第3話 アル中勇者と危ない相棒

「あれがそうか?」


 そこらじゅうがつたこけに覆われた石造りの空間。

 高い天井に開いた採光部には木々の根がのぞいて、木漏れ日が降り注いでいる。

 その最奥に、神々しいオーラを放つ何かを認めることができる。


 対魔族戦線で俺は幾つもの加護つき装備品に触れてきた(それらはすべて国庫に返却してしまったが)。

 そんな俺だからわかる。あれは、


「本物だ」


 聖竜の腕輪。

 離れていても、授かった加護の強大さが伝わってくる。


 ちなみにさっきからぶつくさしゃべっているが、同行者がいるわけじゃない。

 断酒してしばらく時間が経ったから、イライラで独り言が多くなっているだけである。

 早く、早くこの焦燥感から解放されたい。


 ただ、単独行動ソロパーティというのは何かとリスクがつきものだ。

 麻痺かなんかの状態異常に引っかかったら即アウトである。

 何もできないまま魔獣の餌になるしかない。


 そもそも今回、腕輪が見つかった話からしてどうにもきな臭い。


 打ち捨てられた深緑の地下神殿に聖竜の腕輪が祭られている。


 ガンツォのおやっさんからそう聞いた時、かすかな違和感があった。

 その違和感は今、猛烈に膨れ上がっている。


「盗っていってください、と言わんばかりだな」


 柱の陰から見やった祭壇に、聖竜の腕輪は堂々と飾られていた。


 この地下神殿、決して到達困難な場所じゃない。

 財宝漁りトレジャーハンターが来ることもあったはずで。

 だというのに腕輪はああして健在だ。


「行く……しかないか」


 何かが怪しい。

 しかし指をくわえて見ているわけにもいかない。


 なぜなら酒の備えが尽きかけているのだ。

 懐に残るは一本のみ。

 ここまで大きな魔獣との遭遇をうまいこと避けてきたが、時間をかけるほどにそのリスクは増加する。


 それに禁断症状だって酷くなってきている。

 痙攣けいれん、頭痛、眩暈めまい、鼓動も暴れまわってる。

 心臓が裂けちまって今にもびだしそうだ。


 この苦悩がもうすぐ終わる。

 あの腕輪を手にするだけで。


「うおおっ! 酒の苦しみよ、さらばぁっ!」


 脚は勝手に動いていた。

 さすがに安易が過ぎたかもしれない。

 しかしそれだけ判断力は削がれていたわけで。

 当然のように、そういう行動には、


「あぐぇ!?」


 罰が待っている。

 天地逆転。駆けだしていた俺の視界が突如としてひっくり返る。

 吊るされた足首には蔦が幾重にも絡みついて、


しびづたわにゃ!?」


 痺れ蔦。その名の通り触れた対象を麻痺に……なんて呑気に考えている場合じゃない。

 麻痺がかかり始めている。

 急いで酒を、と、そこでさらに焦ったのがマズかった。


「あ」


 懐から取り出した小瓶が、ポロリと指先からこぼれ落ちる。

 落ちていく。目の前を静かに、ゆっくりと。


「ああああ」


 パリィィン――


 粉々に割れる音がむなしく響く。

 床には紫の染みが広がっていく。

 まるで血痕だ。


 縁起でもない。が、実際、今の俺はほとんど死体も同然だった。

 麻痺が効いて腕どころか指先さえ自由が利かない。

 大ピンチである。


 が、どうしたものか、と考える暇はなかった。

 いつの間にか一人の少女が俺の前に姿を現していたからだ。


「うひひ、酷い姿だね、アルコ」


 そしていきなり随分な挨拶だった。


ほまえのしわさななお前の仕業だな、ファナ」


 逆さまに映る赤い髪と緋色の瞳。

 その燃えるような立ち姿はまごうことなき俺の元相棒だ。


 嫌な予感ばかりが浮かんでくる。

 そりゃ、この状態で魔獣に襲われるよりはマシかもしれない。

 だが。

 だがっ!

 こいつは別な意味で危険というか、ほら、


「その通りぃ。いやぁ狙い通りだよねぇ。勇者が聖竜の腕輪を探してる、なんて噂を聞いたもんだからさぁ。うひひ、勇者アルコ一本釣りぃ」


 目の焦点が合っていない。

 こいつはまたクスリがキマってるに違いない。


 対魔族戦線で、一流の薬師がいる、と聞いて組まされたのがファナだった。

 確かに一流だった。アイテムの調合に限れば。


 それ以外のネジは全部ぶっ飛んでいた。

 時折ヤバいアイテムを開発しては自身でその効能を確かめている。


 で、ある時からその試行対象が俺に代わった。

 俺だと効き目が十倍だからわかりやすいんだと。

 迷惑この上ないとしか言いようがない。


 知らないうちに食事に混ぜられて身体中から花が咲いた一件とかで、さすがに命の危機を感じた。

 そんなわけで魔王討伐の後は一目散にコイツから逃げてきたのだが……。


「この腕輪はねぇ、とある領主様が所有してたんだぁ。ちょちょいと、あとはこの神殿にあるって噂を流してアルコを待つだけぇ。うひひ、うまくいったよねぇ」


 ファナはそう言いながら、蔦をナイフで切り払う。

 ほとんど頭から垂直落下で俺の身体は降ろされたが、麻痺のせいで文句すら言わせてもらえない。


 腕輪を持っていた領主とやらも、おそらく一服盛られて薬漬け状態なのだろう。

 が、同情している余裕はない。

 下手したら、今から俺もそれと同じか、もっと酷い目に合う。


「ほら、飲んでぇ」


 仰向けの俺の鼻先に、ずい、と小瓶が差し出された。

 緑の中身がポコポコと泡立っている。

 ぶわっと嫌な汗が噴き出した。


「ま、て……これ、なん?」


 痺れた口で何とか抵抗の言葉をつむぎ出すと、


れ薬ぃ」


 にまぁ、とファナが笑う。


「だって、アルコがいけないんだよぉ? アイテム効果倍増って、そんなの薬師と一緒になるために生まれてきたようなものなのに。ふたりであれだけ息ぴったりだったのに。突然居なくなっちゃうんだもの。さびしかったよぉ。探したんだよぉ。だからぁ、もう、うひひ、離れられないようにしちゃうんだぁ」


