ? 身体無いんだし」

 あたしは濡れた髪を乾かしながらこの能天気な男につっ込みを入れる。


『あっ、そっか。つい忘れんのよなぁ、俺ゴーストだって』


「欧米かっ。日本人なんだから幽霊って言いなよ?」


『別に恨めしくないんだけどなぁ』


 幽霊=うらめしや、っていうテンプレな思考をさらけ出しながらぼやくコイツは、何故だか一向に成仏できないホトケさんなのだった。





 あたし、あおいとコイツ、つかさは幼馴染という、極めて微妙かつ都合のいい期間をて、友達以上恋人未満、どっちかに転びそうで転ばない絶妙なバランスのまま、気が付いたら大人になってしまっていたという、非常にイタい関係だった。そう、あくまで「だった」という過去形なのである。


 何故なら彼は1ヶ月程前、トラックに撥ねられて死んでしまったからだ。


 あまりに突然な彼の死に茫然自失のまま御葬式に出席したその晩、コイツはのほほんとあたしの前に現れたのだった。


 そりゃまあ驚くよね。昼間、棺桶に入ってたコイツが突然現れたんだからさ? 正直、ゾンビかと思ったわ。


『いや、コッチもビックリしたよぉ。綺麗な女神かと思ったら葵だったし』

 これは後から聞いた話だ。


『何か真っ白な空間にいたんだけど、急に白い霧みたいなのが晴れたんだよね。そしたらそこにお前がいたの』


「ふぅん、で、あたし、女神と見間違える程キレイだった?」


 って聞くと、「はぁ?何言ってんだコイツ?」みたいな顔された。


『……いや、お前の顔が云々じゃなくてさ、普通トラックに撥ねられたら女神が出て来て異世界でしょ? 一応、仔猫助けようとしたんだし』


 なろうかっ。

 仔猫のくだりはコイツらしいけど。


 そんな調子であたしのもとに現れたこいつは、お盆も過ぎたというのに一向に帰る気配がない。


「ねぇアンタさあ、いつまでここにいるつもり?」


『いや、俺に聞かれても』

 と、何度聞いても同じ返事しか返ってこなかった。コイツ自身もホントに解ってないみたいだから余計始末が悪い。

 ならばと、コイツの目の前でお線香炊いて、般若心経読み上げたら

『怖いわっ、殺す気かっ⁉』って逃げるし。

 つか、あんた既に死んでるんだけど?

 うーん、アレかな、お盆に茄子で牛作らなかったからかなあ?

 一応聞いてみると


『茄子? どうせなら麻婆茄子の方がいいなぁ』


 料理じゃねぇわっ。帰る乗り物食ってどーすんだよ?

 どうやらこれも駄目らしい。


『なあ、そんなに俺に成仏して欲しいわけ? ここに来た頃、喜んでたじゃん。俺が突然死んで、結構ふさぎ込んでたんじゃないの?』


「いや、アンタ葬式のその晩に来たからね? ふさぎ込む暇もなかったし」


『ああ、だねw』


 これは正直な気持ちだけれど、ただ、詞がこうして戻って来てなかったらあたしはどうなってだろう。恐らくは詞が言うようにズンズンズンドコに落ちまくって塞ぎ込み、なかなかはい上がれなかった、と思う。

 それを今コイツに言うつもりはないけど。


『今日みたいな熱帯夜だとさ、俺も役に立つと思うぞ?』


「ん?どーやってよ?」


 そう聞くと、詞はあたしの背後に回り込んできた。

 途端に背筋がゾゾゾ〜っと寒くなる。


『どーよ? 冷房要らずだろ?』


「……心臓がキュッとなるから二度とやんないで」


 そうキツく言うと詞は小さく縮こまるのだった。




 ◇


 

『……北海道ツーリング行きたかったなあ』


 とある旅番組を見ながら、詞がそんな事を呟いた。


『そーいやお前、VMAXに乗ってないの?』


 VMAXとは、あたしの愛車の大型バイクのことだ。因みに詞は1100刀というバイクに乗ってて、よく2人で日帰りツーリングに行ったものだ。

 そして、北海道ツーリングってのはバイク乗りにとっては一度は経験したい憧れであり、いつかは2人で行こうと、いや、特に口に出した事はなかったけど、お互いそう思ってたようだ。ただ、そうなると当然泊まりになるし、その辺はどうしても煮えきらず、せめてもう少し関係が深くなるまでは、とそんな感じで具体的な話ってのは全くなかったけど。


