龍王ここに崩ず

きょうじゅ

ハッピー・エンド

 この世界で最古の竜、龍皇ガイルベロンはまもなく臨終の時を迎えようとしていた。彼自身は黙して語ることはなかったが、一説には彼が生まれたときに天地が開闢したのだという伝説すらもある、ガイルベロンとはそのような存在であった。

 彼は巨きかった。正確な年齢はおそらく彼自身も含めておそらく誰も知らないが、ともあれ齢幾年月を過ぎようとも成長の止まることのないその体は、もはや連なる山並みのようであった。

 例えば、彼の口から耳までの間だけで、人間が移動するとなるとそれは冒険であり、また探検となるのである。

 そんなガイルベロンのことだから、彼と日常的な意味でのコミュニケーションがとれるような存在はもうとっくにいない。彼がどうやらまもなく死ぬらしいということは、彼の身動ぎや、漏れ出る黒炎の吐息から誰にでももうそれと知れたが、周囲にとってはほとんど災害そのもののその動静はともかく、彼が自らの臨終についてどのような思いを抱いているのかは誰にとっても謎であった。


 と、いうのが僕、妖精ファラルが旅の路々に案内人から聞かされた話である。最古の竜ガイルベロンの伝説くらいはど田舎育ちの僕でももちろん知ってはいたが、死にかけていたとは知らなかった。なんで僕が都からわざわざ立てられた使者に呼び連れられてガイルベロンのもとに赴くことになったかというと、僕は妖精族の中でも唯一、つまりおそらくはこの世界でただ一人、念話で他者と意思疎通を測ることができるからである。ちなみに年齢? 3歳。ガイルベロンにしてみたら一呼吸くらいの間だろうな、妖精族ってのは短命なんだよ。

 僕は示された少なからぬ報酬の金子と、そして一分ばかりの好奇心に袖ひかれてガイルベロンに会いに行くことになったわけである。


「で、ガイルベロンがいる場所はまだ遠いのかい」

 僕は案内人に訊く。

「もうすぐですよ」

 案内人は応える。

「もうすぐということは、あちらに見える、白煙を上げるあの大きな火山山脈よりはこちらということかい」

「あれは火山ではありません。あれが、ガイルベロンです」

「なんてこった」


 見るのと聞くのとでは大違いだった。


「三日くらい前からあったあの地震のような揺れ、あれも全てガイルベロンの身動ぎによるものです」

「デッけえ話だな」


 そんな山のように大きく、そして現状はともかくかつて世界で最強であった存在は、いったいどれほど自らを誇りながら死んでいくのであろう。僕の好奇心とはそういうものであった。


 さて、ガイルベロンの死が近づいたためにその近くに臨時の街が作られていたのだが、そこに築かれた祭壇の上に立ち、僕はガイルベロンに語りかけた。別に祭壇なぞなくても僕は能力を使えるが、これも演出である。


「大いなる、偉大なるものよ。龍皇ガイルベロンよ」

「なん……だ? 妖精か?」

「そうです。私はファラル。ミレニアの里の妖精です」

「頭の中で声がする、この感じは、五千年ぶりくらいか。また珍しい妖精が生まれたものだ」

「恐縮です」

「われに何の用だ、小さき者よ」

「率直に申し上げまして私自身には特に何の用もないのですが、都の人間たちに頼まれまして。龍皇ガイルベロンの死に水を取り、その遺志を酌むようにと」

「ならば、聞いてもらおう。われの話を」

「はっ」


 僕はワクワクした。僕は妙な能力を持っている以外は何でもないちっぽけな存在だが、ガイルベロンは偉大にして至高なる神話の体現者だ。どんな話を聞かせてもらえるのだろう。


