第2話 アル中勇者と二日酔い

「おうぇええっ……」


 苦悶のえずきが口から漏れた。

 勇者にあるまじき醜い声だった。


 これが戦場ならまだサマになったのかもしれないが、俺がこうして苦しんでいるのは、広場に面したボロい宿屋の端っこの、ろくに掃除もされていない臭い便所の中だったりする。


 胃はムカムカするし、のどは胃酸でひりついて、頭はガンガン、視界はぐるんぐるんと揺れている。

 要するに気分は最悪だった。


 悲しいかな、どんな相手だろうと瞬殺する俺の戦術にも欠点がある。

 肝心の俺が酒に弱い、という致命的な欠点が。


 決して下戸ではないのだが、飲むとすぐに気分が悪くなる。

 そしてだいたい翌朝まで尾を引く。


 すいません神様、もう飲みません、許してください。


 なんて、二日酔いの最中は訳もなく神様に救いを求めたくなるが、もしその神様に会えるなら、ついでに一つだけ言わせてほしい。

 俺にこんな加護を授けるなら、なんで酒に強くしてくれなかったんだ、と。

 魔族との戦いはほとんど酒との戦いも同然だった。


「すまんが水をもう一杯……」


「はいっ、お水!」


 便所を出てロビーに戻ってきた俺を、キラキラした眼差しが待ち構えていた。

 キマイラから助けてやった少年だった。

 あの一件で完全に懐かれてしまったらしい。


 面倒なことになった。

 とはいえ俺の胃腸は激しくその水を欲していたし、その優しさに免じてこちらも少々優しく接してやることにする。


「おう、悪いな」


 そう言って頭をポンと撫でてやると、ぱぁっと花が開いたように笑顔がはじけた。

 酒の失敗なんて知りようもない無垢な笑顔。

 いいなぁ、俺もその頃に戻りたい。


「ねぇ、勇者様」


「あん?」


「あの技、どうやるの? ずばぁって魔獣を真っ二つにしたやつ!」


 はぁ、結局こうなるのか。

 返事代わりに俺はいかにも嫌そうな顔を作ってやった。


 こんな具合に、勇者とバレると厄介なことばかりなのだ。 

 バレた次には、やれ剣術がお得意なんでしょう、とか、やれ魔獣を討伐いただけませんか、とかがお約束だ。

 そのためには酒が必要で、俺はもうこれ以上飲みたくない。

 話は以上で終了である。


 が、それで納得してくれる人ばかりじゃない。

 説明はこの上なく面倒だった。


 さらに厄介な例だと、一つ手合わせを願えませんか、みたいな猛者がまれにいる。


 はっきり言って俺の剣術それ自体は並みである。

 一般兵士と闘っても勝ったり負けたりだろう。

 あえて勇者に挑もうなんていう手練れに勝てるわけがない。


 じゃああっさり負ければいい、という話でもなく、負けると即ニセ者判定されてさらに面倒くさい未来が待っている。

 結局チビチビ飲んでしまうこれまでだった。


「やめとけ。聞いたところで、お前さんには無理だ」


 俺の渋い顔に気づく様子もなく、目の前で少年が、ずばぁ、ずばぁ、と真似ばっかり繰り返すから、根負けして俺はそんなことを言った。


「えー? なんで?」


「あれは俺の加護が特別だからできるんだ」


「そーなのか……」


 そうだ。

 そして特別だからといって、即ち良いこととは限らない。

 仮にこいつに同じ加護があったとして、俺と同じ目にあうのは忍びない。


「じゃあさ、魔王との戦いってどーだったの? 教えてよ!」


 そらきた。

 これも勇者に対してのド定番の質問である。


 そりゃ知りたいもんだろうさ。

 俺たちを苦しめ続けてきた魔王がいかにして打ち倒されたのか。

 おおかた綺麗に一刀両断された様を期待しているのだろう。


 だが実際は泥死合もいいところだった。