「うーん、今はあんまり乗りたくないかな」


『なんでよ? 動かさないとバッテリー上がるぞ?』


 そんな事は百も承知だけど、親しい人間が交通事故で亡くなったとなればバイクに乗るのも流石に怖くなる。

 まあ、その死んだ本人が今ここで軽口叩いてるけどさ。


『俺の刀はどうなったんだろ?』


「まだ倉庫に眠らせてるらしいよ?」


『うーん、このまま倉庫でホコリを被らせるのもツラいなあ。お前、山まで持っていって峠で焼いてくれん?』


ヒデヨシ※バリ伝でググりましょうじゃないんだから。普通に犯罪だって、それ」


 そう突っ込むと、詞はどこか寂しげだった。




 ◇




『あれ? エロいカッコしてどこ行くの?』


「……あんた、喪服をなんだと思ってんのよ?」

 

 ある日、喪服を着て出かけようとしていたら詞が絡んできた。

 


『ふーん、誰か死んだん?』

 

「アンタだよっ、四十九日の法要だよ」


 相変わらずのほほんとしてるコイツはホントに自分が死んだ事も忘れてるんじゃないだろうか?

 あれから49日もたったってのに、相変わらずあたしの胸の辺りガン見してるし。


『そっか、悪いな。母さんに宜しく言っといて』


 ……何をどう宜しく言えというのだろーか?





  ◇




 詞の実家で行われた法要も無事終わり、後片付けの手伝いも済ませた後、詞の母親に呼ばれて、詞の部屋に入った。


「今日はホントにありがとうね、葵ちゃん。詞も向こうで喜んでると思うわ」


 いや、たぶんウチでTV見てると思いますけどね。


「でね、葵ちゃんにコレ、見て欲しくて」 


 詞母はそう言ってあたしに何冊かのノートを渡してきた。表にはナンバーが振ってある。1から5まであった。明らかに詞が使っていたノートだろう。


「……あたしが見てもいいんですか?」

 

 そう聞くと、微笑みながら頷くお母さん。

 

 変な詩とか書いてあったらどうしよう? そんな事を頭の隅で思いながらノートを広げる。


 そこには、旅のハウツー本のように、色々な地方の細かい情報が詞の字でびっしりと書かれていた。しかも、そのどれもがあたしが知っている、というか体験したものばかりだった。


 それは詞があたしとツーリングをする為に下調べした情報、そして、実際あたしとツーリングをして体験した感想、そんな事が延々と書き綴られていた。


 初めてバイクで走った〇〇山の峠、桜が満開だった河川敷の公園、真夏の海水浴場、紅葉に彩られた山々、そんな思い出深い光景がノートの中にぎっしり詰まっていた。ページをめくる度に文字が歪んでいく。

 

 ふと気付くとあたしはボロボロと泣いていた。ノートを濡らさぬよう、袖口で涙を拭き、鼻をすすりながら一冊一冊に目を通していく。どのノートもあたしと詞との思い出がいっぱいだった。


 そして、最後の5冊目のノートを開く。


 そのノートにはこれからの予定であろう、北海道ツーリングの為の情報がびっしり書かれていた。勿論、あたしと詞の二人で、どこからフェリーに乗って、ここでキャンプ、次の日はここの温泉に浸かってどこそこを見て……と、予定がしっかり立てられている。

 そして、最後にこんな一言が書いてあった。




 『この旅で絶対、葵の…………』





 その言葉に赤面しながら思わずノートを閉じると、詞のお母さんが優しく微笑みながらあたしにこう言った。


「あの子、本当に葵ちゃんの事が好きだったのねぇ」







  ◇



 翌日、あたしは久しぶりに愛車VMAXをガレージから出した。

 心配だったバッテリー上がりもなく、セルを回すと重々しくエンジンが掛かり、お腹に響くような排気音を出してくる。


『おお、大丈夫だったな。んで、どっか行くの?』


「久しぶりに峠に行こうか? あんたは後ろに乗りなさい。連れて行ってあげる」

 あたしは真紅のライダーブーツに黒いレザージャケット、幾何学模様のヘルメットを被りながら詞に声を掛けた。


『俺、ノーヘルで大丈夫かな? 捕まらない?』


「ヘルメット出せるんじゃない? 大体、あんたのその服だって本物の服じゃないでしよ?」

 