「あのな、実はな。誰も気づいておらんとは思うが」

「はっ」

「われは死にとうない。死ぬのが恐ろしうて恐ろしうて堪らんのだ」

「はっ? え?」

 こいつは驚いた。まさかこんなことを言われようとは。

「なあ、小さき者よ、会話を交わせるのも何かの縁だ、無駄とは知りつつ聞いてみよう、お前、われがこの老いと病から解放される手段を何か知らんか?」

「いえ、残念ながら」

「そうか」


 そのとき、ガイルベロンの感情が僕の中に流れ込んできた。実は僕にはそういう能力もあるのだ。彼は本気で落胆しているようだった。


「おそれながら申し上げますが。貴下はもう何万年だか何十万年だかお生きになったのでは?」

「そうだな」

「まだ足らないのですか? この世に未練が?」

「未練などというものではない。なあ、小さき者よ。われは長寿ゆえ博識だ。たいていのことは知っておる。だが、死者の意識が死んだ後にどこに行くのか、あるいはどこにも行かぬのか、それは知らんのだ。知らんところには行きたくない。どこにも行けないのも嫌なのだ。幾年月を生きようとも、その思いはまったく変わることがないのだと、われはこの臨終の身となってようやく知った」

「そうなんですか。でも、貴下はその生涯に多くの業績を残してきたのでしょう。それを胸に誇れば、満足して死んでいけるものではないのですか」

「137人の魔王を滅ぼした。自らが魔王となったことも二回あった。二回とも、途中で飽きて自ら位を降りたが」

「いくつかの話は本にもなってますし、僕も知っています」

「人間たちに火を教えた。水の治め方を教えた。自らが人間たちの上に君臨したことも幾度となくあった」

「そうですね。若い僕でも知っています」

「だが、そうした何もかもが、今はただ虚しい。恐ろしい。目の前に口を開けた暗黒の深淵の前では、過去の栄光などすがるにも値しないのだ」

「はあ」


 自分には理解できない境地であった。


「そして。われは孤独である」

「それはそうでしょうね。話をできる相手もいない」

「なあ、小さき者よ。われの最後の友になってはくれぬか。後生である」

「あなたはどうせまもなく死ぬでしょうからはいとか答えてしまうのは簡単ですが、率直に言わせてもらえば僕とあなたは心を通わす同士にはなれないと思いますよ」

「そうだな……残念だ。誰も、誰かの孤独に本当の意味で寄り添うことなどできん。われは長生きであるから、知ってはいるのだ」

「まあ、そうはそれとして……人間たちは、あなたのためにできる限りのことはするでしょう。何か、望まれることはありますか」

「どうせ誰も分かってくれないのなら、せめて独りで死なせて欲しい。これ以上煩わさずに」


 とうに気づいてはいたが、しみじみ面倒くさい性格だな、この爺さん。


「伝えるだけ伝えてみます。なら、話はこれで終わりですね。最後に何か、言い残されたいことは?」

「死にたくない」

「それも伝えておきます」


 さて、僕の役目は終わり、人間たちはガイルベロンの遺志を尊重するために彼の近くにあった都を引き払い、遷都をすることになった。というのは言い訳で、震災がひどくなったのでとても暮らしていられない状況だからそうしたというのが本当のところではあるのだが。


 ガイルベロンの居所にあえて近づく者はいなくなった。半年ほどして、揺れが収まったので人が近づいてみると、ガイルベロンの巨体は骸と化していた。


 あの孤独な偏屈者が、最後はどんな思いで自らの意識を閉じたのだろう。きっと辛く悲しいものだったに違いない。哀れなものだ。


 といったような話を、僕は臨終の床で孫たちに聞かせる。僕自身は、たいした生涯は送らなかったが、良妻と多くの子に恵まれてまあそれなりに悪くない人生だった。ガイルベロンのところに行くのかって? 行かないと思うよ、終わりなんてただ消えるだけだ。


 人生なんて、そんなものでたくさんだろう? 龍皇ガイルベロンの偉大にして無為なる生涯を思いつつ、僕は両眼を閉じるのだった。


 




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

龍王ここに崩ず きょうじゅ @Fake_Proffesor

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