アル中勇者はリハビリ中

髭鯨

第1話 アル中勇者は酒断ちできない

「あぁ、それにしても酒が飲みたい」


 むせっかえるような暑さにやられて、ついそんな言葉を吐いてしまった。

 水が飲みたい。本当はそれだけなのに。


 汗をぬぐった腕が小刻みに震えている。

 つくづくこの症状に絶望したくなる。


 ただ、のどの渇きはそもそも俺自身の装備のせい、と言えなくもない。


「あ、すまん、ガンツォのアイテム屋はどこに――」


 近くの村人に声を掛けたら、見るからに怪訝けげんな顔をされてしまった。


 うん、気持ちはわかる。

 この炎天下に布で顔をすっぽり覆って丈の長いマントをまとう奴がいたら、そいつはアホか不審者のどちらかだ。

 そんな奴が声をかけてきたら誰だって警戒する。

 

 さすがにこの装いは失敗だったか。熱中症になりかねん。

 けれどこっちにゃ素性を隠さにゃならん事情もあるわけで……。


 隠すというのは他でもない。

 俺の名はアルコ、勇者である。


 勇者にはバラ色の未来が約束されている……なんて思っていた頃もあった。

 なんせ魔王を討伐した英雄に贈られる称号だ。

 それが、こんなしょうもない悩みを抱える羽目になるだなんて……。


「ガンツォのおやっさん、いるかい?」


 村人になんとか教えてもらった軒先から声をかけると、レンガ造りの建物の中からガランガランと派手な物音がした。

 売り物と思しきガラス瓶やらが床を転がるその先で、物陰からひょっこりと白髭を蓄えた丸顔がのぞく。


「おぉ、誰かと思えばアルコじゃねぇか! こいつぁたまげた。あ、今は勇者様と呼ぶべきだったか?」


 こちらが顔を見せて挨拶すると、おどけた笑顔が返ってきた。


「今まで通りでいいって。それより店の場所、変わったんだな」


「おうよ、人通りのいい場所に移ることができたんだ。今日は……連れの嬢ちゃんは一緒じゃないのか?」


「あー、ちょいと別行動中でな」


「ふーむ、そうか。まぁ、またご贔屓ひいきに、と伝えといてくれ」


 連れ、とは元相棒のファナのことだ。

 以前ここでアイテムを山ほど買い込んでいったのは、俺ではなくファナの方だったから、おやっさんの声が少々落ち込むのも無理はない。


 実際、俺の用は買い物じゃない。


「で、おやっさん、今日はちょっと教えてほしいことがあって来たんだ」


「おう、他でもねぇ勇者様の頼みだからな。無下にはできねぇよ。で?」


「あぁ、実は聖竜の腕輪ってアイテムを探していて――」


 聖竜の腕輪。

 その言葉でおやっさんの目の色が明らかに変わった。


「そりゃ、伝説のアイテムじゃねぇか。聖竜の加護を宿した腕輪。言い伝えによりゃあ古今東西の呪いを無効化、毒や麻痺なんかのあらゆる状態ステータス異常から持ち主を守ってくれる国宝級の逸品だぜ」