「う、え……」


「心配いらないよぉ。効果は確認済みだから。麻痺も解除してあ・げ・るっ」


 ノリノリである。

 俺の必死の忠告に気づきもしない。

 無理やりに口に薬を流し込んでくるから、何とかそれを飲み干して、俺は叫んだ。

 苦くて甘い味がした。


「上!」


「ほぇ?」


 ファナが振り返った神殿の最上部。

 空の青を背景にして、顔が三つ並んでいる。獅子、竜、山羊……キマイラだ。


 ファナがあれだけ騒いだんだ。

 魔獣が聞きつけたって不思議じゃない。


 心臓がドクンと跳ねた。

 この状況が危機的である。という以上に、今、俺の身体にマズいことが起きている。

 血が巡る。全身の至る所に。

 ファナの薬は、今回も悲しいまでに即効性抜群だった。


「うおぉおぉぉぉおお、愛してるぜぇぇええ!!」


 身体の内から溢れんばかりの愛情。

 叫んだ先は燃えるような姿の元相棒、ではない。


 どしん、と床に舞い降りた大質量。

 ばさりと空気を震わせる巨大な翼。

 あろうことか、俺は今、キマイラに恋をしていた。


 だって見ろよ、あのたくましい二の腕。

 頭だって三種類あって、人間じゃ絶対真似できな――


「このアホ勇者ぁっ!」


「いでぇ!」


 ふらふらとキマイラに歩み寄ったところでケツを蹴られた。

 まさに踏んだり蹴ったりだ。


「もうっ、なーんでこーなるかなぁ」


「お前がよこしまな薬を飲ませるからだろ! 今だってドキドキが止まらねぇんだ!」


「まったくもぉ。ほら、これで正気に戻って」


 かちゃり、と右腕が鳴った。

 ファナが俺に取り付けたのだ。

 白く輝いて、温かい。

 触れただけで血流が冷静さを取り戻していくのがわかる。

 聖竜の腕輪。やっぱり本物だ。


「これもぉ」


 と、さらに小瓶を渡される。

 おなじみのアタックカクテルだ。


「ささっとやっちゃってぇ。アルコなら楽勝でしょ」


「……おう」


 静かに息を吐いて、相手を真正面に見据える。

 キマイラは、茶番を見せられたからではないだろうが、不機嫌そうに三つの頭を揺らしていた。


 俺だって言いたいことは沢山ある。

 が、一旦それは後回しだ。


 コルク栓を抜いて中身を胃に流し込む。

 これだけで俺は最強だ。

 身体が一瞬にして熱を帯び始める。


 身体が一瞬にして熱を……。


 身体が、一瞬にして……。




 …………あれ?




 ギャオォォオオッ――――


「まずい! 逃げろ!」


 振り下ろされる剛腕。

 とっさにファナを抱えて脇へ跳んだ。


 着地と同時に向き直り、と、その足がたたらを踏む。

 しっかり酔っている。

 なのに、だというのに、


「攻撃力が上がらない?」


「あー、やっぱりかぁ」


 隣でファナが物知り顔でうなずいていた。


「やっぱりって、なんでだよ」


「だって、攻撃力上昇って状態ステータス異常の一種だしぃ」


「は?」


 聞き捨てならないことをこいつは言った。

 つまり、聖竜の腕輪を装備したら、効果が打ち消されるのか?


 かといって装備を外したら、またキマイラLOVE状態に逆戻りするわけで。

 詰んでない? これ。


「酒にはしっかり酔うのに!」


「酔いは状態ステータス異常じゃないからねぇ」


 なんてこった。それじゃあアル中も治せない。


「クソアイテムじゃねぇか!」


 思わずそんな文句を叫んでいた。

 聖竜が聞いていたら逆鱗に触れていたかもしれない。


「逃げるしかないねぇ」


 と陽気にファナは言う。

 けど、こいつはすでにクスリがキマっていて、俺は俺で酒に酔っている。

 俺らの命運を決める神様がいたら、もう少し真面目にやれと叱られそうだ。


 えい、とファナが煙幕を張った。

 その隙に俺は彼女の華奢な身体を抱えて走り出す。

 昔よくやった逃走手段だった。


「えへへぇ、なんだかんだ、アルコは助けてくれるんだよねぇ」


 ファナが気持ちの悪い笑みを浮かべている。

 見ると頭痛が悪化する気がした。

 酔いもますます回ってきたかもしれない。


 今回は本当に散々だった。

 聖竜の腕輪を手に入れたとはいえ、酒ともこの相棒とも、まだまだ付き合わなきゃいけないようだ。


「もう酒もアイテムもこりごりだってのに!」


 そんな俺の叫びは、むなしく青空の下で響き渡るだけだった。




――終わり

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アル中勇者はリハビリ中 髭鯨 @higekujira

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