『そーいや、そーだな。ん、ん、こんな感じ?』


 詞はいつの間にかちゃんとヘルメットを被ってた。つか、コイツはあたし以外には見えないらしいんで別にノーヘルでもいいと思うけど、万が一見える人がいたらいろいろとややこしいもんね。


「オッケー、じゃあ行こうか」




 ◇




 街を抜け峠に入り、ワインディングロードを軽快に駆け抜けていく。

 バイクで峠道を走る感覚はスキーやスケートのような感覚に近い。キツいカーブの遠心力に対抗しながら車体を傾け、人とマシンが一体となって曲がっていくのは完全にスポーツの領域だ。だからハマると無茶苦茶楽しくて気持ちいい。

 重いVMAXはワインディングロード向きではないし、ちょっと車体傾けただけでステップやマフラーがガリガリ地面にこすれてしまうのだけど、それもまた楽しいのだ。


『うほほほっメッチャ擦ってる擦ってるっ』

 後ろで詞が楽しそうにはしゃいでいた。


 突然、道路左右の木々がなくなり、視界がばっと広がった。

 下の方に色とりどりの街が広がり、その遥か先に海が見える。夜になると

 ○万ドルの夜景と謳われる景色が広がるのだけど、今はあいにくと昼間だ。

 だがそれでも、見る度に美しいと感動する、そんな風景だった。


『やっぱ峠がサイコーだなあ』

 詞がそんな台詞を呟いた頃、ヘルメットにポツリと雨粒が当たり始めた。


 山の天気は変わりやすいと言うけれど、さっきまでいい天気だったのがいきなりの雨だった。しかも雨足はあっと言う間に早くなり、まるでゲリラ豪雨の様なはげしさを増していく。


『うっひょう、すげぇ雨だな。危ないから戻るか?』

 詞がそう提案してきたが、あたしはその逆を選択する。


「ちょっと本気で走るからさ、しっかり掴まって!」


『へ? マジ? しっかり掴まってるけど』


 そう言う詞は左手でシートのベルトを、右手でシート後ろのバーを掴んでいる。ごく一般的なタンデムスタイルだ。


「そうじゃなくて、両手をあたしの体に回して掴まって!」


『ええっ! それはちょっと……ヤバくない?』

 躊躇する詞。


「いいからサッサと摑まりなさい!」

 そう一喝すると、おずおずと手を回してきた。幽霊のくせにヤケに生々しい感触があたしのお腹周りに当たっている。

 同時に詞の上半身があたしの背中に密着してきた。かつて無いほどの一体感を味わいながら、あたしと詞はコーナーを一つ一つクリアしていく。


『お前、運転上手くなったな!』

 詞が耳元で叫ぶ。


「でしょっ!」


『そんでお前……デカいな』


「ばか!」



 そんなやり取りをしながらあたし達は峠の頂上を目指してつっぱしる。


 やがて激しかった雨粒が急激に小さくなっていき、頂上の展望台に着いた頃にはすっかり雨はやんでいた。そして展望台にバイクを止め、うしろを振り返ると、そこに詞の姿は無かった。



 晴れ上がった空をふと見上げると、そこには綺麗な虹がかかっていた。

 その虹の坂を一台のバイクが幻の様にゆらめきながら、ゆっくりと登って行く。


「……つかさ……」


 そのライダーはゆっくり振り返り、あたしに向かってピースサインを出してくる。あたしもピースサインで大きく手を振った。

 そのヘルメットの中の顔が満足気に笑って見えたのは気のせいだろうか?

 空を走る彼はやがて虹の向こうへと消えて行った。





 ふいに、あいつが残していったノートの最後のセリフが頭に浮かんだ。





「この旅で絶対、葵のおっぱいを揉むっ!」





 ……あんたさあ、それが心残りだったんだね。


 そう言えばあいつ、自分の事をゴーストって言ってたな。

 あの映画のロクロのシーンみたいなの期待してたのかな?

 実際は土砂降りの雨の中走るバイクの上でおっぱいを揉んだというか、掴んだっていうか、何とも色気なかったけどさ、それで満足できたのかな?



 あたしは詞が逝った空に向かって思わず呟いた。



「……ぁ、んだよw」



 そんな無理クリなダジャレはアイツに届いただろうか?















 「空に走る」

   完







 




 









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