 そう、その通りだ。

 そんな神秘のアイテムがこの王国のどこかに眠っている。

 その噂を聞きつけて以来、俺はその探索に明け暮れているというわけだ。


 どうして腕輪が必要なのか。経緯を話すと少々長くなる。


 ずっと昔から、それこそ神話で語られるような大昔から、この大地に住まう人々は魔族の略奪に苦しみ続けてきた。

 暴虐の限りを尽くす魔王に対し、数多の猛者が幾度となく立ち向かっていったが、みな無残に散っていった。


 なぜなら魔王やその眷属が扱う魔法は、俺たち人間でどうこうできるレベルをはるかに超えていたからだ。

 あるものは骨をも溶かす火炎を放ち、あるものは竜巻のような暴風を巻き起こす。

 やつらが軽くたわむれるだけで災害級の被害がもたらされるのだ。


 一応は俺たち人間の中にも、魔法を扱える加護を受けて生まれてきたやつはいた。

 けどそれも所詮は真似事で、本家の前では全く歯が立たなかったと聞く。


 そこで抜擢されたのが他でもない俺だった。

 アイテム効果の増幅。

 それが、俺がたまたま授かって生まれた加護だ。

 随分と地味な加護だと思っていた。


 だがその増幅量が通常の十倍はあるらしいこと。

 そしていわゆる重ね掛けができること。

 それがわかってから俺は対魔族の最前線に送られることになる。


 戦い方は単純だった。

 攻撃力上昇アイテムを湯水のように消費して、極限にまで高めた攻撃力で魔族を一刀両断に切り伏せる。

 あれよあれよと魔王までも撃退してしまい、長い間苦しめられてきたことが嘘みたいにあっさりとこの王国には平和がもたらされることになった。

 こうして俺は勇者になったというわけだ。


 ただ、話はそううまいことばかりじゃない。

 というか代償は俺だけに降りかかってきたのだ。


 問題は、その攻撃力上昇アイテムが酒だったことだ。

 ディオスの酒。闘いの神の加護を受けたブドウで造られた酒がある。

 それをベースに薬師ファナがアタックカクテルを調合する。

 飲んだ者の攻撃力を一定時間だけ倍化してくれる代物だ。

 俺が飲めば一気に二十倍、二つ飲めば四百倍である。


 それを魔族との戦いで昼夜問わず飲み続け……とまで言えばもうわかるだろう。

 好きに笑ってくれ。それから俺はアル中勇者というわけだ。


「アルコ、まさかおめぇ……魔王の呪いに……」


 そんな俺の目の前で、おやっさんが何故か目頭を押さえている。


 これは……なにか勘違いしていそうだ。

 聖竜の腕輪を探している、と言ったもんだから、俺が魔王との戦いの果てに呪いをかけられてしまった、とでも思いこんでいるに違いない。


 実際は、その腕輪なら俺のアル中も治せるんじゃないか、くらいの雑な期待でしかないわけで。

 聖竜とやらも、まさか自分の加護がアル中治療に使われるなどとは夢にも思っていないだろう。

 いいじゃん、助けてくれよ。俺は困ってるんだ。


「ま、まぁ、さすがに魔王との戦いだ。無事とはいかなくてな」


 嘘じゃない。むしろ呪いだと勘違いしてくれたほうがありがたい。

 俺にだって勇者としての世間体があるのだ。


 ねぇ奥さん聞いた?

 勇者様ったらアル中らしいのよ。


 なんて噂でも広まったら威厳も何もあったもんじゃない。


「くっ、すまねぇ、ワシらが平和に過ごす裏でとんだ苦労を――」


「大変だぁ! キマイラだぁ!」


 外から叫び声が聞こえたのは、まさにそんな会話の最中だった。

 続いて悲鳴や怒号のたぐいが、外の通りを激しく行き交い始める。


 何事か、と外に飛び出た俺の目が捉えたのは、人の背丈の五倍はあろうかという巨大な魔獣の体躯だった。

 獅子、竜、山羊の頭が並び、蛇の尾、巨大な翼を持つ、まさに異形と言っていいシルエット。それが遥か前方の広場に姿を現している。


 ギャオォォオオッ――――


 咆哮こうほうが空気を伝って、びりびりと俺の肌を震わせた。

 凄まじい存在感だ。


「ひぃ、キ、キマイラ……本当に……」


 隣ではおやっさんが丸い身体を縮めて震えあがっていた。


 魔王がいなくなったとはいえ、いまだにこうして残党である眷属や魔獣が人の集落に現れては騒ぎを引き起こしている。

 こうなると並大抵の人では対処が難しい。


「あ、ガキンチョ、早く逃げろ!」


 おやっさんが叫んだ先で、一人の少年が尻餅をついていた。

 どうやら恐怖に腰を抜かしてしまったらしい。


 そこへ、のし、のし、と巨体が不機嫌そうに近づいていく。


「くそ、誰か助けてやれ……って」


 そしておやっさんは「あ」と唐突に何かに気づいて、こちらを向いた。

 言いたいことは大体わかった。ほとんど顔に書いてある。


 あー、そういえばいま勇者がいるんだったー。

 勇者ならきっと助けてくれるよね?

 え? 行かないの? 勇者でしょ?

 みたいな目。


 うん、行くよ。行くって。

 それしかないんだろ。


「荷物、預かっててくれ」

 

 諦めのため息を噛み殺して、俺は駆けた。


 目標を見定める。

 あれなら一本で事足りるだろう。


 懐から小瓶を取り出して、コルク栓を抜き、中身を一気に飲み干した。

 身体中が熱を帯び、一瞬で周囲の景色を置き去りにする。

 脚力までもが強化されるのだ。

 ファナ特製のアタックカクテルは、今日も悲しいまでに即効性抜群だった。


「おい、ガキっ! 伏せろ!」


 少年がなんとか這いつくばるのを確認して、腰の剣に手をかける。


 まだ俺は広場の端。

 剣の間合いだなんてお笑いぐさもいいとこだ。


 キマイラはもう少年の目前で、まさに今、剛腕が振り下ろされようとしている。

 だが、


ザンクウセン――」


 一瞬の斬撃が、剣先より遥か遠いキマイラの巨体を横一文字に切り裂いた。

 攻撃範囲の拡大。

 攻撃力をブーストさせた状態でなら、こんな芸当まで可能になる。


「うおおおおっ!?」


 遠くでおやっさんが驚愕の叫び声をあげている。

 広場を囲む老若男女の目が、俺一身に集まっているのがわかる。

 これが、皆が期待した勇者の活躍に違いない。


 けれど今、俺の胸に残ったのは、


「また、飲んじまった……」


 そんな一握りのやるせなさだけだった。

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