秋、夢、あいつ
麦茶神
秋、夢、あいつ
この夜は、冷たい冬を思わせるような、そんな寒さだ。
中学3年生、秋。
部活を引退し、周りは受験勉強が本格化させているなか、俺はまだ志望校を決めあぐねていた。
というかそもそも夢というものを持っていないのだ。
人の為になりたいなんてさらさら思わないし、自分の好きなことを仕事にと言われたところで、趣味が「日曜朝の特撮を見ること」と「ドッキリ系の動画を見ること」しかない俺にとってそれは更に難題だった。
夜とはいえ、ついさっきまでは天高く馬肥ゆる秋というべきほどのカンカン照りだったのに、そんなことは忘れてしまったよとでも告げるように、世界はすっかり冷え切っている。
北風がぴゅうと吹くと、俺の首筋を冷やかしていって、思わず身震いした。
「残夏が———」とか言ってた奴らは多分死んだのだろう。きっと誰かが残り物の夏をタッパーにでも詰めて冷蔵してしまったんだ。
まあそんなふうに言って、何故俺は家の外へ飛び出し、わざわざ寒さを嘆いているのかと言えば、それは簡単な話だ。
俺は家出したのだ。
まあ、俺のこの態度を見ればおおむねどんな様子で家を出たかなんて想像に難くないと思うが、もちろん親の心ない言葉に激昂して勢いに任せて飛び出しただとか、突如頭に響いてきた声に導かれるままここにいるだとか、そんなドラマティックな理由もあるわけがない。
なんとなく家の居心地が悪かったというだけなのだ。
それ以外に理由なんてない。
だからこうして、人はおろか、アリ一匹通る気配すらない田舎の道路を、ひたすら前へと歩いている。
さて、これからどうしようか。食事のあてもないし、寝る場所も道具も持ってきていない。このまましばらく歩き続けるか————と漠然とした不安に押し流されるように歩いていると、ふと、少し離れた街灯のあたりに影のようなものがちらりと見えたような気がした。
もう一度見てみると、やはり人影のようである。虫が
遠まきに見てもかなり幼く、
俺が言えた話じゃないかもしれねえが、子供がこんな夜遅くに一人でいるなんて危険過ぎる。少なくともここらじゃ誘拐とかはないだろうが、それでも。
急いで駆け寄っていくと、次第にぼやけていた容貌がはっきりとしてきた。そして、ある程度まで近づいたところで、それが俺のよく知る人物だということに気づく。
「あれ、
「あ、
雅哉は突き出していた唇をぱっくりと開き、くりくりした目でこちらを見た。駆け寄った俺に気付かなかったというなら、なおさらすぐにきて良かった。
「なんでじゃねえよ、ったく。こっちが聞きたいくらいだっつーの。」
通称、悪ガキ。
なぜそんな不名誉な呼ばれ方をしているのかと言えば、実のところ俺が小学6年生の頃、物心つきたての雅哉にいろいろなイタズラを教え込んだからなのである。
小学校で一緒だったのは一年だけだったが、その時から俺らは悪友としてさまざまな悪事を働いていた(つまりは俺も"悪ガキ"と呼ばれている)。
受験がちらついてからは俺は流石に大人しくなっていったが、それでも疎遠になることはなく、今もたびたび新しいイタズラの考案を手伝っている。
「えっと、姉ちゃんを迎えに来たんだ。部活で帰りが遅いから。」
「ああ、お前の姉ちゃんバレー部だもんな。この時期大変だろうな~」
雅也の姉は俺と同じ中学の一個下で、バレー部の主将。バレー部と言えばうちの学校の中でもかなりのブラック部活なのだが、特にこの秋のはじめ当たりの時期は大会が多く、夜遅くまで練習をしているらしい。
中学三年間を帰宅部として過ごした俺からすれば、何がそこまで駆り立てるのかさっぱりわからんのだが。
「悠兄はどうして?散歩?」
「いや、俺は家出よ、い・え・で。」
「ええ!?家出しちゃったの?」
「ああ、ちとワケアリでね。」
いや、俺の場合、”ワケナシ”と言うべきか。
「え、ここから遠くまで行っちゃうの?」
「多分な、行くアテはないけど。」
そして俺は雅也の頭に、ぽん、と手を乗せた。
少し撫でると、手のひらで髪の毛がさらさらして気持ちいい。
「あーあ、最初お前を見っけたときは『お前も家出か。良かった、仲間がいた。』って思ったのによ。」
「なんだよ、それ。」
雅也はくしゃっと顔を綻ばせ、頭の手を退けた。そして、俺から目を逸らし空のほうを見る。
俺も同じように視線を移すと、
その真ん中に、ぽっかり、満月が浮かんでいる。
「俺———」
雅也は唇から、少しづつ、少しづつ、言葉を漏れさせた。
「俺、ここ、好きだよ。好き勝手やっても、なんだかんだ皆、俺をちゃんと叱ってくれる。無視しないでくれる。俺がイタズラしてるのだって、きっとここで育ったからだと思うんだ。それに―――」
空に手をかざし、星を一握り、つかむような動きをして。
「ここには、一緒にワルやってくれる奴もいるしさ!」
えへへ。
雅也は照れくさそうに笑う。
その、星の光のいちばん奇麗なところを仕立てた結晶のような笑顔に、俺のなかの不安が昇華されていくような気がした。
そして雅也は、今度は何かを思い出したかのように、興奮した口調で話しはじめた。
「えっと、あのさ。俺、いつかやってみたいめちゃくちゃデカいイタズラがあるんだ!もうこの村だけじゃなく、世界中巻き込んじゃう、大、大、大イタズラ!」
「どんなのだ?」
「えっとね、えっとね、」
「月を丸ごと隠しちゃうの!」
雅也はくりくりした目を、さらに大きく丸く、きらきらさせた。
「だって、いくら月は大きいって言ったって、そこにあるんだもん。どうにかすれば隠せるはずでしょ?」
「あはは、こりゃ大きくでたなあ。でも―――」
でも、まで言いかけて、俺は考える。
でも、なんだ?でも、なんだっていうんだ?