 なにしろその時すでに俺は酩酊めいていの極みにあったのだから。

 四天王との連戦を乗り越え、積み重ねたステータス上昇を無駄にすまいとそのまま魔王のもとへ乗り込んでいった時、俺は完全にできあがって千鳥足という有様だった。


 歩行すらままならない俺を見て、魔王は、


 そんな手負いになってまで我に挑もうとするか、敵ながらあっぱれ、


 みたいな勘違いをしてひとり感慨深げだったから、今思えば土下座でもして謝りたいというか、互いの命運を決するような闘いで泥酔しててすみませんというか。


 とにかく俺が言えるのは、命を賭した闘いを前にすると酒の酔いが回らなかった、なんて逸話を大昔の兵法者が残しているが、それは全くの嘘だということだ。

 普通に酔う。なんなら半分記憶が飛ぶくらいには。

 

 そのとき俺の頭ん中はとっくにカーニバルになっていた、というのはかろうじて覚えている。

 あらゆるアイテムを詰め込んでいった結果、胃がパンパンに膨れ上がって身体が物理的にも悲鳴をあげていた、ということも。

 だからって吐くわけにもいかない。ステータス上昇が元に戻ってしまうからだ。


 で、そんな状態にもなると一挙手一投足が真空波を発生させるほどに俺の攻撃力は増幅されているわけで。

 その圧倒的な力でもって俺は魔王を追い詰め、組み伏せ、いよいよトドメを刺さん、というところで限界が来た。


 胃の内容物を水分と共に口から排出して身体を異物から守る行為。

 つまりリバース。

 直球で言えばとうとう吐いた。

 胃にあるもの全部。

 もう我慢できなかった。


 終わったと思った。

 あらゆるステータス上昇がリセットされてしまうわけだから。

 魔王の眼前で。


 しかしその最後っ屁ともいえる嘔吐行為はギリギリ俺のステータス上昇の影響下にあって、軽く音速以上で射出された吐物とぶつは魔王の身体を粉々に吹き飛ばすだけに飽き足らず、地表に大きな大きなクレーターを作ってしまい、それが魔王討伐の地として観光地にまでなってしまった。


 世界広しとはいえ、吐物で成敗されるという屈辱を受けた悪者を俺は他に知らない。

 地獄で魔王は俺のことを相当に恨んでいることだろう。

 あれは最終奥義のポイズンブレスだった、とでも言えば許してくれるだろうか。

 自信はない。


「そこで、おえっぷ、俺の剣が煌々こうこうと輝き、やつの脳天から真っ二つに――」


 そんな話を、憧れいっぱい夢いっぱいの子供に聞かせられるわけもない。

 だからまた俺は大幅に脚色されたストーリーを披露するわけだが、これももう慣れたもんである。

 もっとも、二日酔いのえずき交じりでは脚色もほとんど台無しではあるが。


「おぉー!」


 目の前の少年の反応はそれでもただただ純粋で、半分くらい俺は罪悪感で死にたくなった。


 そんな俺たちの様子を、宿屋の連中が遠目にうかがっている。

 なかなか近寄ってこないのは、俺は魔王の呪いにかかっている、という話になっているからだ。

 ただ、今はその視線も柔らかいものへと変わっているようだ。


 と、そこへ、


「お、いたいた。おーい、アルコぉ」


 入口からまたひょっこりと白髭を蓄えた丸顔がのぞく。


「おやっさん、どうしたんだ?」


 話もちょうど大団円。

 いまだ少年の瞳は輝きを失わず、それはつまり今日も俺が勇者のクリーンなイメージ確保に成功したことを意味する。

 大満足である。


 俺は努めてしっかりした足取りで入口へと向かう。

 するとおやっさんは内緒話でもするように、ずい、と俺に顔を寄せて、こう言うのだ。


「探し物の在りか、わかったぞ」

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