『でも、そんなこと科学的に考えてあり得ないんだよ。』なんて言っちまうつもりか?、
『でも、そんなの手で隠せばすぐできるじゃん。』なんて最低な冗談で誤魔化しちまうつもりなのか?、俺は。
いや、ダメだ、そんなことをしちゃ。
こいつは本当にできると信じているんだ。自分ならできると信じているんだ。
ならば、俺も信じるべきなんじゃないのか?
そんなありきたりな理論だとか、理屈だとかなんて並べたところで、それじゃつまらないじゃないか。
出来るかわからなくても、出来ると信じてやってみたらいいじゃないか。
やってみなきゃ何も始まらないじゃないか
「でも?」
不安げにこちらを見上げる雅也。
俺はまた、その小さな頭に手を乗せて、答える。
「でも、俺抜きでそんな面白そうなことを考えてたのは感心しないなあ!」
そして、思いっきり力を込めてワシャワシャする。
「あははは、ごめんごめん!」
手のひらの中で、嬉しそうに震えながらとびきりの笑顔を浮かべる悪ガキ。
それを見て、一層ワシャワシャする動きを速める悪ガキ。
きっと今のこいつには街灯も、星も、太陽さえも、遠く及ばないな。
俺にも、こんな顔で笑った日はあったのだろうか。
ううん、絶対にあった、あったはずなんだよ、俺とこいつは似ているから。
「そうか、月を隠す、か。月を隠す。」
月を、隠す。
その言葉を反芻するたびに体の芯からでっかいエネルギーの塊が沸き起こって、血が
「えっとね、でっかい布を被せたり、黒い絵の具で塗りつぶしちゃえばいいんじゃないかなってさ、でしょ!」
「いや、近くに行けば案外小さいかもしれんぞ。そうなれば、レジ袋に入れて持って帰れるかもしれねえな!」
顔を突き合わせて二人で笑いあう。星たちが俺らのことを噂するように、チカチカと瞬いた。
「できるかな?」
「ああ、できるさ。」
標的の月なんかすっかり縮こまって、今にも逃げ出しそうだ。
それからしばらく、座りながらこの壮大な計画に興じていると、ゆっくりと遠くのほうから自転車のライトと
「あ、姉ちゃんだ!」
雅也が立ち上がる。
「でさ、悠兄はこの後どうするの?」
「え?あぁ。」
すっかり楽しくなって自分が家出していることなんて忘れていた。
まあ、もういいかな。
「家出はやめだ!相棒をひとり置いてはいけねえしな!」
「だと思った!俺もまだまだ話したいことがいっぱいあるんだ。」
「これからも、よろしく!」
雅也は俺に差し伸べるように手を突き出す。
その手をグッとつかみ、俺も勢いよく立ち上がった。
「こちらこそ!」
手を力強く握ると、さらに強く握り返し、互いに頷いた。
「じゃあ、俺姉ちゃんのところまで行ってくる!」
そう言って雅也は光のほうへ駆け寄っていった。
俺はひとり、手に残った感触を確かめながら、空を見上げる。
―――――やってみなきゃ何も始まらない、そうだよな。
夢なんて久しく見てやいなかった。それは、俺には無理な話だと勝手に結論付けていたから。
俺はもっと、純粋で、素直なやつなんだ。
夢だって見れるし、きっとそれを叶えることだってできる。
そうだと自分を信じることができるんだ。
俺も、月を隠すんだ。
近づいてくる元気な
秋、夢、あいつ 麦茶神 @Mugitya_oishi